陽出る処の書紀

忘れないこの気持ち、綴りたいあの感動──そんな想いをかたちに。葉を見て森を見ないひとの思想録。

魔法少女リリカルなのはStrikerS 第二十二話「Pain to Pain」(後)

2007-10-29 | 感想・二次創作──魔法少女リリカルなのは




さて、おなじころ。
玉座に向かってレリックを次々に爆破、なのはさんはひとり快進撃をつづけます。しかし彼女もこころを痛めていました。
思い出したのは、ヴィヴィオのママに関する悲しい事実。
三百年前の人物の遺伝子から複製されたヴィヴィオには、すでにママはこの世のひとではないということ。

第二十話でヴィヴィオの出自はスカの口から語られたので、予想できる範囲でしたが。またSS02でも、ヴィヴィオがほんとうのママなんているのかなと、こぼしていましたね。なのははヴィヴィオが「自分に特別優しくしてくれるひと」をママだと思っていると解しています。この言葉って、なんか深いですね、すごく。自分がお腹を痛めて生んだから、母親と呼べる、そんな時代じゃなくなってきたのですから。今作でとりあげられている生命操作技術は、現代の人工授精、代理母出産が将来的に辿り着く極みなのです。誰でも自由に子供をうめる、しかも遺伝子操作によって優秀な子供を選べる、それはまさに人類の能力と富とを二分化する格差社会をひろげるだろう。ガンダムなど過去の名作アニメでいくども繰り返し扱われてきた主題であります。使い古された、しかしかならず語らなければいけないテーマであります。『なのはStS』の世界では生命操作技術はまだ浸透前段階として描かれていますので、人類の生存闘争という大風呂敷をひろげたうえで、なのは達が闘っているわけではありません。逆にいうと、それはあまりにSFすぎる。『なのは』世界におけるこの科学悪は、きわめて現実的な社会問題にむすびついているのです。すなわち、ひとはいかにして、母親となれるのか?子供を産んだから、母親なのではない。育児放棄をしている母親だっているのだから。

そして重要な事実がもうひとつ。それは、孤児(みなしご)のヴィヴィオをなのはが拾ったように一見すると思わせていますが、じつのところ、ヴィヴィオのほうからなのはを選んでいたという事実です。
子供は親を選べない、生まれてくるところ、生まれてきたかたちを選べないのです。それゆえ、自分を生み出した者からの叱責は、子供にとっておそろしく重く響くのです。人間がいちばんに脅かされて怖い存在は、母親なのです。おそらく誰でも一度は喧嘩の拍子にお前なんかいらない子だとか言われてしまったことはあるでしょう。そして、おそらくスカの目論む生命操作技術が現実に浸透すれば、人間は自由に自分好みの子供をカスタマイズできるのです。それこそ、携帯電話の機種を変えるような感覚でもって。しかし、いくら機能が充実していてデザインがかっこいい、そんな携帯の持ち主から貰ったメールが味気ない言葉の数々だったら、まったく意味がありません。そして、機種やアドレスを変えることで、次々と棄てられ忘れられてゆく温かい気持ち。繋がるのも早いが、離れるのも早い。携帯電話の文化が、生み出した人間関係はこんな高速的な結びつきなのです。
少し話がずれましたが、この三期におけるヴィヴィオという少女は、単に成人に近くなった主人公たちにかわる幼女萌え要素(笑)というのではなくて、もっと深く社会に訴えかける何かをまとった存在といえそうです。端的にいえば、子供はたとえ生みの親から存在否定されても、自分で拠り所をみいだす術を備えているという希望。そして、すべての大人は幼い者に対して、良心的で善意の親になれるということ。


三期で設定されたAMFや能力制限という足枷もそうなのですが、私はなのはとヴィヴィオの間には、ある障壁が設けられていたと考えるのです。つまり、ヴィヴィオには思念通話ができない。おそらく機動六課のメンバーズとは、地上で思念通話を頻繁にしており、それゆえなのはたちは、あんなに意思の通い合った仲間であったのではないでしょうか。思念通話とは少し否定的なニュアンスでいいますと、いわば大人の裏取引のような会話です。大人のユーモアも密談もつうじない、純粋な魂と曇りない瞳の光り、偽りをおぼえない唇の持ち主をまえに、ひとは真実むきだしの自分をさらけだすことになります。人間的にできているひとは、子どもに対するようにひとに優しく接することもできます。子どもを邪見にあつかうような大人は、自立した大人ではありません。それは自分のほんとうを映しだす鏡から、逃れているにすぎないのです。

