陽出る処の書紀

忘れないこの気持ち、綴りたいあの感動──そんな想いをかたちに。葉を見て森を見ないひとの思想録。

劇場版「魔法少女リリカルなのはThe MOVIE 1st」(一)

2012-03-06 | 感想・二次創作──魔法少女リリカルなのは



…泣きました。
ほんとうに、泣けました。
これは予想外。
ラストの三十分を繰り返し観てしまいました。
最近、観た映画ではありえないことです、自分としては。
アニメで泣くまい、などと性懲りもなく構えて思っていたのに、どういうことでしょうか。

劇場版「魔法少女リリカルなのはThe MOVIE 1st」。
実を言いますと、記事で紹介しておきながら観たのは今年(2011年)に入ってからです。無印アニメを観たのは数年前、ほぼ粗筋は知っているし、小説版も漫画版もあったし。TVアニメ版の重要シーンがすっぽかされているという噂も聞いたし、なによりPVで観た彩色が平べったたくて線描が薄くて顔がフィギュアみたいで。旧作のひと昔古い画風のほうが好みだったわけですよ。それに監督も違うし。そう思って、あまり期待せずにいたんですけど。

いや、まいった、まいった。
ほんとうに泣きました。
なぜかって言ったら、涙腺が弾けちゃった部分が異なったから。
TV版でうるっときたのは、フェイトがプレシアから突き放されて絶望に陥った場面と、ラストのリボン交換会。今回、ラストのあれは忠実に再現されてましてニヤニヤ(笑)しながら眺めてました。

それで、どこで泣いたかと言えば、プレシア母さんの回想シーン。
旧作では酷い鬼ママ、地獄に落ちればいいのにと思えるほど憎たらしい人だったんですが、本作ではうかつに憎めない。たしかにフェイトやアルフへの虐待そのものは、昨今の事情を考えれば刑事事件としても絶対に許されないもの。しかしながら、古今東西いくたの物語で描かれてきたように、亡くした者を取り戻すという渇望と、それが巻き起こす悲劇は胸に響かないはずはない。

この映画は、実際「ViVid」に、さらには「Force」にと時計の針を未来へと進めていくなのは達にとっての、劇中劇であり過去回想であるという見方もあるらしいです。公開前のドラマCDやらCMでそんな扱いでしたよね。
が、こう言ってよければ、これは現在執務官であるフェイト・テスタロッサ・ハラオウンが、実の母親の名誉回復をかけたノンフィクションととらえてもさしつかえないでしょう。なぜそう思ったかというと、今回、母親が亡き娘を望んでやまない裏事情や、爆発事故に巻き込まれたという記憶がフェイトにあったこと(フェイトは自分が事故から生還したものと信じていて、そのため心配をかけた母親の希望に応えようとしている)にされているからです。旧作版のときの狂気めいたプレシアはあくまで管理局側の客観的な視点からのものであるけれど、回想シーンでしばしばみせる温かい母親としてのプレシア像は、現在からのフェイトの願望がたぶんに脚色されて加わってしまったとしか思えないのですよね。よく親子仲の悪い子供時代を過ごした作家が、その親のことをやや理想化して描くのと同じように。

そしてまさにこの点にこそ、すなわち、勧善懲悪ではなく、悪役の側にも悪役足りうるだけの悲哀が存在し、一概に善悪を切り分けて語ることができない、というこのシリーズの魅力(悪く言えば、それは敵キャラを厳罰に処さずに甘いという非現実感を生み出すことにもなりかねない)があるのだと感じます。

今回、胸にぐっときたのは、プレシアが自分の頬に触れるフェイトの手の違いで異質に気づいてしまったこと。さらにまたアルハザードへと落ちる間際に、自分が否定し続けたフェイトの誕生こそが、自分のほんとうの娘が望んでいたものであることに遅まきながら気づいてしまったこと。まさか、まさか、彼女についてこんなに思いを深めるとは、不覚でしたね。


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【劇場版魔法少女リリカルなのはシリーズ レヴュー一覧】

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