あるクラスの授業で、小さな生徒を受け持つ若い女性の先生が、自分は無神論者だと述べました。
彼女は次に、クラスの中で無神論者がいたら手をあげなさいと言いました。小さな子供たちなので、無神論者というのが何のことかわからず、大半の子供らは先生の真似をして自分もと、嬉しそうに手をどんどんあげていきました。
ところが、一人だけあげない子供がいて、名前はルーシーと言いました。ルーシーはほかに混ざって手をあげなかったので、先生はルーシーにどうしてほかの子と違うほうがいいのかを尋ねました。
ルーシーは「だって私は無神論者じゃないからです」と答えました。
先生は「じゃぁ何なの?」
ルーシー「キリスト教です」
先生はちょっと不満気にキリスト教である理由を尋ねました。
ルーシーは「キリストを信仰するように育てられたからです。それに私の母親はキリスト教で、父もキリスト教で、だから私もキリスト教です」と答えました。
先生はちょっと怒って、「それは理由にはならないわ」と大きな声で言いました。
「じゃぁ、あなたの母親が間抜けで、父親も間抜けなら、あなたは一体何なの?」と尋ねました。
するとルーシーは答えました。「そうしたら私は無神論者になると思います」
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日本では「無宗教」であることは、悪いイメージどころか、安全で普通の人と思われます。そして近年ではカルト宗教の活動犯罪が一層目立つようになり、「敬虔な宗教家で信仰心がある」方が、変な目で見られがちです。
ところが欧米に行くとまた文化がちがうそうです。、「無宗教」は世間であまり受け入れられていません。英語でいう「Atheist」(無神論)は、まだまだ市民権を得ていないように思います。
宗教を「持つ」と「持たない」の違いは、絶対に従う存在があるとか、日々の生活のルールがあるというのが一般的ですが、その一つに死んだときの弔い方というのがあります。
火葬なのか土葬なのか、体はどちらに向けるのかなどです。日本は無宗教でも普通に仏教式のお葬式が行われますが、欧米で無宗教と言った途端、人によっては「弔わないの?」「死体は捨てるの?」みたいなイメージを持たれるのだと想像すれば、なぜ「無宗教」のイメージが好ましく思われないか理解できるかと思います。