「天衣粉上野初花」(くもにまごう うえののはつはな)というお芝居があります。
「弁天小僧」を書いたので有名な、江戸から明治にかけての天才作者、「河竹黙阿弥(かわたけ もくあみ)」の名作です。
これは、「河内山宗俊(こうちやま そうしゅん)」と「片岡直次郎(かたおか なおじろう)」
というふたりの主人公の筋が入り混じって作られた物語です。
本当はここに「金子市之丞(かねこ いちのじょう)」というお侍も絡んで三幅対の眺めなのですが、
今は「金子市(かねこいち)」の部分はばっさりです。
「河内山(こうちやま)」と「直侍(なおざむらい)」のパートも、別々に出されることが多くなりました。
「河内山」のパートは原題通りに「天衣粉上野初花(くもにまごう うえのの はつなは)」のタイトルで出されます。
「直侍」のパートだけ出すときの別称が、この「雪暮夜入谷畦道(ゆきのゆうべ いりやのあぜみち)」です。通称「そば屋」です。
ストーリーは単純なのですが、前後関係がわかりにくい部分や、演出的な見どころ、その他細かいことなども書いてみようかと思います。
・入谷 蕎麦屋(そばや)の場
江戸の北のはずれ、入谷の田んぼの中にぽつんとあるおそば屋さんが舞台です。
冬です、一面の雪景色です。
歌舞伎でも非常に有名な、風情のある場面です。
「片岡直次郎(かたおかなおじろう)」、通称「直侍(なおざむらい)」は、御家人くずれの悪党です。
以前からちょこちょこ悪さはしていたのですが、没落した旗本、比企(ひき)さまの屋敷で、ご法度の賭博を主催しました。
これはまあ、大名、旗本屋敷の中はお奉行所の管轄外で、ある意味治外法権なのでギリギリアリなのですが、
賭博が、イカサマだったのです。アウトです。
これでいよいよ追っ手が付いて、捕まったら獄門ということになってしまいました。
現行上演、「天衣粉上野初花」を全部通しで出してすら、この「比企屋敷」の場面が出ないので、直侍が何故逃げているのかがわかりにくいのですが、そういう事情です。
これは明治になってから書かれた作品なのですが、
江戸の美しい景色や人物描写が理想化して描かれていると同時に、
江戸末期の経済の、いろいろ破綻してみんな困惑していた雰囲気が垣間見えるのかもしれません。
そば屋の店先が舞台になります。
小さなそば屋です。店先が土間になっていて、ここが調理場、兼、立ち食いスペースです。小さなベンチもあります。
奥は一段高くなっていてせまいですが座敷になっています。
江戸時代のそば屋については下に少し詳しく書いておきます。
まず、直次郎を探している捕り手のみなさんが、ちょっとそば屋に寄ってそばを食べていきます。
捕り手がいなくなったところに、花道から直侍がやってきて、そば屋に入ります。
捕り手のみなさんは土間でムグムグとかっこ悪くそばと食べ、そのあと直次郎がすすすっとイキな感じに食べる、
という演出手順があるようです。
とはいえ、捕り手のみなさんも、単にダサい兄ちゃんたちではなく、やはり江戸の少し荒っぽいタイプの人たちの風情を体現した、けっこうオイシイ役どころです。
座敷に座った直次郎が一杯飲んで休んでいると、按摩の「丈賀(じょうが)」さんがやってきて一杯食べて行きます。
丈賀さんと店の亭主の会話で、直次郎は恋人の遊女の「三千歳(みちとせ)」の今の境遇を知ります。
直次郎は、ずっと三千歳ちゃんの「色」=恋人、というか、ヒモでした。ラブラブでした。
しかし直次郎が本格的にお尋ね者になってしまったので、もう何ヶ月も会っていません。
さびしがった三千歳は元気がなくなって体調を崩し、今は、この近くにある遊郭の寮(別邸みたいなもん)で養生しているらしいのです。
ここでセリフで「ぶらぶら病(やまい)」というかもしれません。
辞書を引くと「カラダに力が入らなくなる病気」とか書いてありますが、
