歌舞伎見物のお供

歌舞伎、文楽の諸作品の解説です。これ読んで見に行けば、どなたでも混乱なく見られる、はず、です。

「摂州合邦辻」 せっしゅう がっぽうがつじ

2010年12月06日 | 歌舞伎
大阪、摂津にかなり古くから伝わる伝承に「俊徳丸(しゅんとくまる)もの」というのがあります。
摂津の国、高安(たかやす)の城主の息子、俊徳丸(しゅんとくまる)が、讒言のために父親に追放され、盲目となってさまよい歩く、というモチーフです。
舞台は常に大阪の四天王寺です。
最後は四天王寺に参詣に来た高安城主が俊徳丸に気付き、後悔して屋敷に連れ帰ります。

盲目でボロボロの乞食になっても、貴公子然とした気高さを失わない俊徳丸の様子は文芸家たちをインスパイアしたようで、
中世以前から民話や伝承がいくつもあったようです。古い説法の「しんとく丸」が有名です。

これらの先行作品から、能の「弱法師(よろぼし)」が作られました。
この「摂州合邦辻」は、さらにそのメタファー作品です。

歌舞伎の「合邦辻」では、これに特別な要素が加わります。
これまでも、継母が実の子に家督を継がせようとして俊徳丸を呪う、という設定はあったのですが、
この作品では、若い継母の「玉手御前(たまてごぜん)」が、俊徳丸に恋をして無理やり言い寄る、という展開になり、
この部分がお芝居の中心として描かれます。

この展開は、同じように古い伝承である「愛護若(あいごのわか)」のほうがモチーフであろうと思います。
主人公の名前は「俊徳丸」ですが、この作品は「愛護若」とのハイブリッド作品と言ってもいいように思えます。

というように、原型からかなりアレンジが進んでおり、また、作品の一部しか出ないこともあって、
すでに俊徳丸は主人公ではなく、かなり受け身な役回りで目立ちません。
とはいえ、俊徳丸に存在感がないと、お芝居が成り立たないのは間違いのないことです。

・「合邦庵室(がっぽう あんじつ」

庵室(あんじつ)というのは、、出家隠棲しているひとのおうちです。
出家している「合邦(がっぽう)」さんという人の家ということです。

現行上演、この場しか出ません。この前の部分については、下のほうにざくっと書きます。

出家した人のものなので粗末な作りの家です。近所のお年寄りが集まって仏事をしています。お坊さんもいます。
合邦さんは出家していて僧衣もきていますが、いわゆる「在家出家」ですので、お寺にいるプロの「お坊さん」ではありません。
なので正式な法要などでお経を読んでほしいときはお寺の「お坊さん」を呼ぶのです。

これは誰を供養する仏事かと問われて、合邦の奥さんのお徳さん(文楽だと名前ありません)がちょっと困ります。
娘の、と言いかけて、「行方不明になった知り合いの」と言います。
細かいシーンですが、後半へと続くつらい事情を知っていると悲しいシーンです。
お客さんとお坊さんが帰って、奥で寝ていた合邦が出て来ます。

現行上演ではここで状況説明のセリフになります。

娘の「玉手(たまて)」は若様に恋をしかけた挙句、お城を逃げ出しました。とんでもないことをしました。
追っ手もかかっています。たぶん生きてはいません。
名前を隠してこうやって供養していますが、お母さんのお徳さんは悲しくてしかたありません。
お父さんの合邦に悲しみを訴えますが、合邦は意地を張って「あれはもう縁を切ったのだからもう娘じゃない、しかも不忠ものから死んだって悲しくない」と言います。

「お辻(おつじ)」と呼ばれていた娘が、高安のお城に腰元奉公に行き、やがて城主の高安さまに見初められて後妻になります。
今は「玉手」と呼ばれています。
出世した娘にタカるような親と思われるのは恥なので、合邦さんは親子の縁を切ったのです。

