「あ、暑いっ…」
暑さで目が覚めた。ここはどこだ…?と周りを見れば、ボロボロのベッドに、小さな蛾の死骸などが散乱する窓際。そうだった、ここは2300円の宿…。僕は、本当にこんなところで朝を迎えてしまったのね、と初めてのお泊りを経験してしまった女子高生のようなセンチメンタルいっぱいの気持ちでおんぼろ部屋を眺めた。
足元ではをきな氏はひたいにビー玉大の汗をコロコロかいて苦悶の表情で浅い眠りについていた。
「っていうか、なんでクーラー切れるんだよ」
とひとりキレながら、僕はクーラーのボタンを押した。
「……」
風が出てこない。
ボタンを押した。結果は一緒。
何度も押した。壊れるくらい押した。
ところが、クーラーは昨晩の勢いはまったくなく、葬式で見る突然逝ってしまった近所のじいちゃんのように、静かに「ただそこにいる」だけだった。
「ん…、なに?」
あまりに激しくボタンを叩く音で、をきな氏が目覚めた。クーラーの件を報告すると「グエッ」と、楳図かずおのマンガのような驚き方をした。人間そういう表情もできるんだ、と教えられた瞬間だった。
なにもしていないのに汗だくの我々は、宿をあとにした。おそらくもう二度と訪れることはあるまい。こんな宿に2300円払うなら、マンガ喫茶かカラオケボックスにいたほうがどれだけ快適なことか。それは、たぶん本当だ。勇気がある方、こういう宿を見つけたら泊まってみてほしい。アジアの安宿を経験している僕でも、ちょっと勘弁してよ、というレベルだった。インドのおんぼろ宿並みに汚かった…。
「腹へったな…」
をきな氏が朴訥と語る。そうだった。我々がすべきことは、安宿を批判することではなく、名古屋名物を食い尽くすことだった。
「朝なので、やはりモーニングでしょう!」
我々はブラブラ歩いていて、目に付いた喫茶店に飛び込んだ。
「いらっしゃいませ!」
朝からやたらと元気なアルバイト学生の元気がまぶしい。
「モーニングを」
「かしこまりました」
やはり接客業はこうでなくっちゃ。
ほどなくして運ばれてきたのは、コーヒー、バタートースト、ジャム、ゆで卵、ヨーグルトがたっぷり載ったプレートだった。これでお値段350円。
「いやあ、これで勢いがつくってもんだ」
をきな氏はほくほく顔でほおばった。名古屋のモーニングは、じつはこのレベルは当たり前で、もっとすごいところは、これにさらにサラダがついたり、茶碗蒸しがついたりするところも。ちなみに僕が知っているサービス過剰のモーニングは、ドリンク代(約350円)だけで、店内にバイキングのようになっている、サラダ類、サンドイッチが食べ放題というところだ。やりすぎやろ。
早朝のモーニングで胃袋のエンジンもようやくかかりはじめ、次の目的地に向かおうとするが、名古屋グルメの店の大半はお昼ごろからの営業で、午前9時ではどこも開いていなかった。
「お腹すいたブ~」
をきな氏がうるさい。
「はいはい、もう少しでチュからねぇ」
と子供をあやすように、我々は電車で神宮前という駅に移動した。眼前には、うっそうとした森が広がる。そう、ここは熱田神宮。名古屋近辺でもっとも規模の大きい神社なのだ。三種の神器のひとつもここに祭られている由緒正しいところでもある。
(追記 先日我々が利用したこの名鉄神宮前駅で、屋根の一部から吹き付けたままの状態のアスベストが発見され、名古屋では大きなニュースになりました。駅で何度となく深呼吸をしていたをきな氏の体調を心配しております)
最近建築にも興味をもってきたというをきな氏は、神宮内の独特な建築にうなずきながら、丹念に細かいところまで観察していた。この遠征のなかで、食欲よりもほかの興味が勝った数少ない時間のひとつだった。
そして、熱田神宮にやってきた本当の目的。それは、参拝路の途中にあるきしめんの店「宮きしめん」だった。熱田神宮の自然に囲まれながら、白い一反木綿のような、うどんを平らに潰したようなきしめんをズルズルいただこうと思ったのだ。
玉砂利の道の脇にたたずむ「宮きしめん」も文字。午前10時ごろなのに、早くも参拝者のじっちゃんばっちゃんたちで満員状態だ。酷暑のため、ざるきしめんをすする。うまい。だしがいい。うどんも蕎麦もうまいけれど、やっぱり名古屋の夏はざるきしめん!