今の古語辞典が書かれた数十年前は、西洋精神医学的「うつ病」の概念はまだ一般的でなかったと思います。
他の作品にも出てくるこの病気の症状や原因を考えると、「ぶらぶら病」は、心労からくる「うつ病」または「うつ状態」だと思います。
漢方医学は、2000年前、後漢時代に書かれた「傷寒論」ですでに「ストレスが体調に影響を与え、病気になる」という意味のことを言っています。
そして当時の漢方医学は原因論ではなく対症論ですから、症状として脈が薄い、体に力がない、などの異常があれば「病気」と認定するのです。
てか、遊女が元気なかったら医者呼んでくれて、どこも痛くも熱もないのに「病気なんだ」って養生させてくれるんですから、
江戸の遊郭というのは優しいものだと思います。
横にそれました。
これを横で聞いた直次郎は、三千歳に手紙を書こうを思います。
そば屋の亭主にすずりを借りたり、借りるときに顔が見えないように手ぬぐいで隠したり、筆がカラカラに乾いていたので手紙を書く途中で筆が折れたり、しかたないので爪楊枝で書いたりなど、
ここは非常に細かい手順があります。
江戸の場末のさびれたそば屋、ちょっとやさぐれた色男のワケありな風情とその緊張感みたいのが凝縮されているのです。
・入谷あぜ道の場
丈賀と直次郎は知り合いなのですが、丈賀は按摩で、目が見えませんから直次郎には気付きません。気付かれて「直次郎のだんな!! 」なんて言われても困りますので、
外で直次郎は丈賀を待ちます。寒いー。お尋ね者はつらいです。
丈賀に会い、手紙を届けてくれと頼む直次郎、引き受ける丈賀。
あんまの笛を吹きながら、丈賀は雪の中去って行きます。さびしいけれど余韻のあるいい場面だと思います。
一応言っておくと、丈賀さんは裏切らない役ですので安心して見ていて大丈夫です。
花道を引き上げようとする直次郎は、今度は昔の仲間と会います。
「暗闇の丑松(くらやみの うしまつ)」といいます。弟分です。全部出すと序盤に一度と「比企屋敷」に出ます。
丑松も悪さがすぎて逃げるところです。上州あたりに行くつもりで、すでに逃亡の旅の途中です。
せっかく会ったので、お互い一杯やって名残を惜しんで行きたいのですが、あるのはそば屋だけ。気の利いた「あて」もないのに飲んでもつまらないです。
今は酒の「あて」というと、むしろ塩気はあるけれど軽い食べ物が喜ばれると思うのですが、
当時は、わりと食べでのある味の濃いものが喜ばれました。肉や魚です。そば屋にはありません。
ここで「天か卵のぬきで飲むのも風情のねえ話だから」と直次郎が言いますが、
「抜き」というのは、そばの、そばを抜いた「具」と「つゆ」だけのメニューです。そばつゆに天ぷら、そばつゆに卵、です。
酒の肴になることはなりますが、ちょっとしょぼいです。
というわけで、このままお別れすることにします。
お互い生きていたらまた会って、そのとき美味いもんで一杯やろう。
直次郎が「丑よう」としんみり言うところがかっこいいです。江戸前です。
直次郎は退場しますが、丑松がここで悪い事を考えます。
丑松は小悪党です。たいした罪を犯していません。
たぶん直次郎のことをチクれば罪が軽くなって江戸にいられるかもしれません。
どうしよっかなー、
と迷う丑松なのですが、そのとき、そば屋の亭主が「隣の家の木戸が開いているぞ、無用心だから知らせてやれ」
とい言います。
「知らせてやれ」。
「知らせてやれとはいい辻占(つじうら)」
というのがもともとのセリフなのですが、「辻占」と言っても今はわからないので違う言葉になっているかもしれません。
無作為に四ツ辻(交差点)に立って、聞こえた言葉で吉凶を占うものらしいです。
ここは四ツ辻ではありませんが偶然聞こえた言葉という意味で「辻占」と言っています。
直次郎を訴人する決心をした丑松が退場します。
・大口寮(おおぐちりょう)の場
