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やすとみせんせいの気保養記

日常診療や院の取り組みなどを紹介していきます!(^^)!

南相馬市ボランティア活動

2014年12月29日 | ボランティア活動
今月も

福島県南相馬市へボランティア活動

に行ってきました

今回は、

「鹿島西町第一②応急仮設住宅」

です

今回の同行スタッフは牧ちゃん



安藤 湧 先生



が、協力して下さいました

毎度ご苦労様ですm(_ _)m

ここは、初めての訪問です

西町仮設には第一と第二があり、さらに第一だけでも①~④まである大きな仮設です。

そんな仮設でしたので、初めてでも少し期待をしながら望みました

ところが、
①12月20から特例宿泊制度を活用してお正月を自宅で過ごす方がいた。
②もともと、三分の一から半分程の仮設の住民は引っ越してしまっている。
などなど、人のいない条件がそろってしまいました

結果…さみしい数に・・・


↑サボってます

ここも南相馬市小高区の方が多くいるため、お正月くらいは多少線量が高くとも、ライフラインが整備されていなくとも、自宅で過ごしたいと思うのが誰しも思うところでしょう。

実際は、
「住んでみて、夜は周囲は真っ暗で外灯の明かりさえ無い状態で治安や緊急時の対応に不安感がある一方、やはり一時的でも自分の家に住んでいると言う実感は何物にも替え難い喜びでもある。また、公共サービスである郵便配達、家庭ゴミの定期収集、新聞配達等が行われていないので、避難先の原町区内借り上げ住宅と往復せざるを得ないのはやはり不便である。(「今日の南相馬市小高区」より一部抜粋))」


それでも、来て頂いた患者さまには精いっぱいの治療をさせて頂きました


お忙しい中、ご来場下さいましてありがとうございましたm(_ _)m



当然ながら、予定していた運動教室は出来ませんでした

少し残念な気持ちになりながら、きれいに後片付けをし、集会所をあとにしました



今回は、久しぶりにボランティア終了後、
南相馬市立総合病院の及川友好医師
を訪問しました

お忙しい先生ですが、我々の為に時間を作って頂き、歓迎してくださり感謝しています



先生は、忙しい時間の合間で担当する仮設住宅を回り、ボランティアで仮設暮らしの住民の健康管理をされているそうです。

今回の我々のように、スタッフが5人ほど行って、住民の方は3人…という残念なこともしばしばあるようです

地元に根付いていても、人集めは難しいのだなと改めて知らされました


ボランティア活動にあたり、
資材のご提供を頂いています山梨の
『 有限会社 平穂医科器械 』 さま
のご厚意に、この場を借りて深く感謝致します。
ありがとうございます。




【医術は三つの要素から成る、疾病と患者の医師なり。
医師は医術の下僕なり。
患者は医師とともに疾病と闘わねばならず。】

― ヒポクラテス ―
〔 Hippocrates 〕
( 古代ギリシアの医者 )



〒409-0112
山梨県上野原市上野原1735番地
◆Tel&Fax 0554-62-1189
◆ホームページアドレス
http://www6.plala.or.jp/yasu-A-M-B/

◆メールアドレス
yasu-a-m-b@amail.plala.or.jp

↑(病気や怪我などについてご質問のある方はこのアドレスにメールを下さい)
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南相馬市ボランティア活動

2014年11月25日 | ボランティア活動
今月も

福島県南相馬市へボランティア活動

に行ってきました

今回は、

「小池第三応急仮設住宅」

です

今回の同行スタッフは安藤 湧 先生



【 鍼灸院接骨院さくら 】
山梨県笛吹市御坂町井之上1112-7
〔055-269-9810〕
中村幸雄 先生(明治国際医療大学時代の同級生)




