いつもお世話様です!
【杉並からの情報発信です】【YYNews】【YYNewsLive】を主宰する市民革命派のネットジャーナリスト&社会政治運動家の山崎康彦です。
昨日水曜日(2018.06.20)夜に放送しました【YYNewsLiveNo2575】の『メインテーマ』を加筆訂正して【今日のブログ記事】にまとめました。
【放送録画】 83分17秒
https://ssl.twitcasting.tv/chateaux1000/movie/472565398
【今日のブログ記事】
■梅田耕太郎さん(享年38歳)は英雄だ!長生きして崩壊寸前の日本社会を立て直してほしかった!
【画像1】梅田耕太郎さん
20180619梅田耕太郎さん
【画像2】事件当時の社内の状況
20180615新幹線無差別殺人
▲【週刊現代】6月30日号記事『立派だったね、梅田耕太郎さん』より抜粋
①(2018年)6月9日夜、会社員・梅田耕太郎さん(享年38歳)が搬送された小田原市内の病院で亡くなった。
司法解剖の結果、死因は失血死。身体には胸や肩をはじめ約60カ所の傷があった。致命傷となった首には、約18cmの切り傷があり、なたで切られたとみられている。
②外資系化学メーカーBASFジャパンに勤める梅田耕太郎さん(享年38歳)は、乗車すると最後列の通路側の席に腰を下ろした。横浜で2日間の社内研修を終えて、兵庫県尼崎市の自宅への帰途に就いたところだ。
しかし、ひと息つく間もなく事件は起こる。
「逃げて逃げてー」
9日午後9時45分ごろ、車内に叫び声が響いた。
梅田さんの2列前に座っていた小島一郎容疑者(22歳)が、無言で立ち上がえり、右側に座る女性をなたで切りつけたのだ。
突然の出来補と②、車内は大パニック。恐怖に驚いた乗客は、猛ダッシュで隣の車両へと急いだ。
それを横目に、決死の行動で男に立ち向かったのが、梅田さんだった。
梅田さんは、加害者のハイt後から気づかれないように近づいた。身長180cmの彼は、小島を後から抑えて動きを制止。その隙に、女性は肩から血を流しながらも後方へ逃げることができた。
その後、梅田さんは激しくもみ合って転倒。すると、小島は迷うことなく、通路を挟んで左となりに座る女性に襲い掛かった。
倒れていた梅田さんは、すぐに立ち上がり、男の凶行から女性を守るべく。再び止めに入った。
もう一人の女性を後ろへ避難させた梅田さんに、小島は刃物で容赦なく襲い掛かった。はじめは応戦していた梅田さんだったが、馬乗りになった小島に切り付けられていくうちに、途中で動かなくなってします。
午後10時ごろ、臨時停車した車両に警察官が駆け付けると、無表情の小島は抵抗する素振りも見せず、現行犯逮捕。通路の床一面は血の海で、事件の惨状を者がったていた。
自らの命をなげうって、見ず知らずの乗客2名を救った梅田さん。彼の勇気ある行動は、誰にでも真似でくるものではない』
③東京大学を卒業した梅田さんは、その後、東京大学大学院新領域創生学研究科に進む。修士課程を経て、博士課程の特別研究員となった。
「特別研究員は、研究者としての将来を期待され、研究費をもらいながら学べる優秀な研究員のことです。梅田君はそれくらい優れた学生でした。『プラズマ核融合』の研究を進めていて、成果もあげています」
そう語る当時の研究員仲間は、彼の人柄について次のように語った。
「梅田君は非常に穏やかな性格で、人付き合いも積極的な学生。当時、研究室には経済的に貧しい留学生が多く、飲み会に参加する費用も持ち合わせていなかったほど。そんな時、彼は留学生の参加費を安くしてあげて、懇親を踏まね用途働きかけをしてくれました。。わけへだてなく留学生たちをみんな仲間に入れようとしていたことが印象深いです。他の日本人学生は面倒くさがってやりませんが、梅田君は誰とでも交流を深めるような男でした」
④母国で結婚式を挙げるときに、梅田さんを招待した研究室の留学生はこう話している。
「私は、日本語がうまく喋れない上に、日本の生活習慣がわかりませんでした。当時は自分の研究で精いっぱいで、みんなが忙しくしていたので、助けてくれる人は少なかったです。だけど、梅田サンは、困っている時にいつも助けてくれました。母国で結婚式を挙げたときに、恩人である梅田サンを招待したのは当然のことでした」
(終り)
*************************
【杉並からの情報発信です】【YYNews】【YYNewsLive】
情報発信者 山崎康彦
メール:yampr7@mx3.alpha-web.ne.jp
*************************
【杉並からの情報発信です】【YYNews】【YYNewsLive】を主宰する市民革命派のネットジャーナリスト&社会政治運動家の山崎康彦です。
昨日水曜日(2018.06.20)夜に放送しました【YYNewsLiveNo2575】の『メインテーマ』を加筆訂正して【今日のブログ記事】にまとめました。
【放送録画】 83分17秒
https://ssl.twitcasting.tv/chateaux1000/movie/472565398
【今日のブログ記事】
■梅田耕太郎さん(享年38歳)は英雄だ!長生きして崩壊寸前の日本社会を立て直してほしかった!
