城陽・久御山民商 第5次東日本震災支援(気仙沼向け)に参加してきました。
と き 2011.10.15~17
参加人員 15名
車 両 マイクロバス 2tトラックアルミバン
第3次(7/16(土)~18日)に参加して以来第4次は仕事が忙しく辞退したが、
今回もお誘いがありマイクロバスの交代ドライバーとして参加させてもらうことになりました。
山仲間の元ブンヤが「空き席があれば参加させて欲しい」との事で事務局にお願いして仲間入りすることになった。
(ボランティア精神?いや元の職業的習性だろう)
今回の主な支援物資は畳100枚(先日福知山まで33枚の引き取りを任された)、暖房器具(山仲間からも数点提供を受けた)、
お米(270KG)布団、靴、冬物衣類、小さなお仏壇10個 等々。
16日に気仙沼本吉民商の民商祭に参加するため「きつねうどん」320杯分の食材、アンパンマン風船もあったな~。
10月15日 AM4:00 雨の富野荘駅前で待つ事務局長を乗せて元ブンヤ宅へ
そしてレストラン市番に集合。
(主な救援物資は前日に乗せてあって食品の一部をバスの後部に乗せる)積み残しが沢山あった。
おそらく第6次をも出すだろう。
さ~ 準備万端 4:47
5:00 一行15名 雨の中を出発
ルートは第3次の時と同じ名神高速、北陸自動車道、磐越自動車道、東北自動車道 一関ic からR284で気仙沼だ。
マイクロバスは3人交代で運転だ。オイラの番は北陸自動車道の景色の良いところだがあいにくの雨だ。
このバスはオートマチック車で楽チンで快適運転、と言いたいが後部座席に支援物資を満載していてハンドルが軽くて
少しふられ気味が気になった。
雨の高速道路 この2台で気仙沼目指して、、7:06
11:10頃か長岡ジャンクションの直ぐ手前で突如凄い振動と音が 後続車を配慮して徐々に減速
左に寄り停車... バスオーナーの会長が点検に降りて左後輪の内側のタイヤがバーストだとわかった。
積載オーバーかスピードオーバーが原因か?落下物を踏んだのか? ま~大事に至らなかったのが幸いだ。
先ほどパーキングエリヤの横を通過中に本線に入ろうとしていた黄色のパトライトを点けた道路公団の
高速パトロールカーが少し後ろに続いていたので止まって様子を聞いてくれた。
「少し先の分岐点にゼブラゾーンがあるから」と指示を受けてそこまで低速で移動した。
タイヤ交換は長岡の自動車屋に連絡を取ってくれた。乗客は安全の為下車してガードレール外で待機することになった。
1時間半ほどして長岡からサービスカーが来てくれた。プロのサービスマンそしてエアーコンプレサー搭載のサービスカー
がやって来た。オイラも大昔 木材満載の2トン車のタイヤ取り換えを山中地道でやったことがあるがその頃の装備とはえらい違いだ。
今はエアージャッキ、インパクトレンチとまるで整備工場だ。それでも30分近くかかったと思う。
12:38 12:44
幸いこの間 雨が止んでいて助かった。 このパンクで2時間近くロスった。
後輪だったから良かったがもし前輪だったら...下手すりゃ横転だったかも..と後暫くは控え目にさんだ。
前回は2tアルミバンだったな~ まさに命懸けのボランティアだ~。
やっと気仙沼本吉民商に19:30頃 到着 民商さんがカレーとサンマの炭火焼き.サンマのさしみ(ビール付き)
の豪華な夕食を用意されていて御馳走になる。
一息いれて荷降ろし。 20:26 高いところは元ブンヤにお任せ! 20:27
きれいな仮設の集会場(お風呂付) ここが今夜と明日のお宿だ。(みんな寝袋持参) 21:55
10月16日(2日目)
朝食に何と雲丹がたっぷりのお弁当を出してもらった いただきます! ボランティア ぞ
お弁当を届けに来られたご婦人が食材集めが大変と言っていた。
今日は民商祭にうどん屋さんをするため2班にわかれオイラと元ブンヤ、八幡民商からの若いお兄さんと3人が
被災地の視察だ。気仙沼本吉民商の会員さんが自家用車で回っていただく予定になっていた。
他の人達は物資配りやら民商祭の準備、うどん屋さんの開店作業だ。
早速 車に乗り込み被災地回りだ。この前の時と様子は殆ど変っていない。電柱が新しく立っていて瓦礫は
集めて積み上げて道路が嵩上げ(地盤沈下の対策)されたぐらいで何の復興の兆しも見られない。
相変わらずの水浸し ただ、前回よりも草っ原が目立った。
今回は陸前高田にも回ってもらった。
7万本の松並木だったそうだが、たった一本残っただけの「ど根性松」だ。
この写真では判り難いが葉は少し茶色っぽく見えた、そして幹の中ほどまで治療の為か緑色の薬?が塗られてあった。
元気になってくれよと祈る気持ちだ。
大文字の送り火に、と計画があったのにつまらぬ風評に負けて取り止めになった事を京都人として後ろめたい気がした。
地元の木材で作られた仮設住宅を視察 住民の男性が出て来て怪訝な表情で見学を断られた。
連れて下さっている会員さんが「この人達は京都からボランティアで支援物資を運んで来てくれて仮設住宅
の実情を知っていただくだけの事で、、、」と決して物見遊山で無いことを静かに説明していただいた。
怪訝な顔の男性も納得して現状の不便さ、これからの仕事等の心配な心の内を話された。
被災地視察から帰ったら直ぐに昼食だ。 またまた凄いネギトロ弁当
昼食を終えてお祭り広場へ ”京うどん” の前は行列だ。
あれ!? 一杯200円の有料だ どうして?と聞いたら売上を全部を寄付するそうだ。納得
お祭り広場では一番人気があったようだ。 あれ!もう数個で完売だ!