が、ご協力して下さいました

毎度ありがとうございますm(_ _)m

ここは、3回目の訪問です

毎度毎度ですが、ここは良く来て下さる集会所です

朝から「首を長くして待っていた」と言う患者さんがドシドシ御来場頂き、12時過ぎまでの予約がいっぱいに

喜ばしい悲鳴と共に、終始僕らはてんやわんや

しかしながら、何とかあまりお待たせすることもなく、頑張りぬきました



ご協力下さいましてありがとうございましたm(_ _)m



患者さまより頂いた、アンケートの一部をご紹介します





ご協力ありがとうございましたm(_ _)m

そして、ボランティア治療後には「おたっしゃ教室」を行いました



参加者は少なかったですが、その分1人1人丁寧に指導していきました



今回も楽しみながら充実した運動教室ができました

ご協力をありがとうございましたm(_ _)m

参加者様より頂いた、アンケートの一部をご紹介します





ご協力ありがとうございましたm(_ _)m

今回も無事に仕事を成し遂げた満足感と共に後片付けをし、集会所をあとにしました


その後、9月に行った富岡町へ国道6号線を南下しながら経過を見に行きました

富岡町に入るまでは、所々で検問やバリケードで6号線から横道に入れない状況でした





そして、富岡の駅周辺は2か月前と変わらずに、荒れ果てていました





いつになれば、きれいな景観が見れるようになるのでしょうか。

ゴーストタウンと化した富岡駅前の景色は何度見ても、見返してもとても悲しく、切ない、胸を苦しくさせるものでした。











ボランティア活動にあたり、
資材のご提供を頂いています山梨の
『 有限会社 平穂医科器械 』 さま
のご厚意に、この場を借りて深く感謝致します。
ありがとうございます。







【自然は絶えず我々と語るが、その秘密を打ち明けはしない。
我々は常に自然に働きかけるが、それを支配する何の力もない。 】

― ヨハン・ヴォルフガング・フォン・ゲーテ ―
〔 Johann Wolfgang von Goethe 〕
( ドイツの詩人、劇作家、小説家、自然科学者、政治家、法律家 )



〒409-0112
山梨県上野原市上野原1735番地
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南相馬市ボランティア活動

2014年10月08日 | ボランティア活動
今月も

福島県南相馬市へボランティア活動

に行ってきました

今回は、

「小池原畑第一応急仮設住宅」

です

今回の同行スタッフは牧ちゃん


↑今回もエステです

安藤 湧 先生



【 鍼灸院接骨院さくら 】
山梨県笛吹市御坂町井之上1112-7
〔055-269-9810〕
中村幸雄 先生(明治国際医療大学時代の同級生)




が、ご協力して下さいました

忙しい中ありがとうございますm(_ _)m

ここは、7月に訪問させてもらったばかりのところです

その時は、かなりの来場者の少なさに時間を持て余すほどでした・・・

少しドキドキしながら会場の準備をしていると

準備中から少しずつ予約者がご来場



そして、ふたを開けてみれば終始バタバタ、バタバタ

うれしい悲鳴となりました

でも、タイミング良くみなさんバラバラの時間帯に来て下さったので、そんなに待つ事もなく満足して頂けました



途中からは、台風の影響で雨が降り始めましたが、大きな影響もなく無事に終えました



ありがとうございましたm(_ _)m

患者さまより頂いた、アンケートの一部をご紹介します





ご協力ありがとうございましたm(_ _)m

今回の運動教室は、お休みにしていました

次回しっかりとさせて頂きます

掃除をし、元の状態に戻し、後始末をしっかりと行い集会所を後にしました




今回は、久しぶりにボランティア終了後、
南相馬市立総合病院の及川友好医師
を訪問しました

お忙しい先生ですが、我々の為に時間を作って頂き、温かく迎えてくださり感謝しています

少しずつ、変化する南相馬市ですが国、政府、県、市、自治体などそれぞれが抱えている問題。

そして、各機関との連携の難しさ、3歩進んで2歩下がる復興の遅れ。

日々時間が経過しても、仮設暮らしという震災後の環境が何も変わらない市民が多く生活している中で、ボランティアの数も減り、国民の関心も薄らいでいく現状。

葛藤が渦巻く環境ではあるようですが、それでも腐らずに医師として真っ直ぐ患者さんを治療し続ける及川先生でした。

また、医師としての活動を超え、九州や北海道など全国、またオーストリアのウィーンなどの諸外国に赴き、招待講演で福島の今を伝え続けています。

その活動的で真っ直ぐな姿に、わが身を振り返り、襟を正す思いでした。

そんな及川先生の微力ながらも後援が出来たらと、このボランティア活動を続けていこうと思います



ボランティア活動にあたり、

資材のご提供を頂いています山梨の

『 有限会社 平穂医科器械 』 さま

のご厚意に、この場を借りて深く感謝致します。

ありがとうございます。




【 昨今の世相の乱れを憂い、教育改革がよく叫ばれています。
しかし、私は教育を論ずる前に、
労働の価値と意義を子供や若者たちに
教える必要があると思っています。
多くの日本人が自分に与えられた仕事に打ち込み、
また、世のため、人のために役立とうとするなら、
21世紀の日本は素晴らしいものになると信じています。 】