私はヴィヴィオと話をしているときのなのはさんが、好きです。もちろんフェイトちゃんといちゃいちゃしてくれるなのはさんも大好きですが(笑)今作で魔王呼ばわりされ鬼軍曹扱いされているなのはさんですが、ヴィヴィオの前だとひじょうに優しく甘い表情をしているのです。
この二十二話の回想シーンすごく好きですね。ここだけ繰り返し観たくなります。
やたらと魔王然としたなのはさん。そして誰にでも愛嬌振りまくなのはさん。どれも、素敵な表情ですが、いちばん彼女のよさをひきだしてくれたのはヴィヴィオです。
ヴィヴィオにいい子いい子されたときの、なのはさんの涙ぐんだ表情に、観ているこちらもおもわずほろりです。九話のとき以来のなのはさんの脆さが垣間見えた瞬間です。でも、ひとを愛していて弱くなるのは、恥ずかしいことじゃないのです。(と、どこぞの太陽男も申しておりました(笑))
しかし子どもってなんで、ひとの心のいたみに敏感なんでしょうね。

なのはさんは、シスターシャッハにこぼしていました。ヴィヴィオの受け入れ先は探している、自分は空を飛ぶ人間でヴィヴィオを育てる自信がないと。自分のことばかりで優しい母親になれない。十五話で転んだヴィヴィオをつきはなした鬼のような自分を、やはりこころのどこかで悔いていたのでしょうか。なんだか、ここ、子育てと仕事の両立に悩むキャリアウーマンをみるようです。
しかし、このときの幼い者の慰めのてのひらによって、なのははヴィヴィオが自分に必要な存在だと知ったのでしょう。
アニメ雑誌で十九歳になったなのはは、みんなの母親みたいな存在と語られていましたが、彼女をほんとうに母親たらしめるものは、ヴィヴィオに対する一途な慈愛なのでないでしょうか。

ヴィヴィオがなのはをママと呼ぶ理由は、二十五話で明かされます。
私はこれによって、ヴィヴィオがフェイトまでママと呼ぶ理由が理解できたのですが。

もうね、とにかく今回の話はこれにつきます。
ヴィヴィオ、
かわいいよ、
ヴィヴィオ!!
(激萌)
このなのはヴィヴィオ母子百合で、痛々しいメンバーズの描写もふっとんでしまいました。

ところで、あの十五話のシーン、『セーラームーンR』でちびうさが母親嫌いになったトラウマを思い起こしました。といいますか、このあとの展開がもろに、それなんですか。さらに余談ですが、都筑真紀(つづきまさき)っていうPN(本名?)って、もしかしたら武内直子の『チェリープロジェクト』にでてきた天才スケーター続正紀(つづきまさのり)と関係あるんですかね。ちなみに彼はたしか、『セラムンS』でちびうさのクラスメイトの男の子として登場しています。一期で泣き虫でわがままだった月野うさぎが、ちびうさを庇って倒れるシーンがあって、守る強さと勇気をみせた彼女の成長ぶりにいたく感動したのを覚えています。

【註:以下自己語りがつづく】
その感動のあまり、筆の勢いにまかせてかいた感想投稿文がアニメ雑誌に載ってしまって、すごくその頃無気力な十代だった私の励みになりました。あと、イラストコンテストに応募したら、LDの附録に収録されたり(自慢のレヴェルがまったく小市民です)いっしょにハマった友人と同人誌つくろうかって相談したり(結局、受験があって実現しなかったけれど)、楽しかったですね。たまに電車とかで、女子中学生が漫画とかアニメの話に黄色い声を咲かせているのをみると、昔の自分を思い出してほほえましくなりますね。

いいアニメをみて育った世代が、いい大人になってくれると願っています。
あのアニメは私の青春時代を形成し、はじめての蹉跌から更生させてくれた記念すべき作品だったのですが、そんな懐かしい愛着を、私はこの『なのは』シリーズにも感じることができます。日本のアニメーションは、いっぱし人を救う力があり、人を育てる力があると思います。


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9 Comments

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リリカルマジカルおはようございます。 (白いの)
2007-10-29 20:06:49
あらリボンが曲がっていてよ万葉樹さん?
というわけで毎度ごきげんようです。