合邦は、もともとは名のある武士、というかお大名でした。なのでプライドも高く、責任感も強いです。
娘が心配でしかたないのですが、態度には出せないのです。
とはいえ言葉のはしばしに、やはり娘を思う気持ちがあらわれます。

ここで玉手が戸口にやってきます。雪の中、暗闇に黒い衣装の玉手の姿が浮かび上がる、美しい、有名な場面です。

最初は罪人である娘を家に入れるなと行った合邦ですが、「娘は死んだ、これは幽霊だ」という母のお徳さんが言うので、
幽霊なら入れてやって、茶漬け一杯、
…手向けてやれ(幽霊だから)、
と言います。
「幽霊もざそ、ひだるかろ」 というのが、娘が心配でしかたがない合邦の心情を表した有名なセリフです。
「ひだるい」は「ひもじい」の意味です。今はセリフじたいが「ひもじかろ」になっているかもしれません。
「ひもじい」も最近通じなくなって、「腹が減ったろう」になっているかもしれません…。

玉手と両親との会話になります。

玉手はお殿様の後妻です。なのでお殿様の息子の「俊徳丸」さまは、玉手にも義理の息子になります。
玉手はこの俊徳丸さまに言い寄ったのです。

今は玉手はいわゆる「立女形(たておやま)」の役ですので、多少年配の役者さんがなさいます。なので実感がわきにくいのですが、
セリフで、というか浄瑠璃の語りで「十九や二十歳(つづやはたち)」と言っています。それくらいの年齢です。
息子の俊徳丸さまのほうが歳が近いのです。なので恋愛感情としては無理はないのですが、やはり立場上はナシです。

俊徳丸さまに言い寄ったなんて嘘だろうと聞く母親ですが、
玉手は逆に、本気で俊徳丸さまが好きだから、ふたりの仲を取り持ってくれと頼みます。常軌を逸してます。

怒った父親の合邦が、お殿様への申し訳に玉手を殺そうとしますが、母親がどうにかとめて「死ぬのが嫌なら尼になれ」と勧めます。
玉手はもちろん断ります。
お屋敷を抜け出して来たからには、これからは色町風のファッションで垢抜けたかんじにするつもりだ。
そうすれば俊徳丸さまにも好きになってもらえるはず。髪を剃るなんてとんでもない。
みたいな感じです。
御殿女中や奥方さまのファションは、今みるとりっぱで優雅に感じますが、当時はやはり「古臭くてダサい」ということだったようです。

怒り狂う合邦ですが、なんとかお徳さんがなだめて、現行上演はここで一度3人で引っ込みます。

門口に派手な衣装の強そうなお兄さんがやってきます。奴さんの「入平(いりへい)」です。味方です。
俊徳丸と、いいなずけの浅香姫を探しにきたのです。

家の中には、俊徳丸さまと浅香姫が出てきています。
俊徳丸さまはもとは美青年ですが、謎の病気で今は皮膚がただれ、目も見えません。
今はあまり出ない、ここの前の場面で、その状態で天王寺の境内でさまよっていたふたりを合邦が助けて、この家にかくまっていたのです。

「しんとく丸」「弱法師」等の先行作品にある、大阪天王寺の境内をさ迷う盲目の俊徳丸というモチーフは、この場面で生かされています。
本当は出したほうがいいのかもしれません。

今の自分たちの状況もたいへんではあるが、玉手のことがむしろ心配だ。とにかく困った状況であるなあ、みたいな話をしてふたりは嘆きます。

ふたりの声に気付いて入平が入ってきます。
俊徳丸さまについては、病気も大問題ですし、玉手の求愛にも困っているのですが、
逃げている最大の理由はそれではありません。
浅香姫に横恋慕し、家督の相続を望む義兄(妾腹)の「次郎丸(じろうまる)」が、俊徳丸さまの命を狙っているのです。とても危険です。

次郎丸ははそろそろここにも気付きそうです。逃げたほうがいいです。

とか相談していると、玉手も俊徳丸さまに気付いて奥から出てきます。
俊徳丸に猛烈アタックする玉手。
今の俊徳丸は皮膚がただれ、目も見えません。前のような美青年ではありません。
「こんな姿ですから、もう嫌いになってください」という俊徳丸に、玉手は、「その病気はわたしの仕業」と言います。ええええ?

