岡山のエアロスターといえば両備バス、コレはこう言っても過言ではありませんな。岡山ふそうを傘下に持つ両備バスでは昔は日野じゃいすゞじゃいましたが、三菱の御三家と呼ばれることからもわかるように、その後は三菱一筋なのは承知のことと思いますわ。
一方、その好敵手であった下電バスではそれに対向してか、当時のメインは日産ディーゼル及び日野でその車種構成を固めていましたわ。
そんな中、1台だけ存在したこの車両・・・
下津井電鉄 社番:A534 P-MP618M 昭和60年式
そうなんですよ、エアロスターMが1台だけいたんですよ。もちろん新車にて導入ですわ。下電バスといえばそこそこの距離を走る郊外路線ばかりだったので前後ドアがメインでしたが、この年式前後は大型路線車でも前中扉で導入されていたんですよ。そんなこともありこのエアロスターも中扉、車内はハイバックシートが並びマーカーランプの無いシンプルな宇野バスと言った感じですなぁ。
この頃の下電は積極的に車両のリニューアルをしていたので、
後にこんな感じに塗り替えられましたわ。
それにしても、こんな残念な感じの写真しか撮れていなかったんですよ・・・・コレにはショック。それだけ遭遇率が低かったんですよね。それもあるんですけど、まともに撮れてないのは↓が原因か?
コレですわ・・・・
な、なんと!中扉埋めると言う魔改造と呼んでもいいようなボディーリフレッシュを受け、養護学校のスクールバスとして第2のバス生を歩んでいたのでした!。(もちろん、営業所で撮影許可はもらってますゼ)
これまたこんな写真しかなく・・・ホント縁が無かったんですな。
路線車において、純粋な育ちの三菱車はこのエアロスターMのみなんですけど、かつて宇野自動車から大量のブルドックが移籍、更に倉敷市交通局の廃業から譲受した三菱車が流入し、下電バスにおいて三菱路線車の割合が一気に増えていったんですよ・・・・。
一方、その好敵手であった下電バスではそれに対向してか、当時のメインは日産ディーゼル及び日野でその車種構成を固めていましたわ。
そんな中、1台だけ存在したこの車両・・・
下津井電鉄 社番:A534 P-MP618M 昭和60年式
そうなんですよ、エアロスターMが1台だけいたんですよ。もちろん新車にて導入ですわ。下電バスといえばそこそこの距離を走る郊外路線ばかりだったので前後ドアがメインでしたが、この年式前後は大型路線車でも前中扉で導入されていたんですよ。そんなこともありこのエアロスターも中扉、車内はハイバックシートが並びマーカーランプの無いシンプルな宇野バスと言った感じですなぁ。
この頃の下電は積極的に車両のリニューアルをしていたので、
後にこんな感じに塗り替えられましたわ。
それにしても、こんな残念な感じの写真しか撮れていなかったんですよ・・・・コレにはショック。それだけ遭遇率が低かったんですよね。それもあるんですけど、まともに撮れてないのは↓が原因か?
コレですわ・・・・
な、なんと!中扉埋めると言う魔改造と呼んでもいいようなボディーリフレッシュを受け、養護学校のスクールバスとして第2のバス生を歩んでいたのでした!。(もちろん、営業所で撮影許可はもらってますゼ)
これまたこんな写真しかなく・・・ホント縁が無かったんですな。
路線車において、純粋な育ちの三菱車はこのエアロスターMのみなんですけど、かつて宇野自動車から大量のブルドックが移籍、更に倉敷市交通局の廃業から譲受した三菱車が流入し、下電バスにおいて三菱路線車の割合が一気に増えていったんですよ・・・・。