前回のコメントは支離滅裂で申し訳ありませんでした。(半分寝てましたので…笑)
コメントの返事が何故あんな耽美な口調だったのか謎でした(笑)

そういえば、
>特撮物はスーツアクターがじっさいに着用するので、あまり飾りとかはつけられないでしょうけど。そういえば『龍騎』で仮面ライダーナイトの衣裳は、変身直後は黒マントひらひらさせてましたけど、バトル本番になると脱げていたような。なのはさんは魔砲少女(笑)で近接戦はおこなわないので、あんなリボンぶりぶり、長スカートふりふりでもOKそうですね。

とおっしゃっておりましたが、最近のライダー(電王)は飾りがごちゃごちゃしてますよ。カブトのシンプルなデザインに慣れていた私はどうもあのライダーにはなじめません(話自体は面白のですが)
なのはさんは近づかれる前に一蹴だから、余裕であの格好なのですね(納得)フェイトさんは近接戦闘スタイルだから悩殺する為にあの格好なのですね(違)

ヴィヴィオとなのはさんの親子関係は癒されますね。
現在は血のつながった親子でもこんな関係は中々なれません。『ひとはいかにして、母親となれるのか?子供を産んだから、母親なのではない。育児放棄をしている母親だっているのだから。』その通りです。

>人間的にできているひとは、子どもに対するようにひとに優しく接することもできます。子どもを邪見にあつかうような大人は、自立した大人ではありません。それは自分のほんとうを映しだす鏡から、逃れているにすぎないのです。

なんか納得してしまいました。自立した体だけ大きくなった大人が多いという事ですね。
それになのはさんは優しくするだけでなく、時には厳しく接してたのもなかなかできる事ではないと思いました。(あの転んだヴィヴィオのシーンです)厳しくして嫌われるのは誰でも嫌ですから。子供は自分の為に厳しくしてくれてるならわかるのに。子供を叱れない親が多くて困ってます。
なのは一家は厳しいなのはママと甘いフェイトパパでバランスが取れてますね(笑)

>いいアニメをみて育った世代が、いい大人になってくれると願っています。
あのアニメは私の青春時代を形成し、はじめての蹉跌から更生させてくれた記念すべき作品だったのですが、そんな懐かしい愛着を、私はこの『なのは』シリーズにも感じることができます。日本のアニメーションは、いっぱし人を救う力があり、人を育てる力があると思います。

なにか事件があるとアニメやゲームが引き合いに出されて非難される世の中ですが、アニメの良さももっと伝えてほしいですね。友情・愛情・正義・道徳などで学べる所はたくさんありますから。

ではでは。
返信する
訂正です (白いの)
2007-10-29 20:12:14
話自体は面白のですが→話自体は面白いのですが

自立した体だけ大きくなった大人→自立せず体だけ大きくなった大人

誤字脱字が多くて申し訳ありません。お目汚しなら
削除して下さいませ。
返信する
リリカルマジカルおやすみなさいませ (万葉樹)
2007-10-30 02:59:49


ごきげんよう、二度目のお兄様。毎回、ありがとうございます。

>あらリボンが曲がっていてよ万葉樹さん?

曲がっているのは、性格ですわ。もう、まっすぐできませんの。文体はお気になさらないでよろしくてよ。ついでに、こちらの口調のつっこみもノープロブレムなのですわ。ええ、こちらをご覧になった読者様の大半がひいていることはうすうす感じておりますわ。

>最近のライダー(電王)は飾りがごちゃごちゃしてますよ。カブトのシンプルなデザインに慣れていた私はどうもあのライダーにはなじめません(話自体は面白のですが)