お芝居の最初の段で、住吉神社に行ったときに玉手が俊徳丸に酒を飲ませます。
アワビ貝を杯にして飲ませたその酒が、毒酒だったのです。

お前のせいか!!
驚く一同、怒る入平が玉手をいさめますが、玉手は聞く耳を持ちません。

ここでの入平の意見が「あなた様はなァ」で始まりますが、
これは、忠義ものの奴さんがご主人など身分の高い人に意見するときの定番の言い回しです。
入平は特に重要な役ではないですが、華やかで力強く、老人や弱そうな女子や病人ばかりのこの舞台に生命力を与えます。

玉手は実力行使に出て俊徳丸さまを追い掛け回し、さえぎろうとする浅香姫を突き飛ばして乗りかかってバシバシ叩きます。怖いです。

今の玉手の雰囲気ですと、年増女が若い娘に嫉妬して苛めているような印象の舞台になりますが、
さきほども書いたように「十九や二十歳(つづやはたち)」なのです。けっこう若いのです。
なのでもともとはここは、若い娘同士のオトコの取り合いという図式です。キャットファイト!!

あまりの玉手の狼藉にたまりかねた合邦。このままでは浅香姫や俊徳丸さままで危ないです。
ついに飛び出して刀を抜いて玉手を刺します。

刺した後も、怒りにまかせて玉手を罵る合邦ですが、それをさえぎって、玉手が思いもよらない告白を始めます。
ここからがお芝居の見せ場なのですが、
セリフだけなので聞き取れないとつらいかもしれません。以下書きますのでがんばって楽しんでください。

・高安さまのお妾の子の次郎丸は家督を狙っている。もともと俊徳丸が生まれなかったら自分が跡継ぎだったのに!!
なので俊徳丸を殺そうとして、悪い家来たちと策を練っている。
・それに気付いた玉手は、わざと俊徳丸を口説いた。毒を飲ませたのも、病気になって俊徳丸が跡継ぎになれなければ、命は助かると思ったから。
・合邦が、「それなら父親の高安さまに言えばいいだろう」と突っ込みますが、
そうすると高安さまは厳格なタイプだから次郎丸は殺されてしまう。
自分にとっては俊徳丸さまも次郎丸さまも同じように大事な継子であるから平等に接しなくてはならない。
死んだ前の奥様もそういう気持ちでいて、子供たちのことをずっと気にかけていた。
前の奥様への義理もあるし、継母としてえこひいきはしたくない。次郎丸を殺させるわけには行かない。
俊徳丸が病気になって次郎丸さまが城主になればみんな命が助かって丸く収まる。
そう考えたというのです。

…そんな性格悪いのが城主になったらたいへんだろ!! という視点はすっぽり抜け落ちているようです。…いいのか。

俊徳丸の病気は命にかかわるものではない。自分なら治せる。そのために後を追ってきた。
ずっと持っている、以前毒酒を飲ませたアワビの貝の杯、
これに、寅年寅の月寅の刻に生まれた女、つまり自分の血を入れて飲ませれば病気は治る。

「聞いたときの、その嬉しさ」
と歌右衛門さんが苦しい息の下で言ったセリフの感じは今でもよく覚えています。
本当に、ほんとうに、嬉しそうな気持ちをかみ締めている高揚感が感じられて、
玉手の思いの深さが伝わってきました。

さあ腹をえぐって、肝臓の血を絞り出してくれ、と言われた合邦、
できません。
こんなりっぱな、いい娘を自分の手で切り刻むのは、ムリ!!
入平に頼みますが、入平もイヤです。
「もう頼まない」と自分で刀を手に取る玉手。強ええええ。かっこいいです。

