今日7月24日は河童忌、餓鬼忌、芥川龍之介の命日。
墓マイラー的な記事が続いてしまう(笑)。
芥川龍之介
10数年前、巣鴨に仕事場があったころ、
芥川龍之介の墓がある巣鴨の慈眼寺(じげんじ)に行ったことがある。
染井霊園のすぐ脇の寺である。
芥川龍之介の墓。本人の遺言で愛用の座布団と同じ寸法で造られている。
同じ墓所には谷崎潤一郎の墓もある。
1892年生まれの芥川龍之介が亡くなったのは1927年、35歳の時。
谷崎潤一郎は1886年生まれ、1965年に79歳で亡くなっている。享年79。
谷崎が6歳年上である。
慈眼寺の谷崎潤一郎の墓。
谷崎が亡くなったのは7月30日だからもうすぐ谷崎忌ということになる。
この忌日はなんと呼ばれているのだろう。
〈卍忌〉か〈陰翳忌〉か?実際はそのまま〈谷崎忌〉と呼ばれている。つまらんね。
この二人の論争は〈「小説の筋」論争〉でよく知られているが、
同じ墓所に眠っているとは知らなかった。
谷崎の墓はこの慈眼寺と、もう一ヶ所京都の法然院にある。
分骨である。
〈寂〉と刻まれた法然院の谷崎夫妻の墓。
少し離れたところに〈空〉と刻まれた谷崎夫人の妹夫妻の墓がある。
〈死ねば死にきり、自然は水際立っている〉とは
吉本隆明が高村光太郎の詩から引用した言葉だ。
たしかにその通りなのだが、墓はまた違った感慨をもたらす。
そこに死者の魂がやどっているはずもないし、そもそも魂などあるはずもない。
しかし故人の〈生き死に〉の結果として残された墓は
残された者に何かを語りかけてくるようでもある。
それはまた死を定められた人間のもっとも弱い部分なのかもしれない。
芥川龍之介の俳句
薄曇る水動かずよ芹の中
木がらしや目刺にのこる海のいろ
たんたんの咳を出したる夜寒かな
元日や手を洗ひをる夕ごころ
笋の皮の流るる薄暑かな
据ゑ風呂に犀星のゐる夜寒かな
お降りや竹深ぶかと町のそら
初秋の蝗つかめば柔かき
老咳の頬美しや冬帽子
水涕や鼻の先だけ暮れ残る
谷崎潤一郎の俳句
座布団を猫に取らるゝ日向哉