田園調布の山荘

「和を以て貴しとなす」・・ 日本人の気質はこの言葉[平和愛好]に象徴されていると思われる。この観点から現代を透視したい。

190624 朝の散歩 昼の散歩(209)・・大田区の緑地の「貧困化」

2019年06月28日 09時30分32秒 | 日本の未来像(future

区が緑地の保全、確保に熱心であることが疑いありませんが、奈須さんの報告を見る限り、対策がいかにも弥縫的(あるいは場当たり的)であることがうかがわれます。都市化は土地の不動産化(流動性のある私有財産化)を促進しますが、私有緑地は経済的運用は困難ですので必然的に減っていきます。行政が場当たり的なるしかないというのもわからぬことではありません。特にこの数十年、人口の都市集中、新自由主義経済のための規制緩和の嵐の中で、人口集中や家族構成の変化(少子・高齢化)に伴う生活インフラが追い付かず、居住環境悪化、公共緑地、広場などの利用効率の減退、公共用地(緑地)の確保の困難、緑地の保全管理、空間としての質の後退、樹木、草花、小動物等の保護困難という負のスパイラルが生じています。

量的な問題だけではなく深刻なのが、住民の緑地へのアクセス、休息や近隣交流やイベント開催などが難しくなっていくことです。窮屈な生活空間しかない都市住民にとっては、公園緑地は自由に人々が集まれる「広場」として求められているように思います。

 

あらゆる層の住民の緑地への希求(需要)は非常に大きいし、アクセス面、整備面、確保と配置面、公園利用の多面的な活用に大きな課題があることでしょう。このままでは、都市空間として、総じて環境劣化が進まざるを得ないでしょう。

 

近所のせせらぎ公園で大規模な樹木の伐採計画がうわさされていますが、「なぜその必要があるのか」について近隣住民(私もその一人)に「お知らせと相談」があったように思えません。緑(土、水、景観、文化を包含する概念です)と経済成長が連携していない昨今の「市場経済」において、都市から緑が減り続け、そのために生活が息苦しくなり、緑の回復を潜在的に希求している市民たちの説明を尽くすのが、行政として非常に骨の折れることであるに違いませんが懈怠は許されません。都会にとっての公園緑地は生活の直々の延長を担うものですから、一人ひとり重大な関心を寄せる必要がありますね。


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