日曜朝が起きられない、決まった時間にブラウン管の前にいるのが苦痛な私めは、一度だけ視聴した限りであきらめたのですが。主人公がいきなり遊戯王並みに二重人格なのが驚きでしたわ。俳優の演技力に脱帽。しかし電車に乗ってくるとか、まったくもってライダー物の常識をくつがえした作品ではありますわね。
公式HPでデザイン確認しましたが…。原点回帰ともいえる昆虫を忠実にイメージした前作に比べますと、奇異な感じはします。でも、これが観続けているうちに最終回近くになると自分のなんかでグッドデザインになっているなんてことには、ならないのでしょうか?私は『龍騎』のマスクデザインは当初嫌だったのですが、回を重ねるごとに苦痛にならなくなってきました。そもそも、平成ライダーズは仮面アクション物というよりヒューマンドラマとして見ていたので、生身の役者さんが気に入ればオッケーと。しかし、『剣』はあのトランプを模したデザインにいだいた抵抗感は、拭えなかったですね。
ライダースーツって、へたに装飾過剰にすると、すごく安っぽくみえないですか?あんまりメタリックなものにせず、むしろバイオモルフィックなデザインのほうがいいと思います。黒が基調だと体のラインがひきしまりますし、汚れも見えにくいし。今作のものは金属らしい重厚さをみせているんでしょうが、最近のハイビジョン画像なんかですと、やはり素材の軽さはごまかせません。光沢の鈍さとはCGとかでうまく処理してるのかもしれないですが。たしか『龍騎』みてたときに感じたことですが、たまにアクション激しいときのアップで、スーツの摩耗とか皺とか、胸板が浮き上がってるのが見えたりしていて、げんなりしました。ウルトラマンスーツの背中のチャックが見えるのと同じような落胆ですね。

>それになのはさんは優しくするだけでなく、時には厳しく接してたのもなかなかできる事ではないと思いました。

たしかに理想の母親像ですね。脚本家はそれを描きたかったといえます。あの転んだシーンが思わぬ伏線になっていたのも、感動でした。

>子供を叱れない親が多くて困ってます。

なのはさんの躾け方は、子育ての鑑ですね。加賀美なんです!(おや?)
なのはさんが理想の母親なら、ヴィヴィオは理想の子どもそんな気がします。だって、あんなに厳しくされても、ちゃんと慕っているんですもの。
「子どもはひとのこころの傷みに敏感」と書きましたが、じっさいのところ、深刻ないじめ問題や学級崩壊などはありますし。マスコミが一部の極端な例を過剰にふくらませて報道していて、恐ろしい子ども達像が形成されているような気もします。子どもを叱れない親というのは、そういうのに影響されてるんでしょうね。逆切れした子どもが親を…なんて物騒な世の中ですから。

>子供は自分の為に厳しくしてくれてるならわかるのに。

これ、でもね。時と場合によりけりですよ。『思いでぽろぽろ』にも描かれていましたけど、子ども時代に親にいわれたことをずっと恨んでることってありますよ。大きくなって、あのとき叱ってくれなかったらいまの自分はなかったなって感謝することはたくさんあります。親だけじゃなくて、先生とか、出会った年配の方々とか。

>なのは一家は厳しいなのはママと甘いフェイトパパでバランスが取れてますね(笑)

あはは。まあ、フェイトちゃんはふたり連れ子がいますが(笑)熱烈な百合ファンには、いないことにされてますけどね。あの三人のコンビ大好きです。

>なにか事件があるとアニメやゲームが引き合いに出されて非難される世の中ですが、アニメの良さももっと伝えてほしいですね。友情・愛情・正義・道徳などで学べる所はたくさんありますから。

最近でいうと、和田ア〇子さんなんかが顕著ですね。私は彼女の毒舌は好きだったのですが、すこし失望しました。他人を笑い者にして、スキャンダルにまみれている芸能人より、ふつうに迷惑かけずに暮らしているヲタクのほうがよほど正しいと思います。

いつもお忙しいなか、ご訪問くださり感謝しております。ではでは。


返信する
リリカルマジカルごきげんよなの?でございましてよ (白いの)
2007-10-30 22:59:18
毎度きてしまいました。

>これが観続けているうちに最終回近くになると自分のなんかでグッドデザインになっているなんてことには、ならないのでしょうか?

カブトの流れで最初から観てますが、少なくても私はなってませんね(苦笑)ヒューマンドラマ的にはカブトより全体的に優れた脚本(カブトは前半は良いのですが後半の脚本グダグダでした。役者さんに助けられてましたね)なのでこれでライダーデザインさえ良ければ、カブトに次ぐ面白さなのですが…(役者さんも含め)。私はライダーにはヒーロー的なかっこよさも求めてるので。なのはにかわいらしさを求めてるように(苦笑)だってなのはとフェイトがあのスカリエッティ博士のデザインのジャケットで闘っていたら萎えませんか?

そういえばStSの方々の名前って車が元ネタだったのですね。今頃気づきました(笑)
※フェラーリ・テスタロッサ(フェイト・テスタロッサ)・フェラーリ・スカリエッティ(スカリエッティ博士)・ヴィヴィオ(スバル・ヴィヴィオ)

>なのはさんの躾け方は、子育ての鑑ですね。加賀美なんです!(おや?)