「なかなかうまいなあ」とをきな氏はズルズルと長いきしめんをすすり、胃袋の中に収めていく。木陰でセミの鳴き声をBGMにして、我々は優雅なきしめんタイムを過ごしたのだった。
胃液が順調に出始めて、きしめんの炭水化物が消化され始めたころ、我々は次の目的地「ひつまぶし」の名店である蓬莱に向かったのだが、そこにはすでに「愛・地球博」並みのものすごい行列が。とにかく炎天下で行列なんてモグモグ隊の辞書にはなく、行列を見て一瞬でをきな氏も僕も「次いってみよ~」といかりやばりの低音で、名古屋の下町・大須に向かったのだった。
(つづく)
暑さで目が覚めた。ここはどこだ…?と周りを見れば、ボロボロのベッドに、小さな蛾の死骸などが散乱する窓際。そうだった、ここは2300円の宿…。僕は、本当にこんなところで朝を迎えてしまったのね、と初めてのお泊りを経験してしまった女子高生のようなセンチメンタルいっぱいの気持ちでおんぼろ部屋を眺めた。
足元ではをきな氏はひたいにビー玉大の汗をコロコロかいて苦悶の表情で浅い眠りについていた。
「っていうか、なんでクーラー切れるんだよ」
とひとりキレながら、僕はクーラーのボタンを押した。
「……」
風が出てこない。
ボタンを押した。結果は一緒。
何度も押した。壊れるくらい押した。
ところが、クーラーは昨晩の勢いはまったくなく、葬式で見る突然逝ってしまった近所のじいちゃんのように、静かに「ただそこにいる」だけだった。
「ん…、なに?」
あまりに激しくボタンを叩く音で、をきな氏が目覚めた。クーラーの件を報告すると「グエッ」と、楳図かずおのマンガのような驚き方をした。人間そういう表情もできるんだ、と教えられた瞬間だった。
なにもしていないのに汗だくの我々は、宿をあとにした。おそらくもう二度と訪れることはあるまい。こんな宿に2300円払うなら、マンガ喫茶かカラオケボックスにいたほうがどれだけ快適なことか。それは、たぶん本当だ。勇気がある方、こういう宿を見つけたら泊まってみてほしい。アジアの安宿を経験している僕でも、ちょっと勘弁してよ、というレベルだった。インドのおんぼろ宿並みに汚かった…。
「腹へったな…」
をきな氏が朴訥と語る。そうだった。我々がすべきことは、安宿を批判することではなく、名古屋名物を食い尽くすことだった。
「朝なので、やはりモーニングでしょう!」
我々はブラブラ歩いていて、目に付いた喫茶店に飛び込んだ。
「いらっしゃいませ!」
朝からやたらと元気なアルバイト学生の元気がまぶしい。
「モーニングを」
「かしこまりました」
やはり接客業はこうでなくっちゃ。
ほどなくして運ばれてきたのは、コーヒー、バタートースト、ジャム、ゆで卵、ヨーグルトがたっぷり載ったプレートだった。これでお値段350円。
「いやあ、これで勢いがつくってもんだ」
をきな氏はほくほく顔でほおばった。名古屋のモーニングは、じつはこのレベルは当たり前で、もっとすごいところは、これにさらにサラダがついたり、茶碗蒸しがついたりするところも。ちなみに僕が知っているサービス過剰のモーニングは、ドリンク代(約350円)だけで、店内にバイキングのようになっている、サラダ類、サンドイッチが食べ放題というところだ。やりすぎやろ。
早朝のモーニングで胃袋のエンジンもようやくかかりはじめ、次の目的地に向かおうとするが、名古屋グルメの店の大半はお昼ごろからの営業で、午前9時ではどこも開いていなかった。
「お腹すいたブ~」
をきな氏がうるさい。
「はいはい、もう少しでチュからねぇ」
と子供をあやすように、我々は電車で神宮前という駅に移動した。眼前には、うっそうとした森が広がる。そう、ここは熱田神宮。名古屋近辺でもっとも規模の大きい神社なのだ。三種の神器のひとつもここに祭られている由緒正しいところでもある。
(追記 先日我々が利用したこの名鉄神宮前駅で、屋根の一部から吹き付けたままの状態のアスベストが発見され、名古屋では大きなニュースになりました。駅で何度となく深呼吸をしていたをきな氏の体調を心配しております)
最近建築にも興味をもってきたというをきな氏は、神宮内の独特な建築にうなずきながら、丹念に細かいところまで観察していた。この遠征のなかで、食欲よりもほかの興味が勝った数少ない時間のひとつだった。
そして、熱田神宮にやってきた本当の目的。それは、参拝路の途中にあるきしめんの店「宮きしめん」だった。熱田神宮の自然に囲まれながら、白い一反木綿のような、うどんを平らに潰したようなきしめんをズルズルいただこうと思ったのだ。
玉砂利の道の脇にたたずむ「宮きしめん」も文字。午前10時ごろなのに、早くも参拝者のじっちゃんばっちゃんたちで満員状態だ。酷暑のため、ざるきしめんをすする。うまい。だしがいい。うどんも蕎麦もうまいけれど、やっぱり名古屋の夏はざるきしめん!
「なかなかうまいなあ」とをきな氏はズルズルと長いきしめんをすすり、胃袋の中に収めていく。木陰でセミの鳴き声をBGMにして、我々は優雅なきしめんタイムを過ごしたのだった。
胃液が順調に出始めて、きしめんの炭水化物が消化され始めたころ、我々は次の目的地「ひつまぶし」の名店である蓬莱に向かったのだが、そこにはすでに「愛・地球博」並みのものすごい行列が。とにかく炎天下で行列なんてモグモグ隊の辞書にはなく、行列を見て一瞬でをきな氏も僕も「次いってみよ~」といかりやばりの低音で、名古屋の下町・大須に向かったのだった。
(つづく)
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