山少年の山日記

いつまで経っても山男になれないオイラです

東日本震災救援ボランティアに参加

2011年07月24日 | 登山
   がんばろう!東北 
  
城陽久御山民主商工会主催
東日本大震災に
支援物資を届ける活動お手伝いに参加

と き  2011.7.16(土)~18日

この商工会のボランティア活動は
3月27日 民商宮城県連へ物資届け 
5月14日 石巻民商へ支援物資届け、無料バザー 
       と2回実施されていたそうだ。
今回の7月16日~18日は気仙沼本吉民商への支援活動ボランティアだ。
民商のビラにこの活動の「
運転手募集!」が, 早速事務所に「運転なら任せて!
オイラはいつも山行きで車の遠乗りは慣れているから」と電話で申し込んだ。
ラッキーにも6人の仲間に入れてもらった。

(震災直後にポンからテント持ちでGWにボランティアに行こう!と誘われていて
オイラも同感だったが
個人では返って邪魔になるな~と機会を覗っていたから
「待っていました!」の応募だった。)

              
                          7月14日  17:35 荷造り完了!  

民商事務所から今回の支援物資は特にプロ用の厨房用品、食器、建設道具類が必要との事だったが
一般家庭用の食器類も良いとの事だったので 山仲間(遊華、ogiちゃん等)に集めてもらい
プロ用の蒸し釜、アルミ寸胴鍋セット、ナベ、釜、ザル、大皿、ガラス食器、茶碗類、トースター等を
ほぼ一週間がかりで掃除しダンボール箱に古新聞で包み梱包をしてもらってやっと7月15日に
久御山R1号線の
レストラン「市番」さんへ届けることが出来ました。
(その間オイラの工作所事務所は足の踏み場も無いほどだった。) みなさんご協力有難うございました。

7月15日 国道一号線久御山のレストラン
「市番さんの表には支援物資の山が出来ました。


 

新品の冷蔵庫、洗濯機、扇風機、電子レンジ、クーラーも、、、。
 お米が300キロとか、「市番」さんの業務用冷蔵庫の中にはいっぱいのトマト、きゅうり、茄子、玉ねぎ
 そして建設用機械工具、水準器、ランマー、スコップ、ツルハシ、バール類、発電機、オイラも欲しくなりそうな品々が、、、
 それから建設現場の大きな簡易トイレまでも!。トイレを横倒しにして載せてから中にギッシリ隙間無しに物を入れる。
  

 2トンのアルミ箱車と8人乗りワゴン車の後部席を倒しても乗せきれず急遽2トンダンプも会員さんから提供してもらって
 ダンプに山積みでやっと載りきりました。


   隙間無くびっしりと積まれてゆく           立派な”看板”の貼り付完了!
 
アルミ箱車の2トンにやっと積み込みが終わりました。 猛暑の中をみなさんご苦労様でした。
             さ~明日は 
がんばろう!日本

 
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7月16日 さ~いよいよ出発の日だ!。


 
                         4:55
8人乗りのワゴンに4名乗車(内一人がオイラだ)、後部座席を倒して救援物資の野菜類を満載で
U会長さん、Nさん、Ⅰさんとオイラの4人交代の運転だ。
アルミ箱車(2t)パンクするほどの満載で2人交代
、そして2tダンプも2人交代だ。

  午前5時15分 茜色に染まるアルミ箱車をバックに出発の記念集