あえて突っ込みません(おや?)

>あの転んだシーンが思わぬ伏線になっていたのも、感動でした。

最終回のあのシーンですね。まさか伏線になってるとは思わず感心しました。

>子どもを叱れない親というのは、そういうのに影響されてるんでしょうね。逆切れした子どもが親を…なんて物騒な世の中ですから。

でもしっかり叱って、なにが悪くてしてはいけないと教えないと、人の命の大事さや痛みをわからない大人になってしまうと思うわけです私は。悪循環ですよね。難しいですね子育ては。

>これ、でもね。時と場合によりけりですよ。『思いでぽろぽろ』にも描かれていましたけど、子ども時代に親にいわれたことをずっと恨んでることってありますよ。

「親の心、子知らず」というやつですかね。親とか大人になって立場が変わるとわかるとか。やっぱり子育ては難しい。なのはさんは母親の加賀美です。

ではでは。

返信する
リリカルマジカルおはようなの (万葉樹)
2007-10-31 06:08:26


ごきげんよう、毎度の白いのお兄様(笑)

>カブトは前半は良いのですが後半の脚本グダグダでした。

なんかそれ『555』や『龍騎』っぽいですね。話をひろげすぎて伏線の回収がままならなかった井上脚本の。『カブト』は井上氏がメインシナリオではないみたいなので、どこまであのドラマの構成に関わったのか私にはさだかならずですが、物語の軸がぶれていても、俳優の演技力とか個性のある言い回しとかで惹きつけて、乗り切っちゃうような強引さがありますよね。といいますか、最近のアニメってみんなそんな感じがいたします。

>のはにかわいらしさを求めてるように(苦笑)だってなのはとフェイトがあのスカリエッティ博士のデザインのジャケットで闘っていたら萎えませんか?

そう言われましたら、そうですね…ギン姉えみたく悪改造されたフェイトちゃんやなのはさんなんて、もう絶対見たくないです(ちょっと想像してみたら悪寒が(苦笑))失言でした。やはり私のライダー愛は中途半端なものだったようです。いま時間がなくて、なかなか観れないでいますが。

>そういえばStSの方々の名前って車が元ネタだったのですね。

よく指摘されていますよね。私は車に乗らないので詳しくなかったのですが。車名を使用したアニメといえば十年くらい前に『魔法騎士(マジックナイト)レイアース』っていうのがありました。美少女がロボットで戦うアニメです。キャラの人名とか、魔法技名とか、ロボットや国の名称にされてました。ランティスとか。本田美奈子さんとか、田村直美さんとか有名な歌手が主題歌歌っていて紅白出場もしてました。なつかしい~。

ちなみに十五話の伏線回になったのは、正確にいいますと二十五話です。

>でもしっかり叱って、なにが悪くてしてはいけないと教えないと、人の命の大事さや痛みをわからない大人になってしまうと思うわけです私は。

一期の第六話で、九歳のなのはがいじわるをしたクラスメイトをビンタ(笑)していう印象的な台詞があります。「痛い?でも大事なものを奪われた人のこころはもっと痛いんだよ?」こういう愛情のある傷みを教えるのって、難しいんでしょうね。すごく世相を反映したアニメだなと思いました。

>なのはさんは母親の加賀美です。

エース・オブ・エースのなのはさんのことですから、子育てにおいても頂点にたつ女の子なのでしょう。おばあちゃんも言っていた。「なのはさんの愛情度はマリアナ海溝よりも深く、シベリアのツンドラ地帯より厳しい。全宇宙の母たる者はだれも、彼女の愛には勝てない!」

では、コメントありがとうなの、でございました!
返信する
つい来てしまう私です (白いの)
2007-10-31 20:44:50
私は毎度においても頂点に立ち総てを司る男だ。
というわけで何度もリリマジごきげんよう。

>話をひろげすぎて伏線の回収がままならなかった井上脚本の。『カブト』は井上氏がメインシナリオではないみたいなので、どこまであのドラマの構成に関わったのか私にはさだかならずですが、物語の軸がぶれていても、俳優の演技力とか個性のある言い回しとかで惹きつけて、乗り切っちゃうような強引さがありますよね

