歌舞伎見物のお供

歌舞伎、文楽の諸作品の解説です。これ読んで見に行けば、どなたでも混乱なく見られる、はず、です。

「三人吉三巴白浪」 さんにんきちさ ともえのしらなみ 2

2014年06月08日 | 歌舞伎
前半、「大川端」の解説と、細かいウンチクは=こちら=です。
1万文字超えたので分けました、すみません。

ここは通し上演のときの後半部分です。筋が入り組んでいるので少し細かく書いてあります。

・「土左衛門伝吉内」どざえもん でんきちない
この「内」というのは「○○さんの家の中」みたいな意味です。
下手に出入り口がある、だいたい決まった形の家のセットがあるので、その中でお芝居が進行する幕、と思えばいいです。

「土左衛門(どざえもん)」というのは水死体のことです。水死体というのは水を吸って大きくふくれるらしいです(見たことない)。
昔、成瀬川 土左衛門(なるせがわ どざえもん)という名前のすごく太った相撲取りがいました。膨らんだ水死体の様子が彼に似ていることから、水死体は「土左衛門」と呼ばれるようになりました。一応説明。
伝吉さんは大川(隅田川)に身投げなどの水死体が上がるたびに、引き上げて供養しているので、「土左衛門 伝吉」と呼ばれていますよ。

この伝吉さんは前半部分で川に落とされた夜鷹のおとせちゃんのお父さんです。 そして界隈の夜鷹たちを取り仕切る仕事をしています。
路上売春の元締め、しかも実の娘に売春させるなんて!! 現代の感覚だとかなりの悪人ですが、
この伝吉さんはいい人です。夜鷹をする娘たちは、誰かが仕切ってトラブルから守ってやらないとむしろ危険なのです。貧乏で不幸な娘たちの世話人みたいな感じで見てください。
娘に夜鷹やらせる点ですが、
まあ、他の娘もやっているわけですし、「これで普通」という感覚なんだと思います。多少後ろめたいキモチはあるようです。

この幕の中心は、前の幕で百両盗られて殺されたおとせちゃんと、おとせちゃんが探していた若者、十三郎(じゅうざぶろう)くんです。

おとといの夜仕事に出たきり帰って来ないおとせちゃん、伝吉さんが心配していたら、八百屋の九兵衛(きゅうべえ)さんが連れてきてくれました。
川に突き落とされたおとせちゃん、運よく船で通りかかった九兵衛さんに助けられたのです。
しかも、彼女が探している百両落していった若者は、どうも九兵衛さんの息子のようなのです。お金なくした責任取って身投げでもしていないかと心配する二人。
そしたらなんと、その若者、十三郎くんは伝吉さんが助けて、家に連れてきていたのです。
お互いの無事を喜ぶおとせと十三郎、どうも恋に落ちたようですよ。
十三郎の事情を知った伝吉さん、百両何とかしてやりたいと思います。アテはないけど。
十三郎くんを自分にあずけてくれと言われた九兵衛さん、息子の身の上話をします。
十三郎くんは捨て子なのです。赤ん坊のときに拾いました。
本当の息子は、そのちょっと前にかどわかされて(誘拐されて)いなくなってしまったのです。5歳でした。探しているときに十三郎くんを見つけました。九兵衛さんの本当の息子はお七といいました。女の子の名前を付けて女の子として育てていたのです。

そんなこんなで十三郎くんを預けて帰っていく九兵衛さん。

そこに、和尚吉三(おしょう きちさ)がやってきます。
和尚吉三は、おとせちゃんとずいぶん年が離れていますが、伝吉さんの息子なのです。
悪い事ばかりして親の家に寄りつかない和尚吉三ですが、たまにやって来たので、手みやげに百両、伝吉さんに渡します。
しかし伝吉さんは「そんな怪しげな金はいらん」とお金を叩き返します。
よく考えたら十三郎くんが落とした百両をおとせちゃんが拾い、お嬢がそれを奪って、お嬢とお坊が取り合って、和尚吉三の手にはいったのですから、これはまさに探しているその百両なのです。もらっておけばいいのですが知らないので仕方ありません。
和尚吉三を追い返す伝吉さん。

