延岡というまちをアーカイブ化していくには。

延岡というまちについての記憶を考えていく。

紙面診断、2月2日。

2014-02-05 18:21:55 | 其れ以外
昨今の景気はなかなか実感を伴わないが、それでも主要な動向に「回復」の文字が増えた様子ではある。一方、そうしたプラスの動向に反して、多くの先進国社会が取り組むべき重要な課題は、日本、そして宮崎にも存在する。元日から連載された「だれも知らない みやざき子どもの貧困」は、県内での子供の貧困の実体を浮き彫りにし、さらに読者の反響を伝えている(元日~15日)。

ユニセフのイノチェンティレポート『先進国における子どもの幸福度』からは、豊かな社会と教育システムを維持してきたわが国でさえも、物質的豊かさは先進31カ国中21位と中央値以下の低い水準にある点が読み取れる。それでも教育面の豊かさは同レポートでも最も高い水準で、一面では低所得層も一定の高い教育を受ける事が保証されているようにも解釈が可能なのだが、今回の連載記事のように実際はそうではない。貧困の状態にある家庭の子供は、発達に遅れがみられたり学力水準を高くするには困難がある。

学習活動が低調な結果、知識や物事の考え方が矮小(わいしょう)化してしまい、人生に必要な想像力や洞察力が働かず、結果的に生活状況を改善させられない。これでは貧困が繰り返される悪循環をも招く。連載に取り上げられた人物に対し計画性のなさを指摘する読者の声もあったが、学習環境や社会環境は子供にはどうしようもない側面もある。昔のように地域コミュニティーが関与しようにもプライバシーの壁が大きく、限界もあろう。そうした点は認めつつも、本連載を解説した盛満弥生さんが述べているように、社会全体で貧困に取り組む事は将来の社会的損失のリスクを減らしていく事につながっている。われわれは宮崎という地域性の中から、こうした家庭に対しどのようなアプローチが可能かを探る必要性がある。

動物園や水族館は、人間以外の生き物がこの広い世界には存在するのだという認識を間近に体感する場所である。母親から家族、そして多様な人間社会へと生活環境が広がっていく乳幼児・児童にとって動物園の体験は成長過程で大きな役割を果たしている。また高齢者にとっては思い出を懐かしみ、自己とコミュニティーとの関係性を回復させる空間でもある。本来の生息環境から離して野生生物を飼育しているのは、ヒトが多様な世界や自分とは異なった存在を理解する上で欠かせないという理由もあるのだ。

8年前にタイから宮崎市フェニックス自然動物園にやってきたオスのアジアゾウ「たいよう」の死には、多くの県民が悲しんでいる事だろう(21日「ゾウ「たいよう」死ぬ」)。ゾウ舎に設置された献花台には、あふれんばかりの花束とともに子供たちの絵や思い出がつづられたメッセージが置かれていた。

昭和30~40年代に各地で導入されたゾウの寿命や、野生動植物の国際取引を規制するワシントン条約による輸入制限、繁殖技術の難しさもあってゾウが失われた動物園も増えてきている。残されたメスのみどりとの繁殖を含め、これからを期待されていた若いたいようの死は大変残念であるが、人々がこれからも動物園を愛し、いつかまたゾウがやってくる事を願って筆を置きたい。(1月の紙面から=第1日曜日掲載)

#平成26年2月2日、宮崎日日新聞に寄稿した「紙面診断」の文章。


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