― 稲盛和夫 ―

( 日本の実業家、京セラ・KDDI創業者、稲盛財団理事長、
日本航空名誉会長 )



〒409-0112
山梨県上野原市上野原1735番地
◆Tel&Fax 0554-62-1189
◆ホームページアドレス
http://www6.plala.or.jp/yasu-A-M-B/

◆メールアドレス
yasu-a-m-b@amail.plala.or.jp

↑(病気や怪我などについてご質問のある方はこのアドレスにメールを下さい)
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南相馬市ボランティア活動

2014年09月30日 | ボランティア活動
今月も

福島県南相馬市へボランティア活動

に行ってきました

今回は、

「桜井町応急仮設住宅」

です

今回の同行スタッフは牧ちゃん



安藤 湧 先生



が、協力してくれました

毎度ありがとうございます

今回は、朝一番から予約が殺到



終始バタバタ、バタバタ

時間一杯まで頑張りました



途中、おばあちゃんを探して可愛らしい女の子の姉妹が遊びに来ました



賢くて、健気な振る舞いに一気に空気が和みました

ありがとうございました

患者さまより頂いた、アンケートの一部をご紹介します





ご協力ありがとうございましたm(_ _)m

そして、今回は久しぶりの運動教室です



参加者は多くなかったものの、その分、1人1人にじっくり丁寧な指導をしました

皆さん、一生懸命に実施し、程よい疲労感で喜んで帰って行かれました



患者さまより頂いた、アンケートの一部をご紹介します





ご協力ありがとうございましたm(_ _)m

今回は、すべてを遂行できた満足感と共に片付けをし集会所を後にしました。





6号国道規制解除 帰還困難区域 全線通行可能に
福島民報 9月15日(月)

 福島県の浜通りを縦断する6号国道は15日午前零時、東京電力福島第一原発事故による双葉郡内の帰還困難区域の交通規制が解除された。東日本大震災と原発事故発生から約3年半ぶりに全線で一般車両の通行が可能となった。
 規制が解除されたのは富岡、大熊、双葉3町にまたがる延長約14キロ。6号国道と常磐自動車道常磐富岡インターチェンジを結ぶ富岡町の県道小野・富岡線1・7キロ区間も通行可能となった。これまでは、許可を受けた住民らの車両のみ通ることができた。
 防犯のため6号国道から脇道への進入を原則禁止し、バリケードで入り口を封鎖した。一時立ち入りの許可を受けた住民は出入りできる。被ばく防止のため自動車だけ通行でき、オートバイや自転車、徒歩は認めない。規制解除区間では原則として駐停車できない。
 環境省は4月から8月にかけて沿線を除染した。同省によると、今回規制が解除される14キロ区間の除染後の平均線量は毎時3・8マイクロシーベルト。最大値は大熊町の福島第一原発付近の毎時17・3マイクロシーベルト。県道小野・富岡線は平均毎時2・3マイクロシーベルト。
 政府は震災と原発事故発生直後の平成23年4月、旧警戒区域内の6号国道の交通規制を始めた。その後、避難指示解除準備、居住制限両区域に再編された区間から順次、規制を解除してきた。
 車両に停車を求め通行許可書の確認が行われてきた富岡町の富岡消防署前では、15日午前零時と同時にゲートが開放された。県警本部や双葉署は同日、交通規制が解除された区間の防犯パトロールを行った。
(福島民報社)




上記の記事の内容を、新聞などの報道でご存知の方もいると思います

国道6号線の通行が解除された事により、我々が行っている南相馬市と、ボランティアの最初に行ったいわき市の方まで南下することが可能になりました

しかし、多くの問題を抱えている現状としては、素直に喜んでばかりとも言えないようです。

下記のサイトに詳しい現状が載っていますので参照して下さい

「真実を探すブログ」

取りあえず、我々も国道6号線を南下してみることにしました。

福島県の通称「浜通り」と言われる地域を縦に走る国道6号線を、ボランティア先の集会所を後に、

南相馬市⇒浪江町⇒双葉町⇒大熊町⇒富岡町⇒楢葉町⇒広野町








というルートを走りました

また道中、ガウガーカウンターで放射線量を測定しながら向かいました。

まず、南相馬市のボランティア活動をしているところの線量が

0.15μ㏜/h

次に、双葉町を走行中の線量は

6.80μ㏜/h

福島第一原子力発電所の真横を走行中の線量は

1.18μ㏜/h

原発の周囲は意外と低いのかなと思っていました
しかし現実は甘くなく、原発の入口の交差点を過ぎてからでした。


線量はみるみる上昇を続け、本日最大となる線量になりました。

15.93μ㏜/h


身の毛がよだちました



●従来の日本の基準値(自然放射線以外に一般人が浴びることの出来る放射線)
一般人:1mSv/year(0.11μSv/h)