カブトのメインは米村氏ですね。たまーに井上氏が書いた脚本の回はキャラが壊れて俳優さんも、こんなの天道(加賀美)じゃないと悩んだこともあるようです。(公式インタビューより)最終的にはそれも一つの面だと思ったようですが(苦笑)井上氏の担当キャラは坊ちゃまと風間だそうです。変なキャラは井上氏の真骨頂のようです。

>ちなみに十五話の伏線回になったのは、正確にいいますと二十五話です。

すいません間違いました。あれが一番盛り上がる回だったので、つい勘違いを。なのはさん流の母親愛を見せつけられて圧倒されましたっけ(遠い目)
…痛いってレベルじゃねーと恐怖に打ち震えて…いえ痛いほどの母性愛に感動してました(笑)

>一期の第六話で、九歳のなのはがいじわるをしたクラスメイトをビンタ(笑)していう印象的な台詞があります。「痛い?でも大事なものを奪われた人のこころはもっと痛いんだよ?」こういう愛情のある傷みを教えるのって、難しいんでしょうね。すごく世相を反映したアニメだなと思いました。

おばあちゃんもこう言っていましたよ。
「甘ったれるな!殴られもせずに大人になった奴など、どこにいるものか」てな?
痛みを知らぬものは他人の痛みを知りえないという事ですね。加賀美も奪われる事の痛み(弟を失った事)を知ってるからこそ、人に優しくできるのでしょう。
しかしなんて人間のできた小学3年生なんでしょう(苦笑)でもビンタな所にまだ幼さを感じます。今ならきっとそのクラスメイトは……

では失礼します。
返信する
Unknown (ユリミテ)
2007-10-31 21:00:10
リリカルマジカルごきげんよう。
ヴィヴィオとなのはの母子関係、ステキですよね。
生み出した訳ではないけれど、作り上げていくことはできる。
人を形成し、人たらしめるのは、自己実現のための自己の確立、G・H・ミードの言葉を借りるなら、「人間の自我はその誕生とともにあるのではなく、社会経験と活動の過程の中で生じてくる。自我は他のシンボルを通じての相互作用において社会的に形成され、展開される。」
聖王の器として生み出され、最初の頃こそ、魔法収集のためになのはに近づいたヴィヴィオでしたけれど、
そのもくろみは生命のもついわば本能的な快楽の前に崩れ去った。
つまり目的をなすための手段が転倒した。
なのはといることこそがヴィヴィオの目的となった。
温かいぬくもりと優しさを与えてくれる「なのはママ」という存在が、いつの間にかヴィヴィオがそこにいる目的となった。
すごくパラドキシカルな展開ですが、それこそがヴィヴィオが人としての本能を覚醒させた瞬間だったのではと。

また、ミードはこうも語っています。「子供は母親や父親また周囲の人々の態度やパースペクティヴを学んで自我形成を行う」
いわゆる模倣ですね。
人が本能と同義にに社会性を培っていく上で重要な役割をはたす「模倣」。
誰かの真似をすることによって、その中にあるシステムやイデオロギーを学び、自己にフィードバックさせていく行為。
ヴィヴィオがその憧れの人、強い人をイメージして作られた形「覚醒ヴィヴィオ」がなのはをイメージして形成されていたことからも、影響を受ける存在がいかに自己を形成する上で重要な存在であるかも示されています。
つまり、ヴィヴィオを人たらしめたのは明らかに「なのは」であるし、またなのはを「母親」たらしめたのはヴィヴィオであったと。なのはは母親になることを拒否していた。面倒だからということではなく、自分が危険な任務下にあることで、自分がいなくなってしまった時のことまでをも考えての拒否。
しかしそれすらもヴィヴィオという子供の存在の前では問題外であった。それを踏まえてもヴィヴィオの母親として傍にいてあげたかった、傍にいてほしかった、このあたりが深夜アニメにしては(笑)よく語られていて、とても胸があつくなりました。

また、
>やたらと魔王然としたなのはさん。そして誰にでも愛嬌振りまくなのはさん。どれも、素敵な表情ですが、いちばん彼女のよさをひきだしてくれたのはヴィヴィオです。

