このお札(ふだ)を手に入れたのは7年ほど前だったか。東京は江東区の富岡八幡宮の骨董市で、うず高く積まれた古紙の中から見つけ出した。摺りものではない。筆で描かれたものである。
左右178㎜ 天地275㎜のお札。
店主にこれはどこから出たものだろうと尋ねたが「ちょっとわからないね、いつごろのものかもわからない、そこそこ古いようだけど」とのことだった。古紙など適当に古いものをかき集めて売るだけであるから、いちいち調べていたのでは商売にならないのだろう。しかし、買う方はそうはいかない。なにか手がかりを掴みたいから、店主に聞いてみるのである。
描かれているのは玄武(亀と蛇が合体した想像上の動物で北方の守り神。1972年に発見された奈良県高松塚古墳の北壁に描かれていた四神のひとつとしてよく知られている)と、その上に乗る妙見星神(妙見菩薩)、頭上には北斗七星が描かれている。その上に位置するのはオリオンの三ツ星だろうか。
妙見信仰はインドに発祥した菩薩信仰が、中国で道教の北極星・北斗七星信仰と習合し、仏教の天部(インドの古来の神が仏教に取り入れられて護法神となったもの)のひとつとしてこの列島に伝来したものである。7世紀(飛鳥時代)のことで、高句麗・百済出身の渡来人によってもたらされたものと考えられる。
1972年の発見当時の玄武。高松塚古墳の壁画。
上記が妙見信仰についてのおおよその知識であるが、これだけではこのお札の出自はわからない。こちらの無教養もあってそれ以上の追及は諦め、ときどき取り出して眺めたりしていた。柔らかな線で描かれた妙見菩薩は優しい表情を浮かべている。玄武の顔もどこかユーモラスである。妙見菩薩の画像をインターネットで検索すると、この絵のように優しい表情をしたものから、剣を振りかざし、憤怒の表情の像まで様々な姿をした妙見菩薩の像容があることがわかる。
雑誌『銀花』のバックナンバーを見ていてこの絵とほぼ同じ版画を見つけた。妙見星神と書かれた北斗七星を挟んだ反対側に秩父神社とある。妙見星神の表情はやや硬いが、描かれた内容は同じである。これをひとつの手がかりとして、埼玉県の秩父神社を訪ねてみることにした。それについては次回に書いてみる。
季刊『銀花』36号(文化出版局/1978年)に掲載された妙見星神の版画。