陽出る処の書紀

忘れないこの気持ち、綴りたいあの感動──そんな想いをかたちに。葉を見て森を見ないひとの思想録。

劇場版「魔法少女リリカルなのはThe MOVIE 1st」(二)

2012-03-06 | 感想・二次創作──魔法少女リリカルなのは


ところで、私はかねてから疑問に思うわけです。
プレシアはフェイトをどうしてあそこまで憎んだのでしょうか。自分の腹を痛めて生んだ子ではないため? 試験管のなかで標本のようにして培養したため? 彼女の口が語る通りに、利き腕や魔力資質が違う──ちなみに小説版(小説版『魔法少女リリカルなのは』)では、フェイトの魔力光の金色が魔力炉の爆発時のフラッシュと似ていたためと明かされている。この部分の説明がないのも、フェイトの後付けによるパラレルストーリーという解釈の余地を与えるだろう──ため? 利き腕については、プレシアもフェイトも右利きなんですよね。だから自分に似ていないから嫌ったというわけでもなさそう。

いちばん、わかりやすい理由は性格が違うことでしょうね。
我がままだけど明るくてはきはきものが言える子のほうが、聞き分けはいいけど大人しいタイプよりも可愛い。母親って、大人って、愚かですね、でもそういうものなんです。なぜなら、親というものは子供のねだるお願いを満たすことで自分の役割や存在意義を確かめる、悲しい生き物だからです。ひょっとしたら、アリシアの溌剌とした面がここでは登場しない父親に似ていて、プレシアはそこを好いていたのかもしれませんね。むしろ、優しいけれど、どこか陰気で落ちこみやすい性格を受け継いだフェイトは、自分の弱みを鏡に映したようで自己嫌悪に陥るとか。
とにかくアリシア本体と人格の異なるものをアリシアと呼び、可愛がることは、アリシアそのものを否定し、抹消させてしまうことになるのです。だからフェイトをアリシアだと認められない。

そして、またこうも思うわけです。
では、アリシアに似ていない、失敗作だと断じてやまないフェイトを、なぜプレシアはそのまま生かしておくのだろうかと。もちろん、アリシア復活の秘術を求めるための手先として奴隷のように働かせるためだと,プレシアによって語られています。でも、ほんとうにそうなのか? 自分のお目がねに敵わない作品なら、画家がナイフで画布を切り刻むように、ばっさりと葬ってしまえばいい。保存されたオリジナルの遺体から複製を作り直せばいいのでは。

しかし、そうできないのは、プレシア本人の体力的、技術的、あるいは資金面での限界のみならず、フェイトを殺すにはしのびないと考えていたからではないでしょうか。なぜなら、彼女はアリシアの事故死に責任を抱いており、フェイトを手にかければ、二重に娘を死に追いやったことになってしまうわけです。そして、失敗作だの人形だのとフェイトをもの扱いしておきながら、「母さんを悲しませないで」と、しおらしく同情を引くようなことも言ってみせる。この台詞を吐くときのプレシアは、芝居じみてはおらずに、しみじみと心の底から嘆きを吐き出した感じなのですね。
ひょっとしたら、彼女に去来する思いは、みずから手を下したくはない。無茶ぶりな戦いをさせて、フェイトが自分の目の届かない場所で息絶えてくれたらいい、という屈折した思いだったかもしれません。それは、よくある、悪の幹部が片腕として扱ってきた部下を虫けらのように切り捨てるのとは、ひと味違うおぞましさと哀しさであったのです。

答えの出された筋書きに「もしも」を唱えるのはナンセンス。
しかし、私は敢えてこう問いかけてみます。もしも、フェイトがアリシアとまったく瓜二つの人格を受け継いでいたとしたら、プレシアは、いやテスタロッサ母子はたして幸せだったのでしょうか。残念ながら、きわめてイエスと言いがたい状況なのです。プレシアが取り戻したいのは、アリシアそのものというよりは、あくまで仕事中心に生活を回してきてアリシアを孤独にしてしまった自分の時間なのです。自分の娘を死なせる原因となったものにプレシア自身が関わっていた、その事実を否定したいがためなのです。だから、見かけのそっくりな複製ではなく、アリシアそのものにひきつづき優しく愛情豊かな母親として再認識される必要があった。そして、なにより自明であるのは、事故の後遺症によってか、研究による過労によるものかさだかではないが、プレシアが余命いくばくもない身の上であることです。つまり、プレシアは完全なるアリシアの再生に成功したとしても、共に過ごす時間は限られ、明るい未来もない。だから、自滅覚悟のうえで、ありもしないユートピアを望み、時空の亀裂に沈んでいったのですね。
やや好意的な拡大解釈をしてみれば、フェイトの側にはなのは他の寄り添い合う仲間がいたことを悟り、あえて自分は消えようとしたともいえるかも。

リリカルなのはシリーズがおもしろいのは、こうした親と子の業があるからなんですよね。
ただの学園で百合で、少女が魔法つかって戦って、敵に勝って万歳、なだけだったらすでに過去作(セーラームーンとか)で馴染みがあるので、私は惹かれなかったでしょう。


【関連記事】
劇場版「魔法少女リリカルなのはThe MOVIE 1st」(一)
劇場版「魔法少女リリカルなのはThe MOVIE 1st」(三)

【劇場版魔法少女リリカルなのはシリーズ レヴュー一覧】


この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 劇場版「魔法少女リリカルな... | TOP | 劇場版「魔法少女リリカルな... »
最新の画像もっと見る

Recent Entries | 感想・二次創作──魔法少女リリカルなのは