南京は中国三大釜のひとつと称されている街である。釜、つまり、釜のように暑いということ。かなり恐れおののいていた我々だったが、空港からのバスにいきなり降ろされ、とぼとぼと街に向かって歩いているとき、さほど暑くはなかった。
「こんなもんかねえ」
日本でクーラーのない生活をしていたにいやにとって、暑いのは暑かったが、釜と形容するほどのことじゃないと思っていた。
日本でクーラーのないところにはいかない生活を送っていたしんたろーにとって、荷物を背負っていつ着くかわからない道程を歩いているのは、八甲田山の行軍かインパール作戦かと思うほどの苦行で、いますぐにでもタクシーを拾いたかったが、にいやが「うん」と言わないだろうと諦め、黙々と足を前に出すことに専念していた。
しばらく歩いていると、背負っていたバックパックにポツポツという音が。あっという間に道路も染まり出した。夕立だった。
だから涼しかったのか、と納得しているうちに雨足はどんどん強くなっていく。ものの数分でドシャ降りになってしまった。
しんたろーは急いでバックパックのなかから折り畳み傘を出し、傘のないにいやを入れてくれたが、大荷物を背負っている男2人が雨をしのぐにはあまりに力不足で、あっという間に濡れていった。
雨宿りしようにも、周りに建物はなかった…。
と、そのとき向かっている方向からやってくる1台の車。雨のなか目を凝らしてみると、タクシーだった!
「ヘイ、タクシー!」
普段はひきこもっているしんたろーが、この時は傘を捨てんばかりの勢いで手を振り、タクシーを停めた。
そして、タクシーに乗り込む我々。運ちゃんが何か言ってくる。行き先を聞いているのだろう。とりあえず街の中心まで、とにいやが言おうとすると、しんたろーはガイドブックをにいやの手からひったくり、「地球の歩き方」のホテル紹介ページに載っている高そうなホテルを指した。それを見てうなずく運ちゃん。走り出すタクシー。してやったりのしんたろー。傘をなくしたショックから立ち直れず呆然としたままのにいや。
あっという間に、ホテルに着いた。
タクシー代は予想外の出費だったが、まあ雨だったし、状況が状況だったし、仕方ないよね、ということで、本来ならば怒髪天を突いているにいやもおとなしかった。
そしてそのままホテルにチェックイン。呆けているにいやはなんでもいいやと自暴自棄になっており、値段も確認せず、部屋を取り、そのまま死んだように眠った。しんたろーは久しぶりの快適なホテルに満足して、快適な眠りをむさぼっていた。
翌朝。
目覚め、財布の中身を確認すると、残金が10角(約1.5円)しかなかった。それも2人合わせて。
予想外のタクシー代、いままで泊まったなかで最も高価なホテル代のせいだった。
「バカ、ろくでなし!」とにいやはしんたろーをののしるも、後の祭り。地獄の沙汰も金次第。朝食も食べれず、水も買えず、バスにも乗れず、とにかく銀行を探して両替をするしかなかった。
地図を見て銀行に向かうも、1件目は外貨両替していないと断られ、2件目は閉まっており、3件目も閉まっており……。どこもかしこも両替できなかった。
なぜだ、なぜなんだ!
昨日とうってかわり、三大釜も本領を発揮し始め、気温が急上昇、湿度もどんどん増えているのがわかる、不快指数200%の街。
そのなかを1滴の水も口にせず、ひたすら銀行銀行と題目のように唱えながら、さまよう我々。
街の中心部にある銀行をすべて回ったが収穫はなく、駅付近ならば旅行者も多いので開いているのではないかという推測のもと、5キロ以上離れている鉄道駅までとぼとぼと歩いていた。
日本円ならば中国人の年収くらいもってんど! なんぼでも払うから水と飯よこせや! と言ってみても、中国元しか受け取らないの1点張り。
とにかく歩いた。この街に来た目的は両替だったんじゃないかと思うくらいに、歩いた。数十年前、大陸に派兵された歩兵はこんな気持ちだったのだろうか、と朦朧とする意識で考えながら歩くにいやのはるか後ろで、「もうだめ…水…」と敗残兵のようなか細い声でうめくしんたろーが必死ににいやの背中を追っていた。
結局、なんとか両替できたのは午後3時。地元民でも歩かない日中の街中を歩き、手にした中国のお金は、驚くほどとびきりの笑顔で、毛沢東が笑っていた。
「今日開けてるのは南京でもここだけなんだよ」と銀行員に教えられ、初めて今日が8月15日だったと気付いたのだった。
南京おそるべし。人々はやさしかったけれど、街はとてつもなく不親切だった…。
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