ここ、なのはという物語をよく理解してくださっていると感じてすっごく嬉しかったです。
この物語の本当のよさをわかるのはすごく難しいと思うんですね。
アニメ自体、商業的な絡みがあるのかもしれませんが、お兄さん受けのする描写も幾度かみられましたが、基本この中の人たちは熱いんですよね。
まっすぐに立ち向かっていく情熱。
熱く交わされる友情。
信じた者のために戦う勇気、愛すべき人を守る懸命さ。
今期は母子愛がぐっと胸に迫りました。
なんだか酔っ払ってて収集がつかなくなってきましたのでこのあたりで(笑)
支離滅裂なコメント失礼しました。
返信する
ついノッてしまう万葉樹です (万葉樹)
2007-11-01 07:06:45

リリマジごきげんよう、毎度毎度の白いのお兄様。
略すとなんだか族用語(爆)みたいに聞こえるのは、私の鼓膜が腫れてるせいでしょうか?(そうです)

>たまーに井上氏が書いた脚本の回はキャラが壊れて俳優さんも、こんなの天道(加賀美)じゃないと悩んだこともあるようです。(公式インタビューより)最終的にはそれも一つの面だと思ったようですが(苦笑)

あぁ、なるほど。井上先生は喜劇の仮面を、イケメンにかぶせるのがお上手ですからね。『龍騎』の若奥様バカ受けなボーイズラヴ演出も、彼のさしがねとみました。ただ、思うにライダーの主役張ってるひとって、モデル出身の美男子が多くて、最初は顔の表情がきれいなすぎでつまらなかったりするんですけど、ある意味、むちゃくちゃな脚本家の注文のせいで演技に幅がでてくるのかもしれませんね。で、ライダー出身俳優はその後売れると(スーパー憶測タイム)

>井上氏の担当キャラは坊ちゃまと風間だそうです。

たぶん、この俳優さんふたりが、井上先生のお気に入りなんじゃないでしょうかね。『555』で、草加雅人役やってた村上幸平さんも私的に親しくお付き合いしてるみたいで、井上作品にはよく出演しているみたいです。しかし、井上先生って、ぜったい女の子に興味なさげな男の子だしますよね。ちなみに、このフェミニストな風間さんてひと、公式HPみてひじょうに観てみたいキャラなので、楽しみです(笑)

>あれが一番盛り上がる回だったので、つい勘違いを。なのはさん流の母親愛を見せつけられて圧倒されましたっけ(遠い目)

二十六話もあるのでどのエピソードだか判らなくなりますよね。私もなんだかアレが最終回な気がしてました。あまりにも深く熱く胸に刻まれましたので。といいますか、ほんとうのラストがイマイチ盛り上がりに欠けたといいますか。とくになのは・フェイト夫婦説推奨派におきましては、なかったことにしたかったシーンがありすぎて。某赤髪の息子とか某メガネの淫獣とか(笑)
一期も二期もそうなんですが、戦いの収束がついたあとの日常を描くのに、一話まるまる用いるんですね。で、それがすごく感動的だったんです。あれはきっと続編をみこしてつくっていたのじゃないかと思うのですが。

二十五話についての語りはあとのお楽しみということで。といいますか、考えがなかなかまとまりません。書きたいことが多すぎて。

>加賀美も奪われる事の痛み(弟を失った事)を知ってるからこそ、人に優しくできるのでしょう。

加賀美のエピソード、楽しみです。私の個人的な理由から。そういえば『アギト』でも、弟を失った熟年ライダーがいましたね。「目には目を」のハンムラビ法典じゃないですが、奪われたから奪ってもいい、っていうのは時と場合によりけりでしょうね。でも殴られたら、三倍返しで殴り返す、それがなのはさんクオリティ(苦笑)

>しかしなんて人間のできた小学3年生なんでしょう(苦笑)でもビンタな所にまだ幼さを感じます。今ならきっとそのクラスメイトは……

十九歳なのはさんだったら、きっと血の一滴、肉の一片、骨のひと粒、存在の影ひとつ残らず消されてるでしょうね、アリサちゃん…(身震い)
──というのは冗談ですが。じつはその一件で、なのははふたりの大親友を得ることになるわけなんです。
弱い者の声にならない叫びの代わりになってふるう拳の少女、なのはさんは、いわば昔のガキ大将っぽいイメージですね。ライダーヒーローが男が惚れる男なら、女の子が惚れる女の子がいっぱいなのが、『なのは』シリーズです。

では、コメントありがとうございました!
返信する
隊長、さすがですっ!!(惚ッ) (万葉樹)
2007-11-01 07:10:41


リリカルマジカルごきげんよう、うるわしのユリミテお姉様!
いつも素敵で知的、無敵に快適なるコメントをいただき、ありがとうございます。もう舞い上がっちゃって、どうコメントしたらいいかわからない私めでございます。

