大晦日も大忙し。
午前7時にホテルを出て、目的地に逆行する形になるけれど、7時半に先輩のホテル到着。
ほとんど信号のないスリランカで、珍しくUターンの為に道路に停車していた時、ふと、近くの家を見ると
男性が庭で水浴び中!?えーっとあれは何も着ていないのでは・・・よくてサロンいっちょですな。
驚いて凝視していたら、手を振ってくれた。
早朝から目の保養が続く?こんな景色を見ながら進むと、
遠くにシーギリアが見える場所に到着。
昨年、アサヒビールがソフトドリンクCMと偽って、シーギリアでビールパーティーのCGを放映し、
顰蹙を買ったのは有名な話。
同じビール会社でも、キリンビールの方はスリランカ産の茶葉を使った「午後の紅茶」で有名なのに。
ちなみに今回訪問して「午後の紅茶」のネーミングに感心しましたが、それは少し先のヌワラエリヤ編で。
シーギリアを目前にしても、私の目は真後ろの大木の上に作られた小屋にくぎづけ。
これが噂に聞く「象の見張り小屋」でしょうか。
半自動みたいなゲートを進み、
シーギリアの入口へ。
蓮の水路 この堀には昔ワニが飼われていたと言う。
犬とサルがお出迎え。後は雉とキビ団子があれば桃太郎だ。
しかしここの助っ人はもっと高い費用が必要。
公認ガイドだが、約200mの山上まで登るのに手を引いたり、荷物を持ってくれる人達の売込みが激しい。
←こんな感じ。
水の庭園。
一面の緑と茶色の遺跡は、なんとなくアンコールワットを思い出します。
水の高低差を利用した噴水。
アリの巣もたくさん。
振り返れば、登るのに苦労しそうな同士達。
石窟寺院
体力のない日本人3人の為か、早くもわずかに壁画の残る場所で休憩兼シーギリアの歴史説明。
5世紀後半、側室の子だった長男カーシャパは、父を殺し、正室の子の弟を追放して王座を奪う。
弟の復讐を恐れたのと、父殺しを後悔し、かって父が試みて挫折したこの岩山に7年かけて宮殿を築く。
その4年後、インド亡命から戻った弟の軍を見てカーシャパは自害。
新王は都を元のアヌラダープラ(前日観光)に戻し、この地を仏教僧の修行場とする。
有名な壁画のシーギリヤレディは、修行の妨げとなると削り取られ、その後の風雨で消滅した。
と思われていたが、19世紀にイギリス人が遺跡と共に発見。
シーギリヤは何ヶ所か蜂の巣があり、危険らしい。
確かにこのあたりからも巣が見えます。
もっと上のライオンの広場には避難小屋まで。
階段が続きます。
昔の道?
最初の目標地点はここ。
一方通行のらせん階段を登ります。すきまから下を見てはいけない。
壁画の保存の為にフラッシュ禁止。
裸の女性が上流階級、服を着ているのが侍女って不思議。
胸が描き損じ。
かっては500人近く描かれていた美女も今では18人。
王の愛人説、天女説いろいろありますが、黒人系の人もいるらしい。
しかし世界中から今も観光で集まる美女達の鑑賞にも忙しい私でした。
美女のフレスコ画の下に位置するのがミラー・ウォール。
立ち入り禁止のロープの向こうに、霊のようにたたずむ女性が写ってますね。
ここは過去の見学者の落書きが今では貴重な資料に。
投石器
やったー、やっと第2目標地点 宮殿入口=ライオンの入口です。
かってはライオンの顔までありましたが、今は爪しか残っていません。
ライオンのノドから入っていく構造だったようです。
シーギリヤの名前は、シンハラ語で「ライオンののど」という意味。
ここから60度の細い階段でラストスパートです。
なんとかたどりついた山上の王宮跡。
規模は小さいけれど、なんかマチュピチュと似ています。
王座の下にはワンコ。
360度の緑のジャングル。
今、歩いてきた道。
トカゲ
アリ塚もあります。
もう少しゆっくりしたいのですが、日差しも強くなってきたので下山。
人が増えてきました。
シーギリヤ観光は、写真的には午後がいいそうですが、体調を考えるとやはり朝がおすすめです。
ガイドブックや他の人の旅行記を見ていると象岩とかコブラ岩とか他にも見所はあったようですが、
体力的なものか、時間の関係か省略された模様。
おかえり~。
続いて日本の支援でオープンした博物館(無料)へ。
近くにはこんな川が流れています。
他の川でも何度か夕方水浴びする人を見かけました。
どこにでもいるワンコに見送られ、午後の観光地ポロンナルワへ向かいます。
この日は曇りで比較的観光も楽でしたが、車に乗ると同時に雨が降り出しました。
