陽出る処の書紀

忘れないこの気持ち、綴りたいあの感動──そんな想いをかたちに。葉を見て森を見ないひとの思想録。

KOTOKO名曲アルバム 最終楽章

2008-10-21 | 感想・二次創作──神無月の巫女・京四郎と永遠の空・姫神の巫女
神無月の巫女組曲 第三楽章の記事で、うっかりソウマロバと書いてしまい、いまさら気づいてひとり大笑いしてしまった管理人です。修正済みですが。
さて、きょうはその最終楽章。三曲目、アニメのエンディング「agony」です。

神無月の巫女ED「agony」




なお掲載動画はDVD第三巻附属のノンテロップ版にファンサブが英訳歌詞をつけたもの。じっさいのTV放映時のOPには最初の回転する桜貝のペンダント、百合の花、蒼い月のシーンは含まれていません。今回、映像分析をメインにしたいので、このムービーにしました。なお二番の歌詞をお聞きになりたい方はフルヴァージョンのこちら(音質にやや難あり)をご視聴あれ。

OPのリザブと比べますと、歌詞量が多いのに気づかされるでしょう。これはまさに、届かぬ思いを冷たい夜風に葬っていた姫宮千歌音の心情を赤裸々につづったものといえそうです。ピアノの前奏ではじまるのも、まさに彼女らしい。
このED、毎回各話のおわりごとに印象的な導入で流れていくのがすばらしかったのですが。アニメソングがこの手法をとりはじめたのって、私が知る限りは「シティハンター」だったように思うのですが、どうなのでしょう?もっと歴史は古いのかな?ストーリーの終わりとED、次回予告がCMを挟まずに続いてくれるのって嬉しいんですよね。むかし、よくビデオ録画に失敗した身としては(苦笑)

さて、このED映像。物語をスクラップアンドビルドした立体的なつくりのOPとは一線を画しまして、ひたすら一枚絵をフェイドアウトしていくという単純さ。しかしながら、そのシンプルさゆえにこそ、愛されている由縁であります。某動画サイトでは、ひたすらこれを模倣したMADが延々とつくられつづける有様。もしかしたら、いま日本でいちばん有名なアニメEDなのかもしれません。このふたりの抱擁図は究極の愛をつらぬいた二人として、物語を超え、キャラを超え、ましてや性別をも乗り越えて、流用されて行く。すなわち、この止め絵は絶愛の図像学としてひとびとの記憶のなかに刻み込まれていくのです。


そういえば、アニメのEDって、人物を絞って演出にこだわったものが多いですよね。あと、黒を多用した暗い演出が多い。もちろんスタッフなどのクレジットを読ませるためですが。どことなく、その昔のサイレント映画を思い起こさせます。止め絵か動きも単純なくりかえしが多いような。
このブログではさんざん、アニメ絵よりも原作者の絵のほうが好きと明言しているのですが、アニメ、漫画関係なく、いちばん好きなカットをあげるとしたら、やはりこのED絵ですね。厭味のない色っぽさのあるはだけ具合ですとか、彫像のドレープのような襞のなびき加減がじつにいいです。

私にとってインパクトのあるEDといえば「少女革命ウテナ」の後期ED「バーチャルスター発生学」ですね。歌詞のキテレツさもさることながら、あの影絵でスタイリッシュな上昇感。断片的に少女たちの蜜のように甘い囁きをみせる手法。まるでうすいドアの隙き間からさしこむ光りの帯を便りとして、秘めごとを覗き見させ、高揚感をかきたてるような演出。
「神無月」の場合は、視線を左右にひろげるやりかた。誰かの口元をみあげる姫子。視線の招きに応じて見つめ返す千歌音。そのふたりが歌詞の一節ごとに、交互にあらわれます。KOTOKOさんの歌声もテクノボイスな「リザブ」とは違いまして、若干ハートフル。あたかも、ふたりが声を寄せ合って歌を編んでいるかのようです。
とくにシンクロ率が高いのは以下の歌詞。

