先日所用で神宮前の画廊に出かけた。行きも帰りもJR千駄ヶ谷駅を利用。
帰りに寄ったのが千駄ヶ谷にある榎神社。
鳥居をくぐると石段が本殿まで続く。
小さな神社でお万榎稲荷神社(おまんえのきいなりじんじゃ)というのが正式な名称である。ネットでは次のような記事がある。( )内は夜窓の補足。
「(隣の)瑞円寺の門前へと登る細い坂道は榎坂と呼ばれる。この坂に榎の巨木があったことにちなむとされる。これが「お万榎」と呼ばれる榎の巨木。「お万榎」の名は、仙寿院を創建した、紀州徳川家初代の徳川頼宣の生母であるお万の方がこの木を信仰したことによるという。
お万の方は、瑞円寺住職の叔母でもあったことから、霊木とされたこの榎を度々訪れていたとも伝わる。また、江戸庶民は「古里大明神」という幟を立ててこの榎を祀った。
この榎は、江戸時代初期の大風により折れ、根幹が朽ちて洞穴が開いた後、不思議にも2本の若芽が穴の左右から生じて伸長、人間が逆立ちしたような形になった。
それが女陰のように見えるようになったことから、ある時、この女陰の部分をある男が勝手に自分の女房の女陰の形に加工してしまった。その後、その女房は婦人病になってしまい、榎の祟りと騒がれ、この男は今度は祠を造って祀り、参拝したところ、女房の病気は治ったという。
以降、性的信仰・性器崇拝の対象となって、「榎稲荷」として親しまれ、内藤新宿周辺の遊女や女将などが多く拝みにやってくるようになった。
昭和12年(1937年)に出版された白石実三の著書には、「『千駄ヶ谷の例の榎』と言っただけで、誰もにやっと笑う」と書かれ、相当有名だった。それによれば、「女陰の形をしている榎なのであるが、決して猥褻な感じは起こらない。淫らな気持ちなどは少しも起こさせない。むしろグロだ、滑稽だ」ったという。さらに、「加藤玄智博士の英文『日本人の性器崇拝』でロンドンに紹介され、いまでは学会に貴重な世界的の名物である榎だ」ったという。「二股の榎が、根本で又(クロス)をなすところは、幕をはって隠してあって、そこに『榎明神』だの『ふるさと大明神』だのという小旗が大真面で立ててある」。
「お万」は「OMANKO」とも音が通じている。広く親しまれた榎と稲荷だったが、昭和20年(1945年)5月、米軍による空襲で被災し、焼失した。戦後、瑞円寺の裏側、榎坂の入口から分かれて鳩森八幡神社方面へと登る坂の途中に移築・再建された。
現在、傍らには、お万榎と稲荷の縁起と由緒が書かれた石碑があるが、これは瑞円寺と仙寿院によって昭和25年(1950年)5月に建てられたもの。現在も商売繁盛、縁結び、金縁、子授かりや子供の病気平癒などの信仰を集める」(神社と古事記 より)
鳥居をくぐった先にある石の祠。
ここで書かれている榎の巨木はもうない。ワタシは性的信仰・性器崇拝の対象としての神社というより、写真に収めたような観音像と岩の間に棲むお狐さまに強く惹かれた。
観音様が神社に祀られているわけは引用した記事から推察できるが、どこか隠れキリシタンのマリア観音像を思い起こさせるような姿が印象的である。お狐さまはもしかすると、戦災から残ったものであるかもしれない。
隣接する瑞円寺と、すぐそばの鳩森神社に挟まれた小さな神社である。
穏やかな佇まいの観音像。
岩のあいだに棲むお狐様。
お狐様はどれも傷みが激しい。