陽出る処の書紀

忘れないこの気持ち、綴りたいあの感動──そんな想いをかたちに。葉を見て森を見ないひとの思想録。

映画「ブレードランナー」

2009-05-22 | 映画──SF・アクション・戦争



1982年作の映画「ブレードランナー」は、今となればSF映画の最高峰ともてはやされた映画。しかし、発表当時は大ヒット作「E・T」に圧されたためか、興行収入はふるわず。

二〇世紀後半、とくにバブル景気に湧いていた頃に製作された近未来ドラマといいますのは、私にとっては、これぞSFという実感がするわけです。
それは、こうした映画がえがいた未来年代に住んでしまった私たちの、ひねくれた懐古主義だったのでしょうか。
現代から比べれば、そりゃ舞台やセットはむしろ平板。3D立体映像に比すれば、奥行きもカラーバリエーションもなし。けれど、強烈な光りと影のコントランスト。それは東洋の水墨画をみるように、深い瞑想を誘うというもの。

さて物語は2019年の近未来ロサンゼルス。
地球環境の悪化により、人びとは住む地域を限定され、高層ビル群のたちならぶ都市でひしめきあって暮している。人類の大半は宇宙圏で生活を営み、遺伝子工学によってうみだした人造人間レプリカントに過酷な労働を強いていた。

そのレプリカント男女六名が殺人を犯して逃亡し、地球に潜伏したと伝えられる。レプリカントは超人的な身体能力をもつが、外見は人間とそっくり。このレプリカントを見分け、そして処刑する役目を負ったのが「ブレードランナー」と呼ばれる特任捜査官。
かつてその職にあったが引退したデッカードは、潜伏したレプリカント抹殺のため、否応なしに、元上司から任務を強制される。
レプリカントと対決していくいっぽう、デッカードは開発者の姪で秘書をつとめるレイチェルと恋におちる。が、その恋は存在の差異を超えねばならない危険な愛情だった。

この近未来のロサンゼルスというのが、東洋人が多い街で、巨大な電光掲示板に日本企業のCMがあったり。
独特の夜の深さが見られる、映像的にも美しい作品。派手なアクションや、宇宙船の戦闘などはないけれど、最近のCG多用のSFにみられるわざとらしさがありません。

最後はかなりご都合主義的な救われかたかな、とも思うわけですが、脱走レプリカントリーダー格のバッティの最期がなんとなく哀愁を官じさせます。あっけない事切れかたではあったけれど。

主演のハリソン・フォードは、監督がのちにこの作品に異論をよぶ解釈をくわえたり、たびたびリテイク撮影を重ねたために嫌悪して、この映画には否定的だったようですが。
デッカードがブレードランナーを辞めた事件があって、それが本筋に絡むようにすれば、もっと面白かったと思うし、あといろいろ粗はみえるのですが、フィルム・ノワール映画に特有な重々しい退廃・虚無感がただよっていまして。こういう暗い映画はきらいではないです。
そうか、80年代にして21世紀を描こうとしてるんだけど、40-50年代という破壊的な時期に範をとっているから、なんだか暗鬱な雰囲気なんだなと気づく。
舞台がエキゾチックなのも80年代に流行した香港製犯罪映画を参照したのでしょうね。

原作は、フィリップ・K・ディックのSF小説『アンドロイドは電気羊の夢を見るか?』
タイトルだけ聞いたことあります。

(〇九年五月十六日)


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