つれづれ

庭の花や身近な出来事などを退屈しのぎにあれこれ綴っています。

ブルーベリーの紅葉

2012-12-23 | 日記
曇りのち晴れ


毎年、11月の末頃、モミジに負けない位の鮮やかな紅葉になるのに…
紅葉が遅いなァ…と思っていたらやっと紅葉になりました。紅葉が遅くなるのは
秋口の肥料や水分が多すぎるからだそうです。ブルーベリーの紅葉を見ながら
久しぶりに、冬の花壇の手入れで一日が終りました。


やっと色づいてくれたブルーベリー。



ブルーベリーは紅葉しても中々落葉しないところが好きです。








明日はクリスマスイブ…ポインセチア程の鮮やかさはないけど、そう思って見ると
この遅い紅葉も、満更捨てたものでもない…と、思いながら庭仕事をしていました。










浅間山公園と都立府中の森公園

2012-12-16 | 野外講座
曇り

武蔵野の面影を残す雑木林に覆われた浅間山公園を訪ねました。平坦な武蔵野台地
にあるこの高台の公園は、冬枯れの紅葉も綺麗でしたが、何しろ久しぶりにカサコソと
落ち葉を踏みしめながらの散策は郷愁を感じました。昼食後は都立府中の森公園まで
足を延ばし、明るく開放的な園内を楽しんできました。小旅「武蔵野あちらこちら」
の今年最後にふさわしく、ステキな風景を堪能する事が出来た一日でした。(12/15)


京王線東府中駅から歩き甲州街道を横断して人見街道を歩くと目の前にヒョッコリ
と小山が見えます。歴史的にはこの山を中心に南北朝時代、新田兄弟と足利尊氏が
命運をかけて戦った人見ケ原古戦場です。東京都の旧跡に指定されています。




落ち葉を踏みしめながら登る。江戸時代は浅間山を人見山と呼んだ様です



浅間山公園(高さ約50メートル)
浅間山は武蔵野台地の立川段丘面から突き上げた孤立した丘陵で古多摩川が
削り残した残丘である…(馬場先生のプリントより)



小さな山の公園、上がったり、下ったり、ちょっとした山歩き気分になります。



関東富士見百景。富士山の見える街づくりにもなっています。



今日は生憎の曇天ですが晴れた日は、この方向に富士山が見えるそうです。
う~ん残念!



コナラやシデなど手入れの行き届いた雑木林。



冬枯れの紅葉の間から街並みが見え隠れしています。



時々綺麗な紅葉に出会いました。



中山の北の麓に「おみたらし神社」があり今でも僅かですが湧水が湧いていました。
「浅間神このところより出現す」と碑が建っていました



おみたらし神社の周辺の紅葉はまだまだ綺麗…



勾配が穏やかな女坂より登る、低くても達成感を感じる山でした。



一番高い堂山は79,6メートル、頂上には浅間神社が祀られてます。

この丘陵は浅間山、中山、堂山の三つの山からなり全域が都立自然公園に指定されています


多磨霊園の通じる道を行くと「きすげ橋」があります。木道で吊り橋の様な形でした



きすげ橋からの眺です。



浅間山公園東北の麓にある多磨霊園に入る。
約130万平方メートルの広大な面積の公園墓地、大正12年に開設されました。



美濃部達吉、北原白秋、菊池寛、東郷平八郎、山本五十六、など有名人の
お墓があるそうです。市販の地図にもお墓の位置が表示されているほどです。



午後は都立府中の森公園の北にある府中市美術館へ寄ってリラックスしてから園内を
散策しました。所々、モニュメントや彫刻などが周りの景色に溶け込んでいて素敵でした

「アンとミッセル」朝倉響子作。



日本庭園。
水のある風景もいいですね。



府中の森芸術劇場にある「天地の讃歌」です。



馬場先生のプリントを参考にしました。







ゼラニウム

2012-12-13 | 日記
晴れ

春からず~と真冬以外は咲いているゼラニウム、何時見ても咲いていて
心配しなくていい花なので、ついブログに掲載するのを忘れていました。
この軒下が気に入った様で、ここで3年目の冬を迎え様としています。




小さい一株がこんなに大きな株になり、高さは50センチ位です。



毎年春には根元から沢山の新芽が出て大きくなりました。



虫も付きにくく乾燥に強いので、手間いらずのいい子なんです。







ネリネ・ボーデニー

2012-12-08 | 日記
晴れ

去年友達から頂いた時、どうも長いカタカナの名前が苦手な私は間違えて覚えて
いた様で、今年やっと解りました。ネリネ・ボーデニー、彼岸花の仲間らしいです。
花の後葉を出す彼岸花と違って常緑の種類です。花の少ないこの時期に光輝く様な
美しい花弁が初冬の庭を明るくしています。





地植えのネリネ・ボーデニーです。



原種っぽい感じが好きです。



茎の先に10個ほどの花を付けます。



花弁の周りは細い波状のなっていて反転しているのが珍しい花です。







那須乃木神社

2012-12-01 | お出かけ
曇り

初冬の一日、塩原市にある那須乃木神社へ行ってきました。
陸軍大将、乃木希典(まれすけ)については小さい頃、母からよく聞かされました。
「ここはお国を何百里、離れて遠き満州の赤い夕日に照らされて、友は野末の石の下…」
日露戦争で陸における最大激戦地は旅順で、大量の死傷者を出しながら、
攻略し、凱旋は大歓迎であった…と云う乃木大将の話は母の十八番でした。

不毛の那須野ガ原に疎水を開削し地元の人と一緒に農業にいそしみ、
この別邸で田園生活を楽しんだと云う、その地を訪ねてきました。


道路際にある鳥居の奥に乃木神社があります。



水量も多く流れの速い蟇沼用水を渡って境内に入る。



左側には乃木将軍の銅像。



その右側のは白馬の像。



日露戦争で活躍した愛馬「殿号(しんがりごう)」と説明がありました。



乃木将軍を祀った乃木神社、大正5年に建立されました。



宝物館
質素な中にも品格のある調度品、日記や写真、将軍ゆかりの宝物や刀剣、
静子夫人の縮緬の着物や帯、など数々の品が展示されています。



今でこそ自然の大切さが叫ばれていますが、将軍は庭木の手入れも
枝打ち程度に止めさせたそうです。自然の姿を残している樹林でした





乃木清水
水の大切さは何時の世も同じです。一滴たりとも粗末に出来ないと
毎朝の洗面はコップ一杯で顔を洗い口を漱ぎ、近隣の人が訳を聞くと
人は常に心構えが大切である。と申されたと説明書きにありました。



乃木家の水田の後は昭和31年に憩の池になり、今も満水に水を湛えています。



そして奥様の名前を使って「静沼」といいます。



乃木将軍の農家風の別邸です。
「いとまあらは 君も一度来てみませ 那須野ヶ原の雪のあけぼの」将軍の歌碑



将軍自らの設計で休職中の期間を静子夫人と過ごしました。
平成2年に過激派の放火により焼失しましたが復元されています。



石蔵



戦後は軍事参議官や学習院院長などを務めたが、明治天皇大葬の大正元年9月13日に
夫妻は殉死されました。その後も「軍神」「土徳勧農の神」として人々の敬慕を受けています