出だしで仏事をやっていたのですが、そのときに長い数珠を使っていました。
数人、十数人で念仏をとなえながらぐるぐる回す、百万遍の数珠です。
これで玉手を囲み、みんなで念仏を唱える中で、玉手は腹に刃物をつきたてます。

俊徳丸は血を飲んですっかり回復し、もとの顔に戻ります。
ここで悪人の手下が急に入って来て、入平にあっという間に斬られるかもしれないのですが、
これは俊徳丸の顔を直すための時間かせぎで、ストーリーに影響はありません。気にしなくていいです。

みんなに囲まれて、玉手は落命します。

いま出るお話は以上です。


・全段通すと、この人間関係とはまったく関係ないところで、
次郎丸一派の作ったニセものの勅使(ちょくし、帝からのお使い)に家宝のあれこれがだまし取られたり、それを忠義な家来が取り戻したりする筋があります。
最後は俊徳丸が家督を継ぎ、次郎丸の命は助かりますが、反乱分子は斬られます。

めでたしめでたしになります。


・この場面までの流れを書きます。出ない事も多いので必要なければ読まなくて大丈夫です。

住吉神社の境内で、まず浅香姫と俊徳丸が出会います。
それぞれのお付きである、奴さんの「入平(いりへい)」と、その奥さんの「おとく」さんとが二人の恋のなかだちをします。
これは、お家騒動のお芝居の定番のほほえましい場面です。若い初々しい身分の高いふたりと、ワケ知りの気のいい家来夫婦です。
浅香姫は退場し、ここに玉手が出てきて、俊徳丸をだまして毒酒を飲ませ、さらに恋を告白します。

俊徳丸の義兄、悪役の次郎丸が、悪い家来たちと悪巧みをする様子もここに出ます。

お屋敷の場になり、俊徳丸は玉手を振り切って家出します。

お家騒動の部分になり、ニセ勅旨が家宝を騙し取ります。
家宝については、これを持ってる方が家督をゲットできるアイテム、と思っておけばいいです。

家老の妻が玉手に説教して引きとめますが、玉手は振り切って屋敷を出ます。
このとき玉手の片方の袖が破れて取れて、絵のような状態になります。

天王寺境内の場面になり、盲目になってさまよう俊徳丸。
合邦道心は、閻魔様の像を収めるお堂を作るべく、寄付をつのっています。大道芸的パフォーマンスが楽しいです。
もともと名のあるお大名なので、いろいろな遊芸ができるということも関係あるかと思います。
浅香姫と俊徳丸が出会います。
悪人の次郎丸とその手下が、浅香姫と俊徳丸を襲いますが、奴さんの入平がやっつけます。
閻魔さまの像を乗せていた手車に俊徳丸を乗せ、浅香姫が引っ張って退場します。

ここで現行上演の「合邦庵室」につながります。

この最後の部分の、いいなずけのお姫様が俊徳丸を箱車に載せて、一生懸命引っ張るところも、「俊徳丸もの」の定番の場面です。
これは「箱根霊験躄仇討」などにも引き継がれています。
車を引くのが弟(美少年)になったのが「敵討天下茶屋聚(かたきうち てんがぢゃやむら)」です。

そもそもの原型になっているのは、古浄瑠璃の「おぐり」です。「
小栗判官(おぐりはんがん)」として歌舞伎にもなっています。

ところで、この作品とは関係ないですが、
能の「弱法師(よろぼし)」にはお姫様は出て来ません。出て来るバージョンもあるのですが、出ないのが主流のようです。
俊徳丸が主人公である場合、もの乞いに落ちぶれても高貴さを失わない、それゆえにまた哀れな風情を引き立たせるのに、お姫様は必要ないのだろうと思います。

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1 コメント

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五月の新歌舞伎座の段菊祭 (三太)
2015-04-26 06:12:23
昼の部で合邦を見ます。その予習にこのサイトが役立ちました。ありがとうございました
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