
仕事で疲れたときに、ふらっと図書館に立ち寄って。
何気なく手に取ってしまうのは図版が多くて字が少ない、薄くて軽い読みもの。もしくは絶景だとか、旅行ガイドを兼ねた写真集です。
十年ぐらいまえに、バオバブの並木道がみごとな表紙の写真集がありまして。
衝動的に3000円ぐらいはたいて買ったことがあります。いまはもう、そんなことはしません。ウェブで検索すれば、無料の素材サイトでお好みの画像が見つかってしまう、なければAIで作成すればいいのでは、なんて思ってしまうからです。そもそも、写真集は一回みたら飽きちゃって売ってしまうのです。分厚いのを本棚から引っ張り出してくるぐらいなら、スマホで片手で呼び出せるほうが楽ですから。
最近の写真集、あきらかにフォトショなどで色調を人工的に変えているせいか、ものすごくデジタルの気配がするんですよね、どうしても。
だからいっそもう、ウェブで探した方がいいのでは、なんて横着を抱いてしまうのです。写真家の方々にはたいへん失礼なのですけども。
その昔は、写真集といいましたら。
「空の名前」だとか「花の名前」だとかの名前シリーズがすごくお気に入りで。コレクションしていたものでした。二次創作小説を書く時のサブタイに利用したいからです。写真そのものよりも、横の解説文めあてで。
でもそれも、ある程度はネット検索できてしまいます。
しかも写真集みたいに、索引の一覧から探したり、一枚ずつめくって漁らなくていいのです。ウェブ上の画像は著作権もあるでしょうが、事象の名前じたいは誰のものでもないわけですよね。
写真それ自体は、撮影者の技術もあるので、表現物にあたるのでしょう。
でも、写真の被写体自体はどうなのでしょうか? アイドルのプロマイドのような、現存の人物ならば肖像権がありますけども、風景や家、そこたしの植物は、観覧料があるような観光地や施設をのぞけば、撮影フリーになっていますよね。撮ったものはカメラを抱えた撮影者のものか? そこの場所の所有者のものか? 撮り鉄みたいに、線路際で迷惑行為を働く事例も目立っています。あれはどこかで高く売れるから必死になっているのでしょうか?
撮影するとは、その被写体のすがたを自分のものにしてしまう行為です。
その現物じたいの所有はできずとも。その「情報」は手元に記録しておけます。
景色の場合は、わざわざ写真集を買う必然性はどこにあるのだろう。
芸能人にしても、会いに行けて握手もできるアイドルだったら、写真集にする意味があるのだろうか。そんな疑問が浮かびます。いやいや、アイドルの水着グラビアならば欲しいという方もいるでしょうけどね(笑)
写真集といいますのは、その視聴者の欲望をかりたてるために写されるものなのです。
美少女美少年ならば色気と若さ。熟年スターならば威厳。風景ならば、その現場に足を運べない者への案内、あるいはふるさとや田舎への郷愁。そうした消費をするための、味付けがあります、かならず。
だから、実際に会った有名人がそこらのいぎたないおじさんやおばさんに見えた、旅に行ってみたら意外とこどんまりした街角のスポットだった、なあんてことは珍しくありません。写真は被写体を滅菌してきれいに切り取って、パッケージに詰めたものだからです。
ですが、ウェブ上にあるたとえば芸能人の顔だとか、素人撮影の風景画像なんかは、美しさとしては落ちるでしょうが、その分、真実味があるのかもしれません。ただし、これも加工していなければの前提ですが。
いずれにせよ、私は、美しさの加工をわざとらしくされた写真集をもはや望まなくなりました。
夜空の月だとか日蝕だとかの写真があるけれども、どうみたって、肉眼で見たそれとは異なっています。そして、自分の眼でしっかりと見えたそのときの感覚こそが、自分がいま生きている実感が湧くと思うからです。
ちなみに、現在でもこうした写真集が入用になるのは。
背景を描く漫画家さんとか、アニメやドラマ、映画などの映像作家さんではないかしらと思うのですが。
ただ、景色というものは風化で変わっていくものではあるので、記録という意味では、写真集の存在自体が無駄とは思っていません。仏像写真にしても、今のハイビジョンのつるッとした感じよりも、土門拳あたりの時代の白黒でがさついたトーンのほうが、古色がにじみ出ていてよろしいと思うのですよね。ミケランジェロのシスティーナ礼拝堂の天井画を修復したら鮮やかすぎて、なんだか安っぽさを感じて名画っぽくないのと同じで。
ちなみに写真集を買わなくなった時期と並行して。
かつて拙ブログに載せていたデジカメ日記もやめました。ガラケーでもスマホでも撮影できはしますが。画像を取り込んで編集して掲載するという手間が惜しいし、その画像を整理する時間がないからです。ふだんから自撮りもしないので、イザという時の写真がないのも困るなとそろそろ思いはじめている次第です。
(2023/09/17)
読書の秋だからといって、本が好きだと思うなよ(目次)
本が売れないという叫びがある。しかし、本は買いたくないという抵抗勢力もある。
読者と著者とは、いつも平行線です。悲しいですね。