午前7時にホテルを出て、目的地に逆行する形になるけれど、7時半に先輩のホテル到着。
ほとんど信号のないスリランカで、珍しくUターンの為に道路に停車していた時、ふと、近くの家を見ると
男性が庭で水浴び中!?えーっとあれは何も着ていないのでは・・・よくてサロンいっちょですな。
驚いて凝視していたら、手を振ってくれた。
早朝から目の保養が続く?こんな景色を見ながら進むと、
遠くにシーギリアが見える場所に到着。
昨年、アサヒビールがソフトドリンクCMと偽って、シーギリアでビールパーティーのCGを放映し、
顰蹙を買ったのは有名な話。
同じビール会社でも、キリンビールの方はスリランカ産の茶葉を使った「午後の紅茶」で有名なのに。
ちなみに今回訪問して「午後の紅茶」のネーミングに感心しましたが、それは少し先のヌワラエリヤ編で。
シーギリアを目前にしても、私の目は真後ろの大木の上に作られた小屋にくぎづけ。
これが噂に聞く「象の見張り小屋」でしょうか。
半自動みたいなゲートを進み、
シーギリアの入口へ。
蓮の水路 この堀には昔ワニが飼われていたと言う。
犬とサルがお出迎え。後は雉とキビ団子があれば桃太郎だ。
しかしここの助っ人はもっと高い費用が必要。
公認ガイドだが、約200mの山上まで登るのに手を引いたり、荷物を持ってくれる人達の売込みが激しい。
←こんな感じ。
水の庭園。
一面の緑と茶色の遺跡は、なんとなくアンコールワットを思い出します。
水の高低差を利用した噴水。
アリの巣もたくさん。
振り返れば、登るのに苦労しそうな同士達。
石窟寺院
体力のない日本人3人の為か、早くもわずかに壁画の残る場所で休憩兼シーギリアの歴史説明。
5世紀後半、側室の子だった長男カーシャパは、父を殺し、正室の子の弟を追放して王座を奪う。
弟の復讐を恐れたのと、父殺しを後悔し、かって父が試みて挫折したこの岩山に7年かけて宮殿を築く。
その4年後、インド亡命から戻った弟の軍を見てカーシャパは自害。
新王は都を元のアヌラダープラ(前日観光)に戻し、この地を仏教僧の修行場とする。
有名な壁画のシーギリヤレディは、修行の妨げとなると削り取られ、その後の風雨で消滅した。
と思われていたが、19世紀にイギリス人が遺跡と共に発見。
シーギリヤは何ヶ所か蜂の巣があり、危険らしい。
確かにこのあたりからも巣が見えます。
もっと上のライオンの広場には避難小屋まで。
階段が続きます。
昔の道?
最初の目標地点はここ。
一方通行のらせん階段を登ります。すきまから下を見てはいけない。
壁画の保存の為にフラッシュ禁止。
裸の女性が上流階級、服を着ているのが侍女って不思議。
胸が描き損じ。
かっては500人近く描かれていた美女も今では18人。
王の愛人説、天女説いろいろありますが、黒人系の人もいるらしい。
しかし世界中から今も観光で集まる美女達の鑑賞にも忙しい私でした。
美女のフレスコ画の下に位置するのがミラー・ウォール。
立ち入り禁止のロープの向こうに、霊のようにたたずむ女性が写ってますね。
ここは過去の見学者の落書きが今では貴重な資料に。
投石器
やったー、やっと第2目標地点 宮殿入口=ライオンの入口です。
かってはライオンの顔までありましたが、今は爪しか残っていません。
ライオンのノドから入っていく構造だったようです。
シーギリヤの名前は、シンハラ語で「ライオンののど」という意味。
ここから60度の細い階段でラストスパートです。
なんとかたどりついた山上の王宮跡。
規模は小さいけれど、なんかマチュピチュと似ています。
王座の下にはワンコ。
360度の緑のジャングル。
今、歩いてきた道。
トカゲ
アリ塚もあります。
もう少しゆっくりしたいのですが、日差しも強くなってきたので下山。
人が増えてきました。
シーギリヤ観光は、写真的には午後がいいそうですが、体調を考えるとやはり朝がおすすめです。
ガイドブックや他の人の旅行記を見ていると象岩とかコブラ岩とか他にも見所はあったようですが、
体力的なものか、時間の関係か省略された模様。
おかえり~。
続いて日本の支援でオープンした博物館(無料)へ。
近くにはこんな川が流れています。
他の川でも何度か夕方水浴びする人を見かけました。
どこにでもいるワンコに見送られ、午後の観光地ポロンナルワへ向かいます。
この日は曇りで比較的観光も楽でしたが、車に乗ると同時に雨が降り出しました。