延岡というまちをアーカイブ化していくには。

延岡というまちについての記憶を考えていく。

サンコー農園旧店舗を見せてもらう。

2009-01-29 09:37:09 | まちづくり

20090127dsc_00162b 山下新店街の今山八幡神社石段脇にある、サンコー農園さんの旧店舗を見せて頂いた。

古い地図をみると、サンコー農園さんはかつては"興農園"という名称で記載されており、ご主人にその事を尋ねると、その通りの名称だったという。昭和47年にお客様・問屋・興農園さんの三者の利益となるように"三光"の意味から、サンコー農園にされたそうだ。

店舗の看板に、まだ痕跡として"こうのうえん"という文字が残っている。

20090127dsc_0007b 20090127dsc_00212b 奥行きのある鰻の寝床状の店舗で、伝統的な日本の商店の短冊型の地割であるが、店舗そのものは昭和20年代にアメリカの"マーケット建築"と言われる建築手法を採用たらしいという。

これは併行する2棟が対になって建てられたもので、サンコー農園さんも、当初の店舗である今山神社石段から北に向って3店舗目の店舗とその北側の旧八百屋さんが対であり、さらに後から店舗として借り増しした石段から北に向って最初と2番目の店舗も対であるとの事。山下新店街のこの時期に建てられた店舗には、この建築手法のものが多いという。

このマーケット建築というのは初耳で、詳しい情報が欲しいところだが、現在もアーケードとして独特な雰囲気を出している宮崎市の青空マーケットなんかにもあるのではないか?

サンコー農園さんも元々は柳沢町で店舗を構えていたが、空襲で焼け出されてこちらに移ったとの事。同じく柳沢町で焼け出されて川北に移った事例を、祇園町のバー、ブロンズのマスターからも聞いており、中心市街地が戦災によって川中地区から川北地区へと移った状況がよく理解出来る。

終戦直後の連合軍によって撮影された空撮を詳細に観ると、山下町は道路の東側に店舗があるが、どちらかと言うと、西側には店舗が観られない。この事を店主に伺ってみると、かつて西側の斜面に畑が多く形成されていたという。確かに現在でもその名残がある。

20090127dsc_0002b 20090127dsc_00242b 20090127dsc_0009b 20090127dsc_0012b 20090127dsc_00152b 20090127dsc_00282b

店舗内に入ってみると、昔の棚や木の机がそのまま残っている。ひびの入ったコンクリートの床も非常にいい雰囲気だ。部屋が縦に3つつながっていて、斜面に形成されているらしく階段の段差がある。これもまた、面白い。

ところでこの店舗をどうするかだが、何らかのかたちで活用出来ないかを考えている。今回は写真倶楽部の代表と見に行ったのだが、周知の通り、ここ以外にも山下新店街には多くの空き店舗がある。

このサンコー農園の若旦那、通称ウツタカさんも深~く関わっているコミュニティーラジオや、DJブースを持ったカフェなんかが、少し見えてきたカタチでもある。高千穂町にこれを実践している所があって、幸町商店街の若手達が注目していたりもする。

今後の展開に乞うご期待。


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2 コメント

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yamatoshさん、 (fushianajin)
2009-01-29 22:18:26
yamatoshさん、
なかなか興味深い物件でしたね。
来月の例会に、店舗の写真持ってきてくださいよ。
会議で来れなかった若手のNからも、あの後電話がありまして、すごく見たかった様子でした。
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>> fushianajin (yamatosh)
2009-01-29 22:32:28
>> fushianajin

そうですね。
メンバーの皆にもみてもらいたいです。

2/11のまちあるきのコースにも入れたいな、と考えています。
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