陽出る処の書紀

忘れないこの気持ち、綴りたいあの感動──そんな想いをかたちに。葉を見て森を見ないひとの思想録。

教員免許更新制への思議 その1

2007-11-29 | 教育・資格・学問・子ども


読者の皆様、ごきげんよう。
最近多方面な話題に顔をつっこみすぎて、なかなか記事がまとまらない管理人です。

このコーナーは、教育関係の話題をあつかうところです。
教育の問題は、アニメ作品や美術とならび私が生涯かんがえ深めていきたいテーマであります。そして、それも私の人生にふかく結びついています。

しかし、私がおよそこの領域によせる関心といいますのは、いささかペシミスティック(悲観的)なるもの。教師にせよ、医者にせよ、政治屋にせよ、えせアーティストにせよ、先生とよばれる職業が好きではありません。身近にいやな例ばかり、わんさかとみてきましたので。そして私自身も彼らにとってみれば、ひじょうに疎ましい存在の生徒であり、患者であり、国民であり、鑑賞者であったことでしょう。

学校は人間が放りこまれる最初の戦場です。
はからずもこれまでの人生の半分以上を教育期間としてすごしてきた私にとって、学校は精神の監獄でした。しかし、いまから思えばいごこちのよい揺籃であった。そこを離れて数年のいま、私が思うことは、あの場所は最後のオアシスであったのだということ。私は教育にまもられていた。そこが自分の貧相なプライドをまもる砦だったということです。おそらく私とおなじように思いなやんでいる方はすくなからずいるのではないでしょうか。社会では学校で学んだ特別なことがすべて無に帰してしまうですから。

さて、いささか私感にはしりすぎたようですので本題に。
第一回の話題は、教員免許更新制についてです。

〇七年六月の教育職員免許法改正(2007年(平成19年)6月27日に公布された「教育職員免許法及び教育公務員特例法の一部を改正する法律」(平成19年法律第96号))により導入。〇九年四月から実施される運びとなりました。イギリス,フランス、ドイツとならび終身有効であった我が国の教員免許は、これにより合衆国の多くの州なみに期限つきとなってしまったわけです。

ちなみに、私自身は教免をもっていません。
大学で取得しようと思ったのですが、日本国憲法をはじめ必修科目の講義内容にまったく興味がもてず落としてしまったこと。美術教諭というのはほとんど採用枠がなく、かつ私じたい実技系ではなかったので指導できるとは思えない。さらに履歴書の飾りをよくするためのペーパーライセンスの勉強にはげむよりは、好きな研究分野の専門書でも漁っていたほうがまし。そんなものぐさな理由から避けていたのですが、今回の改正をみるにつけやはり取得しなくて正解であったと思い至りました。私は自分のような者はとてもひとを育成できる立場にはないと思い、断念したのです。たとえ、うまく実習や試験をのりきって体よく与えられたとしても、それは私にふさわしい資格ではないと。私は資格というのは、仕事に生かされてこそ価値があるものと思っています。
そして、「先生」という呼称は彼(彼女)がなにものであるかではなく、どんなひとであるかによって付されるべきだと考えています。その職業によってではなく、その人徳において。

今回の改正の法を耳にしたとき、安易に教員免許を取得せんとする学生、もしくは教育にかたむける情熱もうしなって惰性で教鞭をとっている教職員の襟をただし、この資格の重みを自覚させるいい機会なのではと、考えていました。じっさい私のまわりでも教職をめざす者の多くは、公務員だからとか、日本育英会の貸与奨学金の返済の免除めあて(ただし現在の独立行政法人日本学生支援機構では廃止されている)であったりしました。
私の中学三年の担任も、新学期早々のホームルームで、自分はほんとうは県庁の職員試験を落ちたのでしかたなく理科教師をしているんだとぼやいていました。彼は体罰こそはしませんでしたが、なにか腹立たしいことがあると、教科書を床に投げつけていました。そして私は彼に教わるクラスで過ごした陰鬱な一年をいまでも忘れることができません。
またとある生物の教師の話。彼は生徒の目前で教室に迷いこんできた野良猫を、三階の教室の窓から落としました。高所から落ちても敏捷な運動能力によって着地することを立証するために。私は化学を選択していたので当時その現場に居合わせませんでしたが、目撃した級友によればその猫、着地した後あきらかに足をひきずっていたそうです。もちろん何のおとがめもなし。受験生ですから内申書にひびくのを恐れて誰もいわなかった。いまのご時世なら、地方紙をにぎわす醜聞にされていたことでしょう。いのちのしくみを教えることはできるが、いのちの大切さを教えることができない。それは生物の教師にふさわしい資質ではありません。

こうした先生にふさわしくない先生を教団に立たせないという名目で、以前から検討されていた更新制。私はとうぜん大喜びでした。しかし、その実情をよくよく知るにつけ、自身が私的な嫌悪感で思い違いをしていたのだと認識した次第なのです。


次回はその制度の概要について、検討していきます。



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