和尚吉三が帰ったあと、伝吉さんのひとり言シーンになります。
おとせちゃんには、本当は双子の兄がいました。昔は双子は縁起が悪いという人もいたので、伝吉さんは男の子のほうを捨てたのです。
その男の子が十三郎くんです。おとせちゃんと十三郎くんは兄弟なのです。
さらに、伝吉さんはひと幕目でちらっとセリフで出た悪人の海老名軍蔵に、昔仕えていました。
軍蔵の命令で庚申丸を盗み出したのは伝吉さんです。
そんなこんなで伝吉さんは、その後奥さんが赤ん坊と一緒に身投げして死んだり色々悪いことが起こり、因果応報が身にしみたので悪いことは一切やめたのです。
大川(隅田川)の土左衛門(水死体)を引き上げては供養するのもそんな理由からです。

これだけの内容を独り言で語るのは演出上間が持たなくてムリがありそうに思うかもしれませんが、
作者の黙阿弥は、リアルな世話物を得意としながら作品中に昔ながらの浄瑠璃(役者さんのセリフとは別に語りが入る)を使う人なので、このセリフも浄瑠璃とセリフとかわりばんこで語るので違和感はないです。

追い返されたけど、戸口で父親の独り言を聞いていた和尚吉三、どうしても父親の役にたちたくて、こっそりお金を仏壇に置いていきます。
お金に気付いた伝吉さん、まだオモテをウロウロしていた人影にその百両を叩きつけますが、それは和尚吉三ではなく、釜屋武兵衛(かまや ぶへえ)という人でした。この人は現行上演ここと、次の幕しか出ないのでどんな人かあまり気にしなくていいです。おとせちゃんをお嫁に欲しくて以前から伝吉さんの家に通って来ていた人ですよ。
気付いて悔しがる伝吉さんですが、もう間に合いません。

お竹蔵の場

さっきお金をもらった武兵衛さんですが、通りかかったお坊吉三にあっさりその百両を巻き上げられ、退場します。以後出番ありません。
お坊吉三に追いついた伝吉さん、やはり百両は必要です。なのでお坊吉三に「なんとかその金貸してくれ」と頼みます。赤の他人に普通はこんな事言いませんが、目の前でカツアゲしてたお金ですから、頼みやすいです。
断るお坊、あれこれあって、お坊は食い下がる伝吉さんを斬り殺してしまいます。
伝吉さんを探しにきた十三郎くんとおとせちゃん、死体を見てびっくりです。
そばに、小柄(こづか)が落ちていますよ。って、小柄というのは、刀の鍔(つば)のところにうまく差し込んである小さい刀です。手裏剣みたいに投げたりできます。
ふたりがこれに気付いた瞬間、隠れていたお坊が石を投げて提灯の火を消して暗闇にします。
というこの最後のシーンは、ここに書いておかないと何が起きたか絶対わからないと思うので、ストーリー上はあまり意味がないシーンなのですが説明しておきます。

巣鴨吉祥院の場

じつは、初回上演の本来の脚本ですと、前の「伝吉内」の場面とこの場面との間に、1年の歳月が流れています。
その間にいろいろ事件があったのですが、今出る筋にはあまり関係ないのです。
正確には、上の「お竹蔵の場」も、1年後の場面なのですが、運良く偶然ハナシがつながるので、そのままつなげて出しています。
お坊、お嬢、和尚、三人の吉三はあれからそれぞれ悪事を働いていますが、1年の間にあまりいいエモノを見つけられず、みんな少々落ちぶれています。 
また、そろそろお奉行所のチェックも厳しくなってきました。そろそろ捕まりそうです。今度捕まったら、生きては出られないでしょう。

さて、吉祥院の場面です。
なぜこのお寺が「吉祥院」かというと、つまり「吉三もの」だからです。
八百屋の娘のお七と寺小姓の吉三郎が恋に落ちた場所が、吉祥院ですよ。
今も文京区白山(昔はここまで巣鴨村)に「八百屋お七の墓」がありますよ。白山通り、坂を下りきって三叉路になっているあたりです。

