陽出る処の書紀

忘れないこの気持ち、綴りたいあの感動──そんな想いをかたちに。葉を見て森を見ないひとの思想録。

介錯の漫画『ハザマノウタ』(全三巻)

2023-08-15 | 感想・二次創作──神無月の巫女・京四郎と永遠の空・姫神の巫女

漫画『ハザマノウタ』はスクエアエニックス社から2008年から2009年にかけて刊行されたラブコメファンタジー。魔族(アマンド)と人間のハーフの少年である狭間トウヤと、天使(ロッシェ)と人間のハーフである元気娘・天童ヒカルが親同士の再婚でなんとひとつ屋根の下に。このふたりの日常で巻き起こる不可解な事件を、全三巻で描いた異色作。各巻の表紙でわかりやすいのですが、このふたりに、優等生委員長である歌代ハルカが絡んだ恋愛トライアングルでもあります。

***

亡き母の魔族の血を半分うけついだ中学二年生の狭間トウヤ。
ときおり特に女性に対して、抑えきれない衝動が暴発しそうになる、思春期まっさかり。彼の出生の秘密は級友や隣人はもちろん、実の狭間父ですら知らない。

そんな折、悪友たちに誘われた夜の肝試し大会で、魔族に遭遇。
トレードマークの赤マフラーで攻撃しようとした矢先、魔族と敵対する天使(ロッシェ)の少女・天童ヒカルに制裁されそうに。帰宅してみれば、この正義感満々のこの彼女、なんと義理の妹になり、しかも同じクラスへの転校生だった…!!

この善と悪のふたりが、義理の兄弟にになっちゃうという「ママレードボーイ」な設定、後年に「虹野さん家のホワイトスワン」でも流用されます。ただし、あちらは同居していながら、あれほどニアミスがありながら、絶対に互いの正体がバレないのがお約束の絶妙な笑いをとるホームコメディ路線ではありますが。

明るいヒカルは一躍クラスメイト達のアイドルに。
そのお世話係をする委員長のハルカが、トウヤを意識していることを察し、ふたりの恋のキューピッド役を買って出ようとします。トウヤもなんとなくハルカのことは気がかりなのですが、ヒカルのお節介が裏目にでたり、悪だくみ友人たちの茶々が入ったり。

天使ではないのに、なぜか同族の魔族狩りを行うトウヤには、ひそかな目的がありました。数年前、親代わりの姉を殺した「黒髪で片目の隠れた長身の魔族の男」を追っていたのです。トウヤにとっては、天使だろうが、魔族だろうがどうでもよくて、どちらも敵じゃない。だから、魔族に襲われたヒカルでさえも救います。彼は母の折檻をうけたことから、魔族の血を悪いものだと考えているふしがあるんですね。自分の姉を手にかけた犯罪者と同じ血が流れていることが…。

ヒカルは片羽の、しかも機械羽で半人前の天使。
そんな気後れからか、魔族取締りにはりきるわけですが、人間には危害をくわえないトウヤの優しさにほだされて、ハルカとの交際を通し、トウヤに真人間としての更生を促そうとするわけです。ハルカの亡き父は天使としては人格者だったようですね。

このふたりの目的に巻き込まれたかたちの委員長はもちろん、ふたりの正体なんか知らないまま。でも、ハルカがトウヤを好きになるきっかけは微笑ましいもので。この猫を川から救うシーン、漫画版の「姫神の巫女」でもパロディにされているんですよね、ちょっとびっくりしました(笑)

さて、ふだんはほとんど男が両手の華の三角関係に少年漫画ならではのお約束なラッキースケベな展開てんこ盛りで進むわけですが、ハルカとのデートをお膳立てしたあたりから、なぜかトウヤに芽生えた想いを隠し切れなくるヒカル。いっぽう、トウヤも半端ものであるヒカルのほうが心を許せて、いっしょにいると安らぐことに気づきはじめてしまいます。このふたりの関係って、たとえていうならば、マリア様がみてるの福沢姉弟なんでしょうね。



で、魔族のある女に襲われたヒカルを救ったことから、うっかり兄妹が急接近。
しかも、それを当のハルカにばっちり目撃されてしまう。三人の均衡関係が崩れそうな矢先、なんと実の姉を襲ったであろうあの憎き片目の男の正体が…!

