延岡というまちをアーカイブ化していくには。

延岡というまちについての記憶を考えていく。

K君へ。

2009-01-13 23:29:32 | 其れ以外

若い命が失われるのはとても悲しい。

君も予想もしない一瞬の出来事で、まだ二十歳過ぎの短い人生を終える事となってしまったのには、死への覚悟も、先立つ準備すらもなかったのではないだろうか。

ただ一瞬の出来事は、君に苦痛を味わわせはしなかったのではないだろうかと、我々残された者達は考えている。そうあってほしい。

その悲報は突然であった。

真夜中に君の仲間からもらった電話は、少し酔いが回っていた僕をすぐさま覚醒させた。つい数日前、正月明けの研究室へ入ってきた君の姿はいつもと変わらず、生真面目だが、他人とのやり取りがちょっと苦手なシャイな所が、相変わらずだった。

だけど君は、僕のイメージした作業をもっとも忠実にクリアーしてくれる人物の一人であった。だからこそ、君には1年生の頃から、上級生がやるような少々難しい仕事を任せる事が出来た。

岡山から招いた僕の友人を講師として、現代社会において最も必要な知識である知的財産権のセミナーを開催した事があった。君は本学の通常の講義にはほとんどない新鮮な内容に眼を輝かせ、講師にしつこく質問する姿が印象的であった。

友人も君の姿勢に感心し、後からわざわざ君のために読ませてくれと、本を贈ってきたのであった。

延岡市の大きなイベントである"のぼりさるフェスタ"にボランティアとして活動してみる事を君に勧めたのは、君が少し違う視点で地域社会を見つめられたらいいなと思ったからであった。君は立派にコンピュータ担当のスタッフとして活動したと聞いている。紹介した身としては、嬉しかった。

コンピュータや情報に関する事をもう少し勉強したい。そして、いずれ情報化の進んでいない社会福祉の分野にその知識を持ち込んでみたい。一度だけ、そう話してくれた事があったのを覚えている。

将来君は、その真摯な態度を持って、必ずや新しい分野を切り開いていたに違いなかった。

君は全くの親不孝である。不慮の事故で子息を亡くされた親御さんの御気持ちは、いかばかりのものであろうか。そして君の兄弟や、友人達、君のゼミの指導教授をはじめ、我々関わった教員達に、その早い死は大きな風穴となってしまったのだよ。

君は高鍋藩士の系譜に連なり、藩校の精神を受け継ぐ学舎で薫陶を受けた。そしてまた、高祖父が切り開いた理想郷、茶臼原の大地に還って行くのだろう。

K君。

君の意志は、君の兄弟や君の仲間達が受け継ぐだろう。

安らかに。


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