【画像1】梅田耕太郎さん
20180619梅田耕太郎さん
【画像2】事件当時の社内の状況
20180615新幹線無差別殺人
▲【週刊現代】6月30日号記事『立派だったね、梅田耕太郎さん』より抜粋
①(2018年)6月9日夜、会社員・梅田耕太郎さん(享年38歳)が搬送された小田原市内の病院で亡くなった。
司法解剖の結果、死因は失血死。身体には胸や肩をはじめ約60カ所の傷があった。致命傷となった首には、約18cmの切り傷があり、なたで切られたとみられている。
②外資系化学メーカーBASFジャパンに勤める梅田耕太郎さん(享年38歳)は、乗車すると最後列の通路側の席に腰を下ろした。横浜で2日間の社内研修を終えて、兵庫県尼崎市の自宅への帰途に就いたところだ。
しかし、ひと息つく間もなく事件は起こる。
「逃げて逃げてー」
9日午後9時45分ごろ、車内に叫び声が響いた。
梅田さんの2列前に座っていた小島一郎容疑者(22歳)が、無言で立ち上がえり、右側に座る女性をなたで切りつけたのだ。
突然の出来補と②、車内は大パニック。恐怖に驚いた乗客は、猛ダッシュで隣の車両へと急いだ。
それを横目に、決死の行動で男に立ち向かったのが、梅田さんだった。
梅田さんは、加害者のハイt後から気づかれないように近づいた。身長180cmの彼は、小島を後から抑えて動きを制止。その隙に、女性は肩から血を流しながらも後方へ逃げることができた。
その後、梅田さんは激しくもみ合って転倒。すると、小島は迷うことなく、通路を挟んで左となりに座る女性に襲い掛かった。
倒れていた梅田さんは、すぐに立ち上がり、男の凶行から女性を守るべく。再び止めに入った。
もう一人の女性を後ろへ避難させた梅田さんに、小島は刃物で容赦なく襲い掛かった。はじめは応戦していた梅田さんだったが、馬乗りになった小島に切り付けられていくうちに、途中で動かなくなってします。
午後10時ごろ、臨時停車した車両に警察官が駆け付けると、無表情の小島は抵抗する素振りも見せず、現行犯逮捕。通路の床一面は血の海で、事件の惨状を者がったていた。
自らの命をなげうって、見ず知らずの乗客2名を救った梅田さん。彼の勇気ある行動は、誰にでも真似でくるものではない』
③東京大学を卒業した梅田さんは、その後、東京大学大学院新領域創生学研究科に進む。修士課程を経て、博士課程の特別研究員となった。
「特別研究員は、研究者としての将来を期待され、研究費をもらいながら学べる優秀な研究員のことです。梅田君はそれくらい優れた学生でした。『プラズマ核融合』の研究を進めていて、成果もあげています」
そう語る当時の研究員仲間は、彼の人柄について次のように語った。
「梅田君は非常に穏やかな性格で、人付き合いも積極的な学生。当時、研究室には経済的に貧しい留学生が多く、飲み会に参加する費用も持ち合わせていなかったほど。そんな時、彼は留学生の参加費を安くしてあげて、懇親を踏まね用途働きかけをしてくれました。。わけへだてなく留学生たちをみんな仲間に入れようとしていたことが印象深いです。他の日本人学生は面倒くさがってやりませんが、梅田君は誰とでも交流を深めるような男でした」
④母国で結婚式を挙げるときに、梅田さんを招待した研究室の留学生はこう話している。
「私は、日本語がうまく喋れない上に、日本の生活習慣がわかりませんでした。当時は自分の研究で精いっぱいで、みんなが忙しくしていたので、助けてくれる人は少なかったです。だけど、梅田サンは、困っている時にいつも助けてくれました。母国で結婚式を挙げたときに、恩人である梅田サンを招待したのは当然のことでした」
(終り)
*************************
【杉並からの情報発信です】【YYNews】【YYNewsLive】
情報発信者 山崎康彦
メール:yampr7@mx3.alpha-web.ne.jp
*************************