つれづれ

庭の花や身近な出来事などを退屈しのぎにあれこれ綴っています。

蘆花恒春園とその周辺

2012-05-20 | 野外講座
晴れ

5月19日、小旅では、新緑の蘆花恒春園を訪ねてきました。「不如帰」
をはじめ「みみずのたはごと」など多くの名作で知られる明治大正期の文豪
徳富蘆花が愛子夫人と過ごした旧宅等が武蔵野の面影が残る中にありました
雑木林を愛し、晴耕雨読の生活を楽しみながら作家活動をした場所です。
昭和2年に療養先の伊香保で亡くなったのち、愛子夫人はこの地を当時の
東京市に公園として寄贈されました。蘆花恒春園と名付け公開しています


蘆花恒春園の近くに東を向いて鎮座する鎮守八幡神社。



別れの杉
「みみずのたはごと」の一節に「彼の家から裏の方へ百歩歩けば、鎮守八幡である。
形通りの草萱の小宮で、田圃を見下ろして東向きに立っている…村居六年の間、彼は
色々の場合に此の杉の下に立って色々な人を送った。…この杉は彼にとりて見送りの杉
さては、別れの杉である。…」   ※馬場先生のプリントより
この杉は第二次大戦後枯れてしまい、幹は切られて今は保護のため笠を被っている。



蘆花恒春園入口



恒春園の名の起り



蘆花が愛した孟宗竹林、見事な竹林です。



まるで雀のお宿ようです。



蘆花記念館
ここでは作品をはじめ、原稿、写真、身の回りの品、農耕具、など遺品の一部が
展示されています。それらをゆっくり眺めながら、蘆花に思いを馳せる時、
この空間だけ、時がゆっくり流れている様な気がしました。※場内は撮影禁止



のちに東京都が建てた愛子夫人の居宅。



秋水書院。 



「みみずのたはごと」地蔵尊より(地蔵尊の写真は失敗したため掲載出来ませんが…)



梅花書屋。 当時母屋との間は踏み石を渡って往復した。



母屋  



母屋よりガラス越しに見る梅花書屋。昔ながらの、ゆがみのあるガラスがレトロな感じです



大好きなこの地で静かに眠っている蘆花夫妻の墓。



恒春園区域から解放公園区域に入る。ポピーや矢車草のお花畑が続いていた。