「大口(おおぐち)」というのは三千歳ちゃんが雇われている遊女屋の名前です。
「大口屋」の「別邸」みたいな意味です。
まず門のところです。
直次郎が雪の中、花道からやってきます。最後に三千歳ちゃんに会いにきました。
雪道らしい歩きかたが求められる場面です。しかし一方で入谷のたんぼ道をとぼとぼ歩くのときとは違ううきうき感もほしいと思います。
禿(かむろ)のふたりが直次郎に気付きます。喜んでこっそり中に招き入れます。
それを丑松が見ていて、そっと退場します。
これだけです。
遊女屋の寮ですから塀や門、植え込みの松なんかも気が利いています。雪景色ですからいい風情です。
そっとしのんでくる男、黒い紋付の着流しです。
寮の中で誰かが三味線を弾いて歌を歌っており、これがお芝居のBGMになっていて粋でかっこいいです。一枚の絵のような世界です。
門がカランコロンと音を出して、出てくる少女たちはぱっと華やかな着物です。
雪景色と着物のコントラストも楽しいかもしれません。
・三千歳部屋の場
現行上演では、
三千歳「さびしかった」
直次郎「俺は逃げなきゃならないから夫婦の約束をした「起請(きしょう)」を返してくれ」
三千歳「死ぬなら私も一緒に」
そこに寮の管理人があらわれて、「いっそふたりでお逃げなせえ」とか
それだけの場面です。
「起請(きしょう)」というのは「起請文(きしょうもん)」の略で、熊野神社の神様に誓う、一種の契約書です。
遊女が客に大量に配るので有名なのですが、
ここはもちろん、「本気の起請」です。
最後に丑松が呼んだ追っ手がやってくるので、直次郎は結局ひとりで逃げます。
おわりになります。
本当は、ここで直次郎の恋敵の「金子市之丞(かねこ いちのじょう)」、通称「金子市(かねこいち)」が、三千歳の部屋にいるのです。
直次郎は三千歳の愛人、かつヒモですが、市之丞は三千歳のパトロンです。どっちが男として勝ってるか非常にビミョウな関係です。
金を出すほうがえらいのか、サイフ君をやっているほうが情けないのか。
しかも三千歳は金子市とはエッチしていません。でもお金はもらっている強気な関係です。
ところで、金子市は鳥目(とりめ)なのです。夜なので目が見えないので、直次郎に気付きません。
三千歳は金子市の相手をしながらこっそり直次郎と笑いあったりします。
ところが!!
金子市が鳥目で目が見えないのは、ウソなのです。全部知っているのです。
しかも、
金子市は、三千歳の身請けに必要なお金と書き置きを残して帰るのですが、それによると、金子市は三千歳の兄なのです。
「兄ちゃんは応援してるから直次郎とうまくやれ」みたいなかんじです。ぎゃー!! 知らなかった!!
という部分が、現行上演スパっとカットになっています。
なので、この「大口寮」は三千歳と直次郎の色模様をなんとなく見せるだけの、前半の「おまけ」みたいな場面になってしまっています。
二場あるのに、インパクトの強い前半部分だけを取って「そば屋」と呼ばれるのもそういう理由からだろうと思います。
作品説明は以上です。
もうひとりの主人公「河内山宗俊(こうちやま そうしゅん)」がメインの部分もよく出ます。
解説は=こちら=です。
ところで、
江戸時代のそば屋について書いてみます。
当時のそばの値段と、今のそば屋のそばの値段を比較して当時の物価を推測した本をたまに見かけますが、
そもそも江戸時代のそばは、今よりずっと量が少なかったようです。2、3口すすって、つゆを飲んだら終わりです。
これで十六文(店のランクによる)ですので、これを今のかけそばの値段(300円前後)と比べるのはムリがあると思います。
当時のそば屋は、他のいろいろな本での描かれ方を見ても思うのですが、今で言うと立ち飲み喫茶店のような役割だったと思います。
ちょっと入って、ひと休みして、出て行く感じです。「食事をする店」という雰囲気ではないのです。
