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智辯の説明会に行ってきました

2014年09月09日 | 受験関連

和歌山県から要請された昭和60年ごろ、15歳人口が急増しました。

公立高校の定員を増やしても、生徒の急増にはおいつけませんでした。

そこで和歌山県は奈良の智辯に和歌山にぜひ私学をつくってくれと言う要請をしました。


当時はまだ近附もなく女子校の信愛高校と修徳高校高校(現開智高校)があるのみで男子の受け皿が


なかったのです。和歌山県は議会において新たな高校を作るという目的のために


土地の確保、もろもろの金銭的補助(現在も受けています) を決めましたが、


前理事長が受験生をすべて入れるのではなく、通知表(相対評価)がオール3


以下の生徒は不合格にして、本来の議会が要請した受け皿としての


役目を反古にしたのです。その暴挙は議会側からしてあり得ないことでしたが、


前理事長は一切その要求を受け入れず、ある一定以下の生徒はどんなおどしがあっても

とらなかったのです。そこから智辯はスタートしたのです。 

もし、そのときに要請を受け入れていれば、今の智辯は

なかったと思います。現在の智辯があるのは前理事長の英断の結果です。

智辯は東大現役合格者を1名出すまでに創立からおよそ10年近くかかりました。

しかし、その辺りから、悪しき公立の平等主義がまかり通り、公立高校の

学区制で和歌山市のエリアごとの進学高校が決められ、北学区の生徒は

桐蔭は受けられず、向陽しか受けれませんでした。

桐蔭の進学校の雄の位置から大きく低落しました。

ある意味和歌山の高校の群雄割拠の時代です。

力のないものは下に落ち、人気が落ち低落していくという

自然の摂理です。学校法人というのは一度勢いがつけば

まちがないなく生徒や保護者が支えてくれます。

智辯は今年、医学部に進学した生徒が50名(そのうち防衛大が10)

医学部に子弟を進学させたいなら智辯というイメージ戦略です。

その分あれほど多かった東大の合格者は少なくなっています。

あれほどこだわっていた東大を敬遠するのは時代の趨勢と

医学部進学というブランドを打ち立てた智辯の方針の

なせる技だと思います。

しかし、前理事長のお話のうまさと人物から発せられる

オーラというものは現理事長に感じられないのは

なぜでしょうね。二台目というのはそこまで

違うのかと思います。何度も前理事長の講演を録音したものを聴いて

勉強してもらい、いいお話を聞いてみたいです。

立ち上げたばかりの必死な智辯はよかったです。

そのころの時代を忘れないで智辯は進んでいって欲しいです。

あの当時の立ち上げ当時の教員スタッフはほとんどもういませんからね。

 

 

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