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国語音読教室 の魅力とその効果 その1

2024年06月10日 | 国語教育

国語音読教室で、国語音読を体験することで、

その後、学力テストにおいて国語の深い読み取りが

飛躍的に伸びています。

実は中学生になってしまうと、国語力の伸びは

止まってしまいます。年長さん、小学校の低学年から

国語全般に対する刺激を受けることで、

その後の国語力の飛躍が期待できます。

 

国語音読はなにか?

 

「音読」と「本読み」はどこが違うの?

その疑問にお答えします。

 

「音読」も「本読み」も文章を読むだけでしょ?

とお思いになっている方が多いです。

 

たしかに、「本読み」というのは、

「文字を見ながら声を出す」という活動です。

一方、

「音読」というのは

「先生が一定の長さで発話した直後に

生徒がそれを聞いて、同じ語調で声を出す」

という活動です。

 

「本読み」というのは、私達も

小学校の頃によくやりました。

教科書の文章をひたすら読むのが本読みですね。

 

私も小学生の頃、夕食の支度をしている母親の前で、

よく本読みを聞いてもらいました。

 

「本読み」というのは、これは、

これで効果はあります。

滑舌が良くなるとか、

文章言葉に慣れるとかです。

 

しかし声を出しての本読みを繰り返しても、

なかなか頭には残りません。

不思議ですが、本読みはあくまで本を

声を出して、ただ読んでいるだけなのです。

 

一方、国語音読は本読みとは全く違います。

国語音読はまず先生の発話を

聞くところから始めます。

 

実は、これが大事で、

先生が発した言葉の情報をまず脳の

ある場所(脳の一時記憶の場所)に入れます。

そしてすぐに今聞いた言葉の一節を声に出します。

 

この記憶の場所は脳の中では海馬という

場所です。脳の中の大切な場所である

一時記憶の場所です。

 

ちょっとした数字の羅列を覚えたり、

初対面の人の名前を覚えたりする場所です。

ただ、この記憶は一時記憶なので、

数分で消えてなくなってしまいます。

 

国語音読はこの海馬を鍛えるのですが、

この「音読」を繰り返していくうちに、

一時記憶したものが徐々に

長期記憶の方に移っていきます。

 

すると、その内容が古典の平家物語でも

宮沢賢治の長い詩でも完全に頭の中に

染み込んでいくのです。

 

先生が感動を持って読めば、

その感動している情感も

言葉に乗せて伝わります。

 

コンピュータ用語で言うなら、

インプットを情感とともに聴覚を通して

脳の中に落とし込んでいくのです。

 

それも単なる文章の羅列ではなく、

声の調子、声のリズム、声の抑揚、

言葉の意味、言葉の表情という

情報も一緒にインプットされて、

入っていきます。

 

それを脳の一時記憶の場所に送るところが

ただの本読みとは異なります。

体験に来られたお母さん方にも

一緒に音読をしてもらうのですが、

 

「大人の私でも結構頭を使いますね。

新鮮な体験でした。」という感想を

多く頂きます。

 

実は、「本読み」は目に写った文章を

そのまま読むだけなので、

その文章の内容は理解できても

情報がストックされないのです。

 

だから、いくら本読みをしても

なかなか文章そのものが

頭に残りにくいのです。

 

本読みを何回やっても、

文章を記憶できないのは

そのためなのです。

 

話はかわりますが、

日本に漢文が導入されたのは、

平安時代でした。

貴族は、漢文の素養がなくては

仕事ができません。

 

貴族の子弟を教育するのは父親の役目で、

子供が5,6歳になれば、父親が漢文の指導を

していました。

 

その指導方法が、

素読(そどく)という教育方法です。

あの才女の紫式部には弟(兄?)がいたのですが、

紫式部のほうが覚えがよくて、父の藤原為時が

式部が男だったら、出世をしただろうと

くやしがるほど漢文にも秀でていたそうです。

 

話がそれてしまいましたが、素読という

文章のトレーニング法は

それほど、昔から実践されてきました。

 

その指導方法は、明治維新ごろまで続きました。

漢文や古典などの文章を習う方法としては

昔から認められていた指導方法なのです。

 

YANO塾の国語音読教室では、その素読という

指導方法で音読を実践しています。素読は

(すどく)ではありません。

(そどく)といいます。 脚注1

 

生徒さんは先生が読んでいく内容を

そのまま正確に繰り返していきます。

実は、このテクスト

(珠玉の詩歌や古文や現代詩)の

再現性が脳にとってはとても大切なことなのです。

 

この音読教室を始めて数ヶ月すると、

帰りの車の中で、あるいは

子供と一緒にお風呂に入っていたら、突然

頭に入っている詩や古文を唱えだした。

 

それも途切れることなく、

朗々と声をアゲテイル! 

うちの子、天才?なんてことは

日常茶飯事なのです。

 

遊んでいても、夏目漱石の文章や太宰の

走れメロスを口ずさんでいるのです。

まさに門前の小僧習わぬ経を読む状態です。

 

言葉というのは、「音」 と 「意味」 に 分けられます。

いわゆる珠玉の古典や詩歌には一定の音のリズムと

汲んでも汲んでも汲み尽くせないほどの深い意味を

もっています。

 

何十年、何百年という時代を経て

生き残った素晴らしい文章が

音読を実践していく中で、

自然に体に染み込んでいくのです。

 

小さい頃に一度入った文章の記憶はなくなりません。

一生心に残って、希少なお酒のように熟成していきます。

心が成長する中で、ある時ふと

覚えている文章の本来の意味に

気がつくようになってくるのです。

 

ですから、この国語音読の指導をうけることは

一生の心の宝の仕込みをしていることになります。

 

今日は「本読み」と「音読」の違い、

素読の歴史的背景をすこしばかり

お話しました。

 

次回は「音読」を進めていく中で、

国語の読解力もつくのかどうなのか、

というお話しをします。

 

脚注1 

素読(そどく)とは漢文の素養を身につけるために、

漢文を習得した年長者の師とその子弟とが向い合って座り、

師が読んだ後に、そっくりに読んでいく教育法。

古くは平安時代から貴族の男子の漢文の指導の一貫として 

 行われた。学習効果が認められ、貴族や武士階級の究極の

教育法として長く続いたが、明治の教育改革の中で、

この教育法はいつしか採用されなくなった。

最近、この教育法が脳科学の見地からも見直されはじめている。

 

 


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