さて、この姉殺しの犯人の正体。
私は「絶対少女聖域アムネシアン」や「赫赫血物語(アカアカトシタチノモノガタリ)」を既読だったのでアタリはついたのですが、なにかこう切なさがありますね。

本作は掲載誌が休刊になってしまい打ち切りというかたちで連載終了。
ラストはかなり駆け足気味だったのですが、トウヤは委員長のことは好きだけど、どうしたって秘密を共有しあっているヒカルとは、どこか近親めいた禁断愛がありそうな予感。このあたりは「鍵姫物語 永久アリス輪舞曲」の要素がありますよね。

魔族派の敵メンバーとのいずれの対決を匂わせたまま、呪われた血と抗って生きる覚悟を決めたところでジ・エンド。原作者の介錯先生いわく、お初のデジタル作画でしかも二話ずつ掲載という、かなりの実験的な作品だったようです。

ところで本作に注目したきっかけは、このツイート。
2023年2月に急逝された神無月の巫女の脚本家植竹須美男氏に関しての。




ウィキペディアによれば、なんと2008年には、TNKにてアニメ化企画が発表されていたらしいです!! 実現していれば、2006年の「京四郎と永遠の空」の続く介錯アニメ。しかもアニメ化11作目となったはず。

じつは本作を読んでいると、ところどころ、神無月オマージュらしき影響を感じとれる部分的にあります。委員長の見た目なんて、どう考えても、メガネ巨乳の千歌音ちゃんだし!! 頓挫したのはいろいろオトナの事情があったかと思いますが、アニメ化前提にしてシナリオが組まれていたら、あるいは掲載誌を変えても長く掘り下げていたら、同じガンガン誌の「円盤皇女わルキューれ」と同じぐらいの話題作になった可能性もあります。前半部で学園パートの日常劇に頁を割きすぎている部分があるので、もうちょっと魔族と天使のバトルとか背景とかに厚みをもたさてみたらよかったような。

ただ、原作者先生自身が少年誌ならではのジュブナイル要素とその脱却と話していますので、軽めに読みやすい話ではあります。登場キャラも少ないですしね。個人的に気になったのは、狭間パパと天童ママの存在。人間らしくて、我が子と連れ子の秘密にまったく気づいていないみたいなんですが、ほんとにそうだったのかしら? この親子間の接点が作中ほとんどなかったので、親世代の立ち位置があやふやなんですよね。血染めで自在に伸縮するマフラーという設定が再活用された「赫赫血物語」では、親子の問題もうまく昇華されてはいるんですが。

もし、これがラストで完全な天使と魔族の全面戦争に突入するようなものだったとしても。ハーフのふたりの少年少女が立ち回りして、長年の抗争劇にピリオドが打たれるとか、敵を愛して魔族の血も乗り越え、天使としてのしゃにむにな正義感にも抑制が入るとか、そうした優しい世界の成立で物語が締められたのではないか、と予想されますね。神無月の巫女の世界観がまさにそうでしたので。スピードアップで最後は早く話を畳み過ぎた感は否めないですが、よくまとまっていますし、ここで終わっても遜色ないのではという読後感があります。だらだら引き延ばすようなストーリーでもなかったのでしょう。

今となってはの話ですが、植竹先生の脚本シリーズ構成でぜひとも観てみたかったですね。
アニメだったら、もうちょっとお色気要素抑え目な感じもするけれど、柳沢監督のその後の「ダイミダラー」とか見てる限りはやはり好き者向けな感じもしますね(微苦笑)。これが実現されなかったからこそ、漫画の「絶対少女聖域アムネシアン」とウェブノベルの「姫神の巫女」が生まれたのではないかとも推測されるわけですが。その後の原作者サイドとアニメスタッフ組との動きを見ますと、本作がなんとなく制作の方向性の分かれ道だったのではないか…と。


(2023/07/02)


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漫画「絶対少女聖域アムネシアン」および、ウェブノベル&漫画「姫神の巫女」、そのほかの漫画などに関する記事です。







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