偶々春を迎えられるという状況がこんなにも重く、一方ではカミに感謝すべきものであったとは今まで思った事がなかった。多くのマチやムラで、山や海や川で、悲しき出来事が続いている。生死の場面が、苦渋の決断と忍耐があちらこちらで起こっている。
小学校から大学まで、卒業式を実施する事すら困難になっている。毎年当たり前のように卒業生を送り出している我々は、いつもと同じように来る春を当たり前のように考えて、準備していた。
だが、そうではないのだ。今我々が新たに卒業生を送り出せるのは、ほんの偶然ではないのか。
考えてみれば昨年からの口蹄疫や鳥インフルエンザ、霧島新燃岳の噴火など、深刻な災害の続く宮崎県においては、様々な節目が中止になっている。今、この時期に重要な式典が中止になったとしても、おかしくはなかったのかもしれない。
今回卒業式を挙行出来るのがほんの偶然にしか過ぎない事は、多くの中止になった学校が存在するという点で実感している。そしてこれは、人生にはそうした偶然に左右される側面もあるという事を、卒業する学生達に教えてくれている。
思えば今年大学を卒業して社会へ出て行こうとする学生達は、随分と苦労していた。厳しい就職状況の中、程度の差はあれ、もがき続けていた。
世界は多くの努力と、ほんの少しの偶然で成り立っている。カミは、どこにその偶然を紛れ込ませるのか、我々にはもちろんわからない。だからと言って、我々は人生を悲観して全ての事を放棄してはいけない。この卒業出来る偶然を噛み締めて、打ちひしがれたこの国を、社会を担っていくために、歩み続けていかなければならないのだ。
日本の全ての学校を卒業する若者達に、おめでとうと言おう。
君らはこの国を、社会を、これから再び建て直すメンバーとなったのだ。