にわか店員さんの粋な呼び込みで見ている間に完売してしまった。ご苦労様でした。
さ~これから交代だ お先にお昼をいただいてきました。うどん屋の皆さんはこれから昼食 そして
被災地の視察だ。
メインコーナーでは 演歌のお姉さん、和太鼓などのアトラクションがあった。
みんなが帰ってくるまでに3人で店の後片付けだ。もたもたしている間にうちが一番遅くなってしまった。
みんなが帰って来た。 さ~これから慰労会をやっていただく。 乾杯! いただきま~す
おいしい炭焼きサンマの食べ放題 生ビールもたっぷりと
自己紹介と思いついたこと?を順番で喋繰る。みんなペラペラと上手に喋る オイラは大勢の前で
改まった難しい話は大の苦手だ。
支援物資に何が必要か?現地の民商事務局を通して聴いてもらったら「位牌の置き場所が無いので困っている」という
お話に 山科の仏壇屋さんから10個提供していただいたそうです。
小型の仏壇を手渡す事務局長 お嫁さんを亡くされたお弁当屋さん
その時お嫁さんが車に乗っていて携帯で「津波がそこまで来た!庁舎へ逃げ込むよ!」と連絡の最中
電話が途切れたそうです。その庁舎は流されていて 今なお行方不明だそうだ。お話を聞かせてもらっているうち
オイラ涙が、、、、。 そんな辛い出来事があったのに 前向きな元気な笑顔が印象的だった。
美味しいお弁当ありがとうございました。頑張ってください!
まだ喋り足りないのかオイラの分まで喋ってくれてか
飲みながら難しい事を喋っている元ブンヤ
今夜もここで寝袋でのお泊まりだ。明日は未明に京都向けに出発だ。
そうそうオイラのイビキは無呼吸だから気を付けなと皆から言われた。
(後日武田病院で診察してもらったら心配ないとの結果だった。)
3日目 起床は 2時過ぎだったかな? 帰りの道中は何事もなく無事だった。
そうそう帰りのバスでみんなにマイクが回り又みんな得意げに喋る。
オイラはカラオケマイクだったら離さないかも、、、。
お土産においしいサンマをもらってきました。
皆さんお疲れさんでした。
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大文字焼きの 件は一部の人間が放射能の事をグダグダ言って中止になりました。
そんな人間は被災地に支援に行くなんてことはしないでしょう。
大多数の人は松の使用は賛成していたんですけどね。
又機会があったらご一緒よろしくです。
津波は終わったがこれからも続くであろう放射能の恐ろしさ、放射能が残留する限り風評は続くだろうと思う。間違った風評は困るがチョットぐらい大丈夫となーなーになってしまってもこれほど恐ろしいものはないと思う。今皆が抱いている原発への大きな不安は脱原発への大きな力になるんではとこの頃思うようになって来ました。
間違ってるかな?
との誰もの思い 今二世を育てて順調らしい
生き残ったのは前の建物国民宿舎があったためと後ろの少し高くなった防波堤が波を弱めたと
報道 やはり塩水には 勝てないのでしょうね 元気な二世で松原を再生するとかうれしいニュースですね
松原が蘇り 今回の大災害がいつかは伝説になって往くんだろうな。