お盆中は、我が家も親戚の家々をまわってウートートーした。
ウークイ(祖先を送り出すお盆最終日)の日、義母が親戚のオバハンらに
何やら持論を展開していた。
聞き耳を立てるまでもなく入ってきたフレーズは、
「アタシは、年取ったら、お嫁さんには世話になりたくないの。
こーゆーことは、息子たちにしてもらうの!」
”こーゆーこと”って、何だ?介護?
介護って?ご飯を作ってもらう?掃除してもらう?
病院への送迎?もしやオムツ替え??
一瞬で走馬灯のように色んな場面が考えられたが、真相は知らない。
しかし、いずれにしても、この義母の持論にはそもそも論で
切り返して、考えを改めてほしい部分がある。
年老いた親を子供が介助する。至極当然のコト。
私だって、実父、実母の介助は担うつもりでいる。
将来の弟夫婦に丸投げするなど、天罰が下ると信じている。
しかし、義父義母については、義母の希望通り、息子たち(もちろんうちの主人含む)に
介助や介護をお願いしたとしても、息子が複数名いる場合、
100%不平等が起こらないとは誰も言い切れない。
すべてはまず長男に責任がくるのが沖縄の実情。
しかし、長男だけが、親に育ててもらったのか?
次男、三男、四男、長女、次女、三女は、生まれた瞬間から、
自活して生きてきたのか?
そして、「アタシは年取ったら、息子たちに看てもらうの」と豪語している
中高年世代よ!
あなたが年老いた時に、複数いる子供たち全員が、時間・カネ・空間を配分し、
互が互を考え、妥協点を探りながら、時間・カネ・空間を親であるあなたへ
捧げるという概念があるだろうか。
その概念さえも持たない子供たちを育てておきながら、いざ年を取ったら、
自分を誰が介助介護するかで、子供たちに兄弟喧嘩を起こさせるような、
人生において野暮なフィナーレはないだろう。
親も完璧ではないから、人の成り立ち全てを親御さんの責任にするつもりはない。
しかし、上記のような豪語をする前に、単純に考えてほしいだけだ。
「あなたの息子さんたち、娘さんたちは、
互が互を思い、争うことなく、
親の人生の最終区間を一緒に歩んでくれるのか」
ここは単純に、自分の足腰が元気なうちに、面と向かって、親子で確認をしあうことから
始めることが、親戚の前で豪語することより先だと思うのだが・・・。