土間で腰かけてさくっと「かけ」を一杯すすって出て行く人足さんなどは、立ち飲みコーヒー的に使っていたと思います。
奥の座敷に座る客は、「かけ」だとアレなのでトッピングをします。さらに「一本つけてくんな」で一杯飲みます。
これだと、普通の喫茶店で軽食も頼んだ単価になると思います。
すっごく疲れていて、お金がなかった人が、「かけ」一杯で、あとはタダでもらえる湯を何杯も飲みながら一時(二時間)ばかりねばって休んだ
みたいな記述がありますので、
本当に喫茶店ぽいなと思います。
街中だと二階にお座敷のある店もあります。
ちょっとした相談ごとにも使えます。
一部「江戸時代のそば屋はラブホ的存在だった」とか「何時間でも座ってゆっくりしていく場所だった」みたいな説明もあるみたいですが、
こういう街中のそば屋の二階座敷の機能を拡大解釈したのだと思います。
もちろんはじめから「そういう」目的の店で、オモテ向きそば屋だった店も存在するのですが、
全ての「そば屋」がそんな店だったわけではないです。
チナミに、エッチするのに向くのは、そば屋よりもうなぎ屋の二階です。焼きあがるまで時間がかかるので。
=50音索引に戻る=
「弁天小僧」を書いたので有名な、江戸から明治にかけての天才作者、「河竹黙阿弥(かわたけ もくあみ)」の名作です。
これは、「河内山宗俊(こうちやま そうしゅん)」と「片岡直次郎(かたおか なおじろう)」
というふたりの主人公の筋が入り混じって作られた物語です。
本当はここに「金子市之丞(かねこ いちのじょう)」というお侍も絡んで三幅対の眺めなのですが、
今は「金子市(かねこいち)」の部分はばっさりです。
「河内山(こうちやま)」と「直侍(なおざむらい)」のパートも、別々に出されることが多くなりました。
「河内山」のパートは原題通りに「天衣粉上野初花(くもにまごう うえのの はつなは)」のタイトルで出されます。
「直侍」のパートだけ出すときの別称が、この「雪暮夜入谷畦道(ゆきのゆうべ いりやのあぜみち)」です。通称「そば屋」です。
ストーリーは単純なのですが、前後関係がわかりにくい部分や、演出的な見どころ、その他細かいことなども書いてみようかと思います。
・入谷 蕎麦屋(そばや)の場
江戸の北のはずれ、入谷の田んぼの中にぽつんとあるおそば屋さんが舞台です。
冬です、一面の雪景色です。
歌舞伎でも非常に有名な、風情のある場面です。
「片岡直次郎(かたおかなおじろう)」、通称「直侍(なおざむらい)」は、御家人くずれの悪党です。
以前からちょこちょこ悪さはしていたのですが、没落した旗本、比企(ひき)さまの屋敷で、ご法度の賭博を主催しました。
これはまあ、大名、旗本屋敷の中はお奉行所の管轄外で、ある意味治外法権なのでギリギリアリなのですが、
賭博が、イカサマだったのです。アウトです。
これでいよいよ追っ手が付いて、捕まったら獄門ということになってしまいました。
現行上演、「天衣粉上野初花」を全部通しで出してすら、この「比企屋敷」の場面が出ないので、直侍が何故逃げているのかがわかりにくいのですが、そういう事情です。
これは明治になってから書かれた作品なのですが、
江戸の美しい景色や人物描写が理想化して描かれていると同時に、
江戸末期の経済の、いろいろ破綻してみんな困惑していた雰囲気が垣間見えるのかもしれません。
そば屋の店先が舞台になります。
小さなそば屋です。店先が土間になっていて、ここが調理場、兼、立ち食いスペースです。小さなベンチもあります。
奥は一段高くなっていてせまいですが座敷になっています。
江戸時代のそば屋については下に少し詳しく書いておきます。
まず、直次郎を探している捕り手のみなさんが、ちょっとそば屋に寄ってそばを食べていきます。
