初冬の一日、塩原市にある那須乃木神社へ行ってきました。
陸軍大将、乃木希典(まれすけ)については小さい頃、母からよく聞かされました。
「ここはお国を何百里、離れて遠き満州の赤い夕日に照らされて、友は野末の石の下…」
日露戦争で陸における最大激戦地は旅順で、大量の死傷者を出しながら、
攻略し、凱旋は大歓迎であった…と云う乃木大将の話は母の十八番でした。
不毛の那須野ガ原に疎水を開削し地元の人と一緒に農業にいそしみ、
この別邸で田園生活を楽しんだと云う、その地を訪ねてきました。
道路際にある鳥居の奥に乃木神社があります。
水量も多く流れの速い蟇沼用水を渡って境内に入る。
左側には乃木将軍の銅像。
その右側のは白馬の像。
日露戦争で活躍した愛馬「殿号(しんがりごう)」と説明がありました。
乃木将軍を祀った乃木神社、大正5年に建立されました。
宝物館
質素な中にも品格のある調度品、日記や写真、将軍ゆかりの宝物や刀剣、
静子夫人の縮緬の着物や帯、など数々の品が展示されています。
今でこそ自然の大切さが叫ばれていますが、将軍は庭木の手入れも
枝打ち程度に止めさせたそうです。自然の姿を残している樹林でした
乃木清水
水の大切さは何時の世も同じです。一滴たりとも粗末に出来ないと
毎朝の洗面はコップ一杯で顔を洗い口を漱ぎ、近隣の人が訳を聞くと
人は常に心構えが大切である。と申されたと説明書きにありました。
乃木家の水田の後は昭和31年に憩の池になり、今も満水に水を湛えています。
そして奥様の名前を使って「静沼」といいます。
乃木将軍の農家風の別邸です。
「いとまあらは 君も一度来てみませ 那須野ヶ原の雪のあけぼの」将軍の歌碑
将軍自らの設計で休職中の期間を静子夫人と過ごしました。
平成2年に過激派の放火により焼失しましたが復元されています。
石蔵
戦後は軍事参議官や学習院院長などを務めたが、明治天皇大葬の大正元年9月13日に
夫妻は殉死されました。その後も「軍神」「土徳勧農の神」として人々の敬慕を受けています