京王観音講の発祥は1943年だが京王電鉄の当時の社名は京王帝都電鉄。
この社名は1998年まで使用されている。
〈帝都〉とは〈大日本帝国の首都〉または〈皇居のある都〉のことだが、この名称が1998年まで使われていたのは驚きである。
まあ帝国ホテルや帝国劇場、タクシーの帝都自動車交通など〈帝都〉はまだしぶとく生き延びているが。
本堂の前の天水桶の龍はなかなかの迫力。金属製の鉢だが、桶と呼ぶらしい。
本堂。
よく手入れの行き届いた境内を歩き、脇門を出て正面の山門から入り直す。
とりあえず脇門と書いたが、正式な呼び名がわからない。
山門。本堂や客殿よりは古いもののようだ。
池には鯉が泳いでいる。
梅洞寺を出るとすぐ隣りが打越八幡社である。
広い境内には人影はなくガランとした寒々しい印象。
暖かい日なら子どもたちが遊んでいるのだろうか。
この神社は文治2(1186)年に鎌倉の鶴岡八幡宮を、旧別当の薬王寺の境内に勧請したのが始まりと伝えられている。
社殿は昭和11(1936)年に再建されたものとのことである。
社殿の裏にある覆屋のなかには古い社殿が保存されているようだ。
もしかするとこれが本殿なのかもしれない。
社殿。
社殿の裏を一回りしてみた。
社殿に向かって左には〈危険につき立ち入り禁止〉の立て札が立つ。
その広場の中央には立派なケヤキが聳える。
とくにフェンスなどで囲まれているわけではないから、入ろうと思えばカンタンに入っていける。
神楽殿は三方吹き抜け。
鳥居は前後に本体の柱を支える稚児柱を持つ両部鳥居である。
〈両部〉とは密教の金胎両部(金剛・胎蔵)のことで、神仏習合を示す名残りだが別名として四脚鳥居、稚児柱鳥居、権現鳥居、枠指鳥居などの別名がある。
八幡社をあとに湯殿川をにかかる橋を渡って、北野駅からバスで帰宅。
湯殿川。多摩川水系の一級河川で、浅川(南浅川)支流になる。別名小比企川、時田川。
約2時間半の散歩終了。