散歩と俳句。ときどき料理と映画。

妙見星神 その二 秩父神社

秩父神社。

埼玉県秩父市にある秩父夜祭りで有名な秩父神社の創建は、三世紀後半のことらしいがはっきりしない。四柱の祭神のひとつが、北辰妙見として鎌倉時代に合祀された天之御中主神(あめのみなかぬしのかみ)である。ほかの三体は八意思兼命(やごころおもいかねのみこと)、知知夫彦命(ちちぶひこのみこと)と、1953年に合祀された昭和天皇ヒロヒトの弟、秩父宮雍仁親王である。ヒロヒトは戦後神からニンゲンになったのだが(笑)、弟は死んで神となり。この秩父神社で祀られているらしい。秩父繋がりであろうか。 秩父神社を訪ねたのは一昨年11月上旬の平日だったが、七五三が近いこともあり境内は混雑していた。お札授与所で巫女さんに、持参した雑誌『銀花』の秩父神社の板画と墨絵を見てもらって、同じようなお札はありますかと尋ねた。ございますよ、と奥から持ってきてくれたのが写真のお札である。持参した絵とほとんど同じ絵柄だが、当然これは印刷物である。一枚700円ということなので買い求めた。混雑した授与所ではお札の由来を訊くこともできず帰路についた。

秩父神社のお札授与所で買ったお札。印刷されたものである。

秩父はかつて養蚕業の盛んな地域であった。秩父夜祭り自体、「お蚕祭り」とも呼ばれていた。秩父神社の「霜月大祭」(秩父夜祭りの古い呼称)では絹大市も行われ、その市に遠方から来る人々を楽しませるために始められたものが、笠鉾・屋台などの「付け祭り」だとされる。秩父夜祭りと養蚕業、そして妙見信仰は切っても切れない関係がある。するとこの絵の妙見星神の後ろに描かれている植物は、神道においてお祓いなどで使用される榊ではなく桑ということになる。 インドに発祥した菩薩信仰が、中国で道教の北極星・北斗七星信仰と習合し、仏教の天部の一つとしてこの列島に伝来、妙見星神という民間信仰の対象となり、遠く秩父の地で庶民の暮らしをささえた養蚕業の神様になるという、不思議な巡り合わせについて思いを馳せるのは楽しいものである。

余談だが本郷の住人から借りた『石佛十二支・神獣・神使』(森山隆平・著/弘生書林/1983年)という全国の石佛を紹介した本読んでいて、面白い写真に出会った。長野県青木村修那羅山に祀られている蚕姫神の石像である。その姿は妙見星神とほとんど変わらない。写真でははっきりしないが、蚕姫神は玄武に乗っているようにも見える。そしてこの姫神が手にしているのは桑の枝である。

『石佛十二支・神獣・神使』に掲載された蚕姫神の石像。

名前:
コメント:

※文字化け等の原因になりますので顔文字の投稿はお控えください。

コメント利用規約に同意の上コメント投稿を行ってください。

 

  • Xでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

最新の画像もっと見る

最近の「歴史」カテゴリーもっと見る

最近の記事
バックナンバー
人気記事