「やがて見開くその瞳 運命なら せめて そう、今だけ」

一話の倒れた姫子に不意打ちキスした千歌音ちゃんを思い出しますね。闘いのどさくさにまぎれて、愛を告げようとします。

「何が欲しいの? 唇は闇に震えていた」

学寮の崩壊、親友真琴の離反、そしてさらには千歌音ちゃんからの…とふしぎづくめの出来事に翻弄されて、毎回まいかい「わたし、どうしたらいいのかな?」で明日の道行きを千歌音ちゃんに問わなければ気が済まない姫子の不安定な心理を吐いています。

「出逢ったあの時に胸衝いた笑顔 護りたくて ずっと崩れそうな約束を 痛み潰すほど抱きしめてた」

陽だまりの薔薇園で最初に出逢った笑顔。千歌音ちゃんが命を賭しても姫子を護りたい原動力です。
三話の海辺で、運命の二枚貝の相手がみつかるまで、貴女をまもると約束した千歌音。それは砂の楼閣のようなもろく崩れやすい言葉のようにも思えるが、千歌音の想いはそうはさせない。七話最後で姫子がソウマを運命の相手だと話したときの千歌音ちゃんの涙こらえ顔とかぶらせると、泣けてくるフレーズです。

「側にいられるだけで 同じ時間にいられるだけで 遠い記憶 蘇る悲しみも温めていけるのに」

五話あたりでも、千歌音ちゃんが応援してくれたから頑張れたと、大切さを告げる姫子。
決定的に千歌音ちゃんが他の誰よりもだいじな人であることを知るのは九話以降。いなくなってはじめて彼女の存在が生活のなかでおおきなウェイトを占めていたことに気づきます。だから、八話であんなことがあった恐ろしい場所なのに、そこにいることでしか、千歌音に会えないから姫子は戻ってきた。
姫子にとっては千歌音にからだを痛めつけられることよりも、嫌われることのほうが恐かったのですね。

ところで、このEDの二番の歌詞のこの部分。

「息をしてるだけで 同じ痛みを感じるだけで ほんの少し幸せを積み上げる愛 気付いてしまった」

すごい女性らしい心理をついているなと感心しました。女の子が相手に求めずにはいられないもの、共感性。「好き」って言ってくれるひとよりも、「わかるわ」って言ってくれるひとが欲しい。恋愛者というよりも、理解者。
いや、女性だけじゃないのですけれどね、相手のこころの内を慮ってあげる優しさというのは。有り体にいいますと、いまはやりの「空気読む」です。しかし、この相手にメンタル面で同等のものを望むという関係のしかたは、けっして強いものではない。それはある意味、依存であり、弱いつながりかもしれない。だから、切なくも純粋な想いをつづった歌でありながら、タイトルが「苦痛」なのですね。なにか聞くほどに、胸に迫るものがありますね。うまく表現できないのでもどかしいのですが。

でも、このふたりの場合は、そんなヤワな傷をなめあうような関係でもなくて。

「触れあうだけで その幸せを思っただけで」

あまり相手に多くを望まない、見守るだけの愛でいい。そんなつつましさがあったり。

「次の夜明け 手にしてた後悔で錆びた欠片 光に変える」

とあるように、どちらかのこころが闇に閉ざされても、貴女を照らす光になれると、決意してるわけですね。夜明けは自分で手にするものだと。そのためにはどんなに痛い想い出ですら、闇の殻を引き裂く剣にしていくのだと。

ED画像は最後に百合の花と蒼い月の意匠をフラッシュでみせて、象徴的な意味をもたせています。十一話までは寒色と暖色のツートーンに塗り分けられた千歌音と姫子がだんだん現実の色味を帯びていくしかけ。ふたりの気持ちがおなじ温かい色合いを帯びていくことをあらわしているのでしょう。まるで影のなかに潜んでいたふたりが、おたがいのからだのなかから光りを発して輝きあっているかのように。
ところが、最終話ではEDの音楽はBGMのみで色彩は逆回転。つまり物語がさいしょに戻ること、さらにいえば静寂な月世界と陽のあたるあたたかい世界とに分かれてしまったふたりの少女の悲しい結末を示しているのです。

そのEDロールがおわったCパート。
夏の交差点でおなじ光りのもとで邂逅して抱きしめあったふたり。このEDのように姫子のほうから抱きしめていったのでしょうか(笑)




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