●自然被曝量(自然界から受ける放射線の量)
・世界平均2.4mSv/year(0.27μSv/h)
・日本平均1.5mSv/year(0.17μSv/h)
⇒うち外部被曝は0.07μSV/h

●公衆被曝上限の国際比較
・日本 1mSv/year(0.11μSv/h)
・アメリカ 1mSv/year(0.11μSv/h)
・イギリス 0.3mSv/year(0.03μSv/h)
・ドイツ 0.3mSv/year(0.03μSv/h)

●全国の平常値の範囲
・北海道 0.02~0.105μSv/h
・福島県 0.037~0.046μSv/h
・東京都 0.028~0.079μSv/h
・山梨県 0.040~0.066μSv/h
・大阪府 0.042~0.061μSv/h
・沖縄県 0.0133~0.0575μSv/h

●国の汚染状況重点調査地域(除線基準値)
0.23μsv/h(20mSv/year)

●計画的避難区域や居住制限区域への指定の目安となる
3.8μSv/h(33.28mSv/year)


●文部科学省の福島県内の学校等の暫定基準(23年4月19日~)
・20mSv/year(2.28μSv/h)
・屋内外を考慮すると、屋外3.8μSv/h(33.28mSv/year)

●現在のところ国際的に発ガンリスクが認められていないといわれる被曝量
100mSv/年(11.42μSv/h)
※医師の判断で必要とされた医療被曝の許容値と解釈すること。
(胎児に対しても顕著なリスク発生は認められていない)

●医療行為の被曝量
・胸部X線写真:0.057 mSV(57μSv)
・頭部X線写真:0.09 mSV(90μSv)

●放射線作業従事者が許容されている被曝量その1
100mSv/5年=20mSv/year(2.28μSv/h)

●放射線作業従事者が許容されている被曝量その2
50mSv/year(5.71μSv/h)

●白血病を発症した成人男性の原発作業員に、労災を認めた基準(過去判例)
0.57μSv/h(5mSv/year)

●福島第一原発事故時、収束作業の為に許された基準
・従来の規定=11.42μSv/h(100mSv/year)
・実際の事故後の規定=28.54μSv/h(250mSv/year)



福島第一を通り過ぎると今度は福島第二原子力発電所があり、そこは途中までは行けましたが、その先には検問があり許可がないと通れないようになっていたので引き返しました


そこまでの道の橋の下には線路がありましたが、原発前か後からかは分かりませんが、電車の通らない線路に雑草が勢力を増していました。


それからも、町には至る所に警察官がおり、6号線から横道への侵入を阻んでいました



警察がいないところでは、バリケードの網格子が侵入を防ぎ、何処かに避難している住人たち以外の訪問を閉ざしていました


そこからしばらくして、富岡町に入り横道への侵入も可能となり、さっそく6号線を外れた東日本旅客鉄道(JR東日本)常磐線の駅である富岡駅に向かいました




未だに、廃墟と雑草のジャングル、ボロボロの廃車までが無残に転がっており、震災後に人の手がほとんど加わっていない事が明らかでした






1番驚いたのは、道路の真ん中に家があったことです


しかも、恐らくベランダがあることから1階の存在しない2階のみの家でした。

そして、当たり前のように至る所で山積みにされた放射性廃棄物質の丘が広がっていました。


これだけの数えきれないほどの量の黒い塊を真近で見ると、唖然とします。

言葉になりません。


福島は今も、苦しんでいました


ボランティア活動にあたり、

資材のご提供を頂いています山梨の

『 有限会社 平穂医科器械 』 さま

のご厚意に、この場を借りて深く感謝致します。

ありがとうございます。




【 時はいっさいのものをゆっくりと破壊する。 】

― ジョセフ・ジューベル ―

〔 Joseph Joubert 〕

「パンセ」

( フランス、哲学者、随筆家 )




〒409-0112
山梨県上野原市上野原1735番地
◆ Tel&Fax 0554-62-1189
◆ ホームページアドレス
http://www6.plala.or.jp/yasu-A-M-B/

◆ メールアドレス
yasu-a-m-b@amail.plala.or.jp

↑(病気や怪我などについてご質問のある方はこのアドレスにメールを下さい)
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南相馬市ボランティア活動

2014年08月12日 | ボランティア活動
今月も

福島県南相馬市へボランティア活動

に行ってきました

今回は、

「牛河内第三応急仮設住宅」

です

今回の同行スタッフは牧ちゃん



安藤 湧 先生



【 鍼灸院接骨院さくら 】
山梨県笛吹市御坂町井之上1112-7
〔055-269-9810〕
中村幸雄 先生(明治国際医療大学時代の同級生)



が、協力してくれました

毎度ありがとうございます

また、今回は都留市立東桂中学校より職場体験に来た
原田実有ちゃん



も初参加となりました

集会所へ向かう道中、沿道の花を綺麗に整備している川俣町の人々を見かけました



老若男女、子供からお年寄りまで朝早くからご苦労様です



このような、住民の努力のお蔭で我々は気持ちよくボランティア会場へと向かえます

そんな清々しい気持ちではありましたが、今回もスタートはポツ~ン、ポツ~ンと来る状況

お盆前の準備でお墓の掃除などがあり忙しかったこともあると思います

また、この辺の住民のほとんどが南相馬市小高区の住民です。

その為、今実施されている

『避難指示解除準備区域等における夏期特例宿泊』

で自宅に帰っている方々も居るので仮設に人が少ない状況でした

しかし、牛河内は第一から第四まである大きな仮設住宅街です

暇な時間は外へ出て、お誘いの声を掛けに、今回の第三だけではなく他の所へも歩いて宣伝に行きました



でも、この日も暑く、気温計は34℃を示していました



暑い中、実有ちゃんも頑張ってくれました



ご苦労様です

このような状況の中でも、御来場頂いた患者様方には大変感謝です

ありがとうございましたm(_ _)m



患者さまより頂いた、アンケートの一部をご紹介します





ご協力ありがとうございましたm(_ _)m



今回も運動教室の準備も宣伝もしたにもかかわらず、参加者が現れませんでした

最近は特に、参加者を集めるのが難しいです


ボランティア終了後には、久しぶりに避難区域への視察に行きました

小高駅の東側、以前は津波で打ち上げられた車や船が大破した状態で散乱していました。


(2013.3.20)

今回の8月の状況では、船が未だにあるものの、車は撤去され、大きな瓦礫が無くなり綺麗になっていました。



また、更に東の海沿いでは、道が崩れ落ちているところもありましたが、


(2012.5.13)

今回通ったらだいぶきれいになっていました。



少しずつですが復興は進んでいます

隣町の浪江にもいきました

未だに、メイン通りの国道6号線以外の脇道への通行には、許可証の提示が義務です。

その通り沿いの「ファッションセンター しまむら」の線量を計測してみました。

以前、お店の裏の側溝を計測した時は


1.92μSv/h(2013/4/28)

今回はだいぶ下がって


0.47μSv/h

駐車場には貼り紙があり『除染作業終了』と書いてありました。

人々の努力なくして、今の線量は無いのでしょうが、それでもまだ高い線量だと言わざるを得ません。

また、帰り道の飯舘村も測りましたが、こちらの方が未だに高い


1.37μSv/h

以前、同じような場所で計測した際は


2.23μSv/h(2013/5/19)

福島第一原発からは、かなり離れているのですが、未だに放射能の恐怖から逃れられません。

それでも、復興と帰宅を目指し、日々多くの作業員で除染作業は行われているようです。



しかし、その多くの放射性物質の処理は、昔は田畑だったであろう場所に積み上げられ、ブルーシートを掛けただけで放置されています。



その数の多さに唖然とします。

これを今後、中間貯蔵施設へ運ぶことができるのか…。


●従来の日本の基準値(自然放射線以外に一般人が浴びることの出来る放射線)
一般人:1mSv/year(0.11μSv/h)

●自然被曝量(自然界から受ける放射線の量)
・世界平均2.4mSv/year(0.27μSv/h)
・日本平均1.5mSv/year(0.17μSv/h)
⇒うち外部被曝は0.07μSV/h

●公衆被曝上限の国際比較
・日本 1mSv/year(0.11μSv/h)
・アメリカ 1mSv/year(0.11μSv/h)
・イギリス 0.3mSv/year(0.03μSv/h)
・ドイツ 0.3mSv/year(0.03μSv/h)

●全国の平常値の範囲
・北海道 0.02~0.105μSv/h
・福島県 0.037~0.046μSv/h
・東京都 0.028~0.079μSv/h
・山梨県 0.040~0.066μSv/h
・大阪府 0.042~0.061μSv/h
・沖縄県 0.0133~0.0575μSv/h

●国の汚染状況重点調査地域(除線基準値)
0.23μsv/h(20mSv/year)

●計画的避難区域や居住制限区域への指定の目安となる
3.8μSv/h(33.28mSv/year)


●文部科学省の福島県内の学校等の暫定基準(23年4月19日~)
・20mSv/year(2.28μSv/h)
・屋内外を考慮すると、屋外3.8μSv/h(33.28mSv/year)

●現在のところ国際的に発ガンリスクが認められていないといわれる被曝量
100mSv/年(11.42μSv/h)
※医師の判断で必要とされた医療被曝の許容値と解釈すること。
(胎児に対しても顕著なリスク発生は認められていない)

●医療行為の被曝量
・胸部X線写真:0.057 mSV(57μSv)
・頭部X線写真:0.09 mSV(90μSv)

●放射線作業従事者が許容されている被曝量その1
100mSv/5年=20mSv/year(2.28μSv/h)

●放射線作業従事者が許容されている被曝量その2
50mSv/year(5.71μSv/h)

●白血病を発症した成人男性の原発作業員に、労災を認めた基準(過去判例)
0.57μSv/h(5mSv/year)

●福島第一原発事故時、収束作業の為に許された基準
・従来の規定=11.42μSv/h(100mSv/year)
・実際の事故後の規定=28.54μSv/h(250mSv/year)



小高区井田川地区の海を望む高台に、以前には無かったお地蔵様が建てられていました



2体の小さなお地蔵様が、遠くを見つめるお地蔵様を見上げていました。

胸が締め付けられる思いに、手を合わして被災した方のご冥福を祈りました。



このお地蔵さんは調べてみると建立主体は、

山形市のNPO法人『被災地に届けたい「お地蔵さん」プロジェクト』

の方々だそうです。

東日本大震災の津波で多くの住民が犠牲になった各地に、慰霊の地蔵像を建てていくのだそうです。

2013年(平成25年)12月22日(日)、宮城県石巻市に続き南相馬市で2ヶ所目の序幕式が行われました。

子どもの地蔵2体を含め3体の地蔵像です。

三体の真っ白なお地蔵さんです。

お母さんと子ども(兄と妹)の、親子の「お地蔵さん」です。

手を合わせ優しく微笑むお母さん、そして向かって右側に、お母さんを見上げる男の子、また左側には花を抱えてお母さんを見上げている小さな女の子。

今後、岩手・宮城・福島の各県合計50ヶ所に建立予定だそうです。

大変壮大かつ偉大な計画です


ついでに、お地蔵様についても少し調べました

お地蔵さま「地蔵菩薩」

お地蔵さまの「地」は大地を意味し、「蔵」は包み込むという意味で、お地蔵さまはすべての命を育む大地のように、私達を包み込んで下さると言われており、さまざまなところへ現れて、私達を苦しみから救って下さる仏様なのです。大地の徳を備えた仏様なので、お寺だけでなく屋根のない道筋などで私達を見守って下さっているのです。
自分だけでなく、あらゆる苦しみからすべての人々を救おうという、お誓いを立て仏教の修行を続け、私たちを救って下さる仏様を菩薩さまといいます。
お地蔵さまも菩薩さまです。お釈迦さまが亡くなられてから、弥勒菩薩さまが現れるまでの気の遠くなるような長い間、天上界から地獄まであらゆる場所ですべての人々を救おうと決心された菩薩さまと言われています。
お地蔵さまがきらびやかな装身具を付けず、お袈裟を身にまとい、お坊さんの姿をしているのは、人間である私達に最も近い姿で私たちの苦しみに寄り添って下さるからなのです。また、お地蔵さまは最も弱い立場の人の苦しみを真っ先に救って下さるもと言われています。子供さんを先に亡くされた方や、事故などで突然に亡くなってしまった方のご遺族の方、とても大切な方を亡くされ苦しんでいる方や、病気で苦しんでいる方、ご高齢のために身体の自由がきかなくなってしまった方など、ご自身の事で苦しんでいる方々・・・。そのようなさまざまな人々の深い苦しみを、お地蔵さまは身代わりとなり受け止めて下さると言われているのです。




帰り道、いつものように夕食を食べに今日は『新川』(福島県伊達郡川俣町鉄炮町)へ行きました

何度か利用しています

『新川』は割烹料理と食堂の同時経営で、寿司カウンター有り、中華、和食、洋風ありの昭和の香り満載で和洋折衷の「町の食堂屋」さんです。

また、川俣町は町をあげて「川俣シャモ」に取り組んでいるようです



なので、1人はいつものように「イタリアン川俣しゃも親子丼(親子丼チーズのせ)」を注文。

僕はちょっとリッチに「うな重」を注文。

他のスタッフもそれぞれ注文。



最初に他のスタッフの頼んだ物が届き、正味30分程待って僕のうな重がようやく到着。



その間に、僕らが注文した後から来た隣の常連さんっぽいお客さんの注文は全部揃って、美味しそうに定食を食べていました。(同じ注文したものも、何故かお隣の方が早く到着)

しかし、鰻の味はバッチリ美味しくて満足でした

ところが、何故か米が固い?気のせいかなと食べ進めてもやっぱり固い?

最後に40分待ってようやく来た親子丼の米も固い?



さすがに店員に一言。

その後、10分程待って半分食べてしまった僕のうな重は、すでにバラバラになった鰻をそのままに御飯だけ交換(謝罪なし)

見た目は最悪で何だか、イマイチの味に変わってしまいました。

親子丼はすでに注文してから50分が経過しており、他のスタッフは当然食べ終わっているため、持ち帰ることに。

しかし、持ち帰りの話をしたにもかかわらず、5分くらい経って「いつ出来ますか?」と聞くと誰も何もしておらず「何のこと?」って対応。

その後も、何度かスタッフが「どれくらい?」と聞いても、忙しい厨房で邪魔臭そうに対応され「もう少し」を繰り返すばかり。

そして、忙しさで誰も手を付けない親子丼は、そこに置き去りのままになっていたとのこと。

帰りの時間を考えるともう待てないので、持ち帰りもキャンセルし「もういいから帰ります。」となって、お会計をしたら料金はちゃっかり全額請求さる始末。

親子丼なんて1口食べただけで、お店の不始末で食べていないのに全額払わされることになってしまいました。

車に乗る間際に、粗品とお持ち帰りの親子丼をようやく持ってきましたが、初動対応の悪さに全く気分は治まらずイライラしながら帰路につきました。


お店の外の駐車場では賑やかに盆踊りをしていました。

きっとそのせいで、お店の中が手薄になった不始末なのでしょう。

地域の常連さんを大切に。一見さんは適当に。本当に残念です。

もう、行くことはないと思いますm( _ _)m






ボランティア活動にあたり、

資材のご提供を頂いています山梨の

『 有限会社 平穂医科器械 』 さま

のご厚意に、この場を借りて深く感謝致します。

ありがとうございます。









【 我々は自然を鑑賞する事ばかりが多く、

自然とともに生きようとする事があまりに少ないように思われる。 】

― オスカー・フィンガル・オフラハティ・ウィルス・ワイルド ―

〔 Oscar Fingal O'Flahertie Wills Wilde 〕

( アイルランド、劇作家、小説家 )



【 自然は絶えず我々と語るが、その秘密を打ち明けはしない。

我々は常に自然に働きかけ、しかもそれを支配するなんの力もない。 】

― ヨハン・ヴォルフガング・フォン・ゲーテ ―

〔 Johann Wolfgang von Goethe 〕

( ドイツの詩人、劇作家、小説家、自然科学者、政治家、法律家 )



【 自然は決して我々を欺かない。

我々自身を欺くのは常に我々である。 】

― ジャン=ジャック・ルソー ―

〔 Jean-Jacques Rousseau 〕

( フランス、哲学者、政治哲学者、教育哲学者、言語哲学者、作家、作曲家 )



【 常に考えよ今日の損益を。

今日の損益を明らかにしないでは寝に就かぬ習慣にせよ。 】

「商売戦術三十ヶ条」より

― 松下幸之助 ―

( 実業家、発明家、パナソニック経営者、経営の神様 )






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