和尚吉三は、今は荒れ寺のこの吉祥院に住んでいます。
寺守の源次坊(げんじぼう)さんが買い物とかしてくれています。この人は途中で裏切ったりしないので、安心して見ていていいです。
和尚吉三が留守の間にお坊吉三がやってきます。前の幕で百両手に入ったので、
江戸にいるとそろそろヤバいし、東北のほうにでも逃げようと思い、和尚にあいさつに来たのです。
源次坊さんも買い物に行くので、お坊はそのへんに隠れて和尚を待つことにします。

和尚は、帰ってきたところを捕り方に囲まれます。しかしお坊吉三とお嬢吉三を捕まえれば許してやる、と言われます。
和尚は引き受けます。

寺に入って、お坊と和尚の会話、 
お坊吉三は、前も書きましたが、もとは旗本の息子です。父親は、最初のほうで説明した安守源次兵衛(やすもり げんじべえ)です。名刀「庚申丸」を盗まれて切腹、お家が断絶になった人です。 
庚申丸を盗んだのは伝吉さんなので、お坊が今浪人しているのは死んだ伝吉さんのせいですよ。
お坊は、じつはお家再興のために今も庚申丸を探しています。

おとせちゃんが十三郎くんと一緒に、兄である和尚吉三を探しにやってきます。 父親が殺されたので敵を討ちたいという相談です。
あと、ふたりは好き合って、夫婦になりました。落とした百両の問題も片付いていないのでいろいろ助けてほしいと頼みます。
犯人の遺留品として、落ちていた小柄を見せるふたり、さっきお坊が見せてくれた脇差と同じデザインです。
あいつか!!

とりあえず、話があると言って、寺の裏のお墓に行く三人です。

隠れて話を聞いていたお坊は、自分が殺したのが和尚の父親だと知ってショックを受けます。申し訳に死のうとします。
そこに、お嬢吉三が声をかけます。お嬢もお寺の天井の飾りの中にずっと隠れていたのです。
十三郎くんを拾って育てた八百屋の九兵衛さん、その本当の子供は、どうもお嬢吉三のようです。
十三郎とおとせが困っているのも、伝吉さんが死んだのも、思えばお嬢がおとせちゃんから百両取ったからです。悪事の因果を思い知ったお嬢も一緒に死ぬと言い出します。

裏のお墓
イキナリ刀を抜いて、ふたりにきりつける和尚吉三。
捨て子だったのを、八百屋の九兵衛さんに拾われた十三郎くん、本当は、おとせちゃんと双子の兄妹ですよ。
夫婦になったら近親相姦です。
当時はそういう言い方はせず「畜生道」と言います。仏教的意味での「畜生道」の解釈の変化についてはここでは割愛します。 とにかく「道義にはずれた行い」です。
しかし、ふたりにその事実を告げて苦しめるには忍びない和尚吉三、
「おまえたちの敵(かたき)は、お坊吉三とお嬢吉三だ。しかしふたりは自分と義兄弟だ。義兄弟の敵(てき)であるおまえたちは、俺にとっても敵だ。義兄弟の義理を捨てるわけにはいかない。
ここでおまえたちを殺して、その上でおまえたちの代わりに父親の敵(かたき)は取ってやる。
だから、ここはおまえたち、俺に殺されてくれ」
だいたいそんな理屈です。
畜生道に落ちて、しかも本気で愛し合っているふたりを生かしてはおけない、とは言えないが故の苦しい理屈ではあります。
しかし、おとせも十三郎も、一度は死にかけた身、自分たちが死んで父親の敵を討ってもらえるなら、と素直に死んでいきます。
ここで、一度切られた二人が和尚吉三の言葉を聞いて死ぬまでの間、肌脱ぎになって襦袢一枚で苦しむのですが、
この襦袢はあらかじめ、血しぶきのような模様になっており、また、それは、犬のブチ模様のようにも見えます。
作品中、最もドロドロした凄惨な雰囲気の場面です。

もとの本堂、
死のうとするお嬢とお坊を、和尚吉三が呼び止めます。十三郎くんとおとせちゃんの首を持っています。
お坊吉三が殺した伝吉さんは、命令されてやったとはいえ庚申丸を盗み出した張本人、いわばお坊の父の敵です。伝吉さんを殺したことについて和尚吉三は恨みはない、と言います。
こうやって、うまく二人のニセ首が手に入った。なんとか役人をごまかすから、二人はなんとか逃げて、この機会にカタギになれ、という和尚吉三。
感激した二人は、それぞれ持っていた百両と刀を、お別れに和尚吉三に差し出します。
そしたら、今まで百両ばっかり気にしていて誰も気付かなかったのですが、
お嬢が持っている刀こそが、探していた庚申丸じゃありませんかー!! 驚く3人、
これさえあれば、お坊はお家再興がかないますよ。
そしてお嬢は、死んでしまったとはいえ十三郎くんの横領疑惑を晴らすために、この百両を彼の働いていたお店(おたな)に届けることにします。
待ちくたびれた討手が攻め込んで来る前に、逃げ出す二人、ニセ首を持って討手を待つ和尚吉三
でこの場面終わります。

本郷火の見櫓の場

江戸時代、辻々に木戸があったのは確かですが、毎晩閉まって庶民の通行を遮断したわけではないようです。みなさんけっこうひと晩中ウロウロしていましたし。
しかし、大きい捕り物のあるときなどは、この木戸が閉まりました。
和尚吉三の用意したニセ首はばれてしまい、逃げた三人を追い詰めるために木戸が閉まっています。
それぞれ百両、庚申丸を、望む相手に届けたくていらだつお嬢吉三とお坊吉三、迫る追っ手、
木戸番は「罪人が捕まったら火の見櫓の太鼓を叩く決まりだ。太鼓が鳴るまでは木戸を開けない」といいます。
ならば、と自ら櫓(やぐら)に登り、太鼓を叩くお嬢吉三、お嬢を守るために討手と闘うお坊吉三、
和尚吉三もやってきます。
そこに、八百屋の九兵衛さんが通りかかります。お嬢吉三の実の親であり、十三郎君の育ての親でもある九兵衛さんは、なんと、お坊吉三の実家、安森家の出入りの八百屋さんでもありました。
正直ものの九兵衛さんに百両と庚申丸をあずけた三人、これでもう安心です。
もう逃げられないと悟った三人、ついに、三つ巴になって刺し違えて果てるのでした。

盗人、悪人は最後には死ぬか捕まって罰を受けるかという、勧善懲悪のセオリーが作者である河竹黙阿弥(かわたけ もくあみ)の、江戸期の作品の定番です。これも、そのセオリーに沿ったラストになっていますよ。

原題は「三人吉三廓初買」さんにんきちさ くるわのはつがい といいます。

もともとはお坊吉三の妹が、お家の没落とともに一重(ひとえ)という遊女になり、お客の文里(ぶんり)という男と恋に落ちる筋と、このお話とが同時進行するお芝居です。なのでこういうタイトルだったのです。
もともとは、当時大人気だった実力派役者、二代目市川小団次が、すごみのある悪党である和尚吉三と、落ち着いたオトナの金持ちで、遊女と純愛をする文里という対照的な2役を演じ分けるのが見どころの一部でした。
現行上演ですと、お坊吉三の出番があまりなく、存在感がないのですが、
お坊は、一重のいる遊郭の客として「文里」のほうの場面にも出るのです。関係のないふたつのストーリーをつなぎ合わせているのがお坊です。

今はこの一重と文里に関する部分は完全カットなので、現行の「…巴白浪(ともえのしらなみ)」というタイトルが正式名称のようになっています。

=大川端=に
=「厄払い」全訳に=

=50音索引に戻る=


最新の画像もっと見る

2 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
Unknown (Unknown)
2015-12-14 08:27:08
初演は二代目市川小團次ではなく、四代目市川小團次ですよ。
とても分かりやすかったです。 (通りすがり)
2018-12-28 20:46:05
シネマ歌舞伎で初めて三人吉三を観て、歌舞伎に興味を持った者です。
台詞の意味などは分からないながら、情景の美しさを楽しみつつ見ておりましたが、こうして細かいところまで観察すると本当によく出来たお話なのですね。
知りたいと思っていた、当時の慣習や、台詞の引用元などにも詳しく解説してくださっていて、三人吉三のお話をより深く理解することができました。
とても面白い記事です。
ありがとうございました。

コメントを投稿