さて。
不肖わたくし、この G.H.ミードという社会学者のことを寡聞にして知らず、またその著作を読んだこともないので、あまりよく判らないのですが。(すいません)

>人を形成し、人たらしめるのは、自己実現のための自己の確立

に近いことを、じつは二十五話あたりのレヴューで、とある社会学者の説を引用してみようかなと思っていました。

>ヴィヴィオがその憧れの人、強い人をイメージして作られた形「覚醒ヴィヴィオ」がなのはをイメージして形成されていたことからも、影響を受ける存在がいかに自己を形成する上で重要な存在であるかも示されています。

なのはさんそっくりの暗黒ヴィヴィオびっくりしましたね。というか、激しく萌えです。大人になったヴィヴィオについての見解は、いろいろ考えるところありますが、そして考えすぎて、脳みその思考部位がきわめて限られた私では、まとまらないのですが(汗)いずれまたということで。

>ヴィヴィオを人たらしめたのは明らかに「なのは」であるし、またなのはを「母親」たらしめたのはヴィヴィオであったと。

ここ、私がこの記事でうまく言えなかったことを補完してくださってます。大感謝です。さらに敷衍していいますと、魔王ななのはさんを、ふつうの人間の少女にしてくれたのが、ヴィヴィオってことですね。(私が二次小説であらわしたことでもあったのですが)あ、ちなみにもちろん、なのはさんを、宇宙最強の素敵な「嫁」にしてるのはフェイトちゃんですよね(断言)

>自分が危険な任務下にあることで、自分がいなくなってしまった時のことまでをも考えての拒否。

空に生き、空で散る。こんど空を堕ちたら、五体満足ではいられないかもしれない。甘えて縋るヴィヴィオを抱く腕をなくすかもしれない。自分の身ひとつで飛ぶ空なら、軽い。でも幼いいのちを抱えて飛ぶ空は、重い。
スバルたちに絶対無事に安全で還ってこれる戦い方を教える一方で、ひとり空を見上げ死を覚悟したようなことをほのめかした、この話の弱気ななのはさんが、かなりの意外でした。ちなみに、あの回想エピソードって、ヴィヴィオが拉致される直前の話、さしづめ十五・五話だったんでしょうね。ヴィヴィオのところに帰ってくると結んだ十六話の小指の約束。それは果たされなかった。
私はこの二十二話の回想話をみて、なぜなのはがフェイトちゃんの胸を頼るほど激しく動揺したのかが、判った気がします。(百合萌え見せ所という脚本家のサーヴィスだけではなくて(笑))たんに子どもの期待を裏切ったおとなという自責の念だけからではなく。なのはにとってヴィヴィオは、どうかすると風船みたいに夢をふくらまして高い空をのぼってゆく自分を地上へつなぎとめる存在だった。使い古された言い回しでいえば、ヴィヴィオこそなのはの「帰るべき場所」だったと。

>ヴィヴィオの母親として傍にいてあげたかった、傍にいてほしかった、このあたりが深夜アニメにしては(笑)よく語られていて、とても胸があつくなりました。

深夜にアニメ観て涙流したのって、『神無月』以来です、私。もちろん『神無月』とは別の意味の、あたたかい涙でしたが。

>この物語の本当のよさをわかるのはすごく難しいと思うんですね。

そうですね。あやうくタイトルと萌えな絵柄と、お兄様サーヴィスカット累々に騙されて、素通りしてしまうところでした。おそるべし、都筑マジック!
あと、その人らしさをひきだすっていうのは、『神無月』もそうなんですけど、百合愛の本質なんじゃないかしらって思います。おなじ女の子だから、自分の自然をみせられるといいますか。

しかし美少女アニメを学術的に紐解かれたユリミテ様、なんといいますか、すごいです。いつもながらに尊敬いたします。
前から思っていたのですが、やはり社会心理学を学ばれている方は、ひとのこころの動きを読むことに長けているので、物語解釈もうまいのだろうなと思いました。私はどっちかといいますと対物的で、人間の外側にあるもの、環境とか歴史背景などに目が向いてしまうので、しばしばキャラの性格を読まない発言してしまいます。困ったもんだ(反省)

では。コメントありがとうございました!

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