捕り手がいなくなったところに、花道から直侍がやってきて、そば屋に入ります。
捕り手のみなさんは土間でムグムグとかっこ悪くそばと食べ、そのあと直次郎がすすすっとイキな感じに食べる、
という演出手順があるようです。
とはいえ、捕り手のみなさんも、単にダサい兄ちゃんたちではなく、やはり江戸の少し荒っぽいタイプの人たちの風情を体現した、けっこうオイシイ役どころです。
座敷に座った直次郎が一杯飲んで休んでいると、按摩の「丈賀(じょうが)」さんがやってきて一杯食べて行きます。
丈賀さんと店の亭主の会話で、直次郎は恋人の遊女の「三千歳(みちとせ)」の今の境遇を知ります。
直次郎は、ずっと三千歳ちゃんの「色」=恋人、というか、ヒモでした。ラブラブでした。
しかし直次郎が本格的にお尋ね者になってしまったので、もう何ヶ月も会っていません。
さびしがった三千歳は元気がなくなって体調を崩し、今は、この近くにある遊郭の寮(別邸みたいなもん)で養生しているらしいのです。
ここでセリフで「ぶらぶら病(やまい)」というかもしれません。
辞書を引くと「カラダに力が入らなくなる病気」とか書いてありますが、
今の古語辞典が書かれた数十年前は、西洋精神医学的「うつ病」の概念はまだ一般的でなかったと思います。
他の作品にも出てくるこの病気の症状や原因を考えると、「ぶらぶら病」は、心労からくる「うつ病」または「うつ状態」だと思います。
漢方医学は、2000年前、後漢時代に書かれた「傷寒論」ですでに「ストレスが体調に影響を与え、病気になる」という意味のことを言っています。
そして当時の漢方医学は原因論ではなく対症論ですから、症状として脈が薄い、体に力がない、などの異常があれば「病気」と認定するのです。
てか、遊女が元気なかったら医者呼んでくれて、どこも痛くも熱もないのに「病気なんだ」って養生させてくれるんですから、
江戸の遊郭というのは優しいものだと思います。
横にそれました。
これを横で聞いた直次郎は、三千歳に手紙を書こうを思います。
そば屋の亭主にすずりを借りたり、借りるときに顔が見えないように手ぬぐいで隠したり、筆がカラカラに乾いていたので手紙を書く途中で筆が折れたり、しかたないので爪楊枝で書いたりなど、
ここは非常に細かい手順があります。
江戸の場末のさびれたそば屋、ちょっとやさぐれた色男のワケありな風情とその緊張感みたいのが凝縮されているのです。
・入谷あぜ道の場
丈賀と直次郎は知り合いなのですが、丈賀は按摩で、目が見えませんから直次郎には気付きません。気付かれて「直次郎のだんな!! 」なんて言われても困りますので、
外で直次郎は丈賀を待ちます。寒いー。お尋ね者はつらいです。
丈賀に会い、手紙を届けてくれと頼む直次郎、引き受ける丈賀。
あんまの笛を吹きながら、丈賀は雪の中去って行きます。さびしいけれど余韻のあるいい場面だと思います。
一応言っておくと、丈賀さんは裏切らない役ですので安心して見ていて大丈夫です。
花道を引き上げようとする直次郎は、今度は昔の仲間と会います。
「暗闇の丑松(くらやみの うしまつ)」といいます。弟分です。全部出すと序盤に一度と「比企屋敷」に出ます。
丑松も悪さがすぎて逃げるところです。上州あたりに行くつもりで、すでに逃亡の旅の途中です。
せっかく会ったので、お互い一杯やって名残を惜しんで行きたいのですが、あるのはそば屋だけ。気の利いた「あて」もないのに飲んでもつまらないです。
今は酒の「あて」というと、むしろ塩気はあるけれど軽い食べ物が喜ばれると思うのですが、
当時は、わりと食べでのある味の濃いものが喜ばれました。肉や魚です。そば屋にはありません。
ここで「天か卵のぬきで飲むのも風情のねえ話だから」と直次郎が言いますが、
「抜き」というのは、そばの、そばを抜いた「具」と「つゆ」だけのメニューです。そばつゆに天ぷら、そばつゆに卵、です。
酒の肴になることはなりますが、ちょっとしょぼいです。
というわけで、このままお別れすることにします。
お互い生きていたらまた会って、そのとき美味いもんで一杯やろう。
直次郎が「丑よう」としんみり言うところがかっこいいです。江戸前です。
直次郎は退場しますが、丑松がここで悪い事を考えます。
丑松は小悪党です。たいした罪を犯していません。
たぶん直次郎のことをチクれば罪が軽くなって江戸にいられるかもしれません。
どうしよっかなー、
と迷う丑松なのですが、そのとき、そば屋の亭主が「隣の家の木戸が開いているぞ、無用心だから知らせてやれ」
とい言います。
「知らせてやれ」。
「知らせてやれとはいい辻占(つじうら)」
というのがもともとのセリフなのですが、「辻占」と言っても今はわからないので違う言葉になっているかもしれません。
無作為に四ツ辻(交差点)に立って、聞こえた言葉で吉凶を占うものらしいです。
ここは四ツ辻ではありませんが偶然聞こえた言葉という意味で「辻占」と言っています。
直次郎を訴人する決心をした丑松が退場します。
・大口寮(おおぐちりょう)の場
「大口(おおぐち)」というのは三千歳ちゃんが雇われている遊女屋の名前です。
「大口屋」の「別邸」みたいな意味です。
まず門のところです。
直次郎が雪の中、花道からやってきます。最後に三千歳ちゃんに会いにきました。
雪道らしい歩きかたが求められる場面です。しかし一方で入谷のたんぼ道をとぼとぼ歩くのときとは違ううきうき感もほしいと思います。
禿(かむろ)のふたりが直次郎に気付きます。喜んでこっそり中に招き入れます。
それを丑松が見ていて、そっと退場します。
これだけです。
遊女屋の寮ですから塀や門、植え込みの松なんかも気が利いています。雪景色ですからいい風情です。
そっとしのんでくる男、黒い紋付の着流しです。
寮の中で誰かが三味線を弾いて歌を歌っており、これがお芝居のBGMになっていて粋でかっこいいです。一枚の絵のような世界です。
門がカランコロンと音を出して、出てくる少女たちはぱっと華やかな着物です。
雪景色と着物のコントラストも楽しいかもしれません。
・三千歳部屋の場
現行上演では、
三千歳「さびしかった」
直次郎「俺は逃げなきゃならないから夫婦の約束をした「起請(きしょう)」を返してくれ」
三千歳「死ぬなら私も一緒に」
そこに寮の管理人があらわれて、「いっそふたりでお逃げなせえ」とか
それだけの場面です。
「起請(きしょう)」というのは「起請文(きしょうもん)」の略で、熊野神社の神様に誓う、一種の契約書です。
遊女が客に大量に配るので有名なのですが、
ここはもちろん、「本気の起請」です。
最後に丑松が呼んだ追っ手がやってくるので、直次郎は結局ひとりで逃げます。
おわりになります。
本当は、ここで直次郎の恋敵の「金子市之丞(かねこ いちのじょう)」、通称「金子市(かねこいち)」が、三千歳の部屋にいるのです。
直次郎は三千歳の愛人、かつヒモですが、市之丞は三千歳のパトロンです。どっちが男として勝ってるか非常にビミョウな関係です。
金を出すほうがえらいのか、サイフ君をやっているほうが情けないのか。
しかも三千歳は金子市とはエッチしていません。でもお金はもらっている強気な関係です。
ところで、金子市は鳥目(とりめ)なのです。夜なので目が見えないので、直次郎に気付きません。
三千歳は金子市の相手をしながらこっそり直次郎と笑いあったりします。
ところが!!
金子市が鳥目で目が見えないのは、ウソなのです。全部知っているのです。
しかも、
金子市は、三千歳の身請けに必要なお金と書き置きを残して帰るのですが、それによると、金子市は三千歳の兄なのです。
「兄ちゃんは応援してるから直次郎とうまくやれ」みたいなかんじです。ぎゃー!! 知らなかった!!
という部分が、現行上演スパっとカットになっています。
なので、この「大口寮」は三千歳と直次郎の色模様をなんとなく見せるだけの、前半の「おまけ」みたいな場面になってしまっています。
二場あるのに、インパクトの強い前半部分だけを取って「そば屋」と呼ばれるのもそういう理由からだろうと思います。
作品説明は以上です。
もうひとりの主人公「河内山宗俊(こうちやま そうしゅん)」がメインの部分もよく出ます。
解説は=こちら=です。
ところで、
江戸時代のそば屋について書いてみます。
当時のそばの値段と、今のそば屋のそばの値段を比較して当時の物価を推測した本をたまに見かけますが、
そもそも江戸時代のそばは、今よりずっと量が少なかったようです。2、3口すすって、つゆを飲んだら終わりです。
これで十六文(店のランクによる)ですので、これを今のかけそばの値段(300円前後)と比べるのはムリがあると思います。
当時のそば屋は、他のいろいろな本での描かれ方を見ても思うのですが、今で言うと立ち飲み喫茶店のような役割だったと思います。
ちょっと入って、ひと休みして、出て行く感じです。「食事をする店」という雰囲気ではないのです。
土間で腰かけてさくっと「かけ」を一杯すすって出て行く人足さんなどは、立ち飲みコーヒー的に使っていたと思います。
奥の座敷に座る客は、「かけ」だとアレなのでトッピングをします。さらに「一本つけてくんな」で一杯飲みます。
これだと、普通の喫茶店で軽食も頼んだ単価になると思います。
すっごく疲れていて、お金がなかった人が、「かけ」一杯で、あとはタダでもらえる湯を何杯も飲みながら一時(二時間)ばかりねばって休んだ
みたいな記述がありますので、
本当に喫茶店ぽいなと思います。
街中だと二階にお座敷のある店もあります。
ちょっとした相談ごとにも使えます。
一部「江戸時代のそば屋はラブホ的存在だった」とか「何時間でも座ってゆっくりしていく場所だった」みたいな説明もあるみたいですが、
こういう街中のそば屋の二階座敷の機能を拡大解釈したのだと思います。
もちろんはじめから「そういう」目的の店で、オモテ向きそば屋だった店も存在するのですが、
全ての「そば屋」がそんな店だったわけではないです。
チナミに、エッチするのに向くのは、そば屋よりもうなぎ屋の二階です。焼きあがるまで時間がかかるので。
=50音索引に戻る=
大変申し訳ありません。
「抜き」は、天麩羅だけがツユに漬かっているのですね。
通っぽいし美味しそうだけれど、確かに豪勢な感じは致しませんね(笑)
ひろせがわ様は、落語もお聞きになりますか?
「芝居話」では、「忠臣蔵」は言うにも及ばず、
「お半長右衛門」「仁木弾正(が出てくるやつ)」「本能寺」など、
お客がよく知っているのを前提として話が進みます
。
そのころと同じようにとはいかなくても、ある程度は教養として知っておきたいものですね。
ありがとうございました!
おっしゃっているものと同じもののつもりで書いたのですが
わかりにくかったら申し訳ありません。
蕎麦屋の2階で芸者さんを呼んで、というのは、
2階座敷のある飲食店ならどこでも可能で、「梅ごよみ」ですとうなぎ屋でやっているあれです。
料理茶屋でももちろんできます。
当時は2階に上る梯子(はしご、階段)が非常に狭くて急だったのもあり、
2階座敷は上がってしまえば比較的プライバシーが確保できる場所でした。
なので、芸者さんを呼ぶというのは、
仕事として芸者さんを呼んで宴会したわけではなく、
なじみの芸者さんとのプライベートな密会の場所に使う、という状況なはずです。
芸者さんだってデートの場所はうなぎ屋や料理屋のほうがいいですから、
蕎麦屋で「抜き」メニューで安上がりにとなると、完全にそそくさとエッチだけというかんじになります。
「蕎麦屋の2階に芸者を呼ぶ」というフレーズにはそのへんのきわどいニュアンスも含まれていると思います。
歌舞伎には何年も行っていませんが、落語のほうの「芝居話」が好きでして、そちらのための解説としてもありがたいです。
ところで細かいことなのですが、
明治生まれのある作家の随筆では、
「抜き」とはそばのほうを抜いたもの、
つまり天麩羅ですね、
そういうものをさかなにして蕎麦屋の二階で安めにあげる。
(でも芸者さんは呼ぶw)
…という話がありました。
江戸時代とは「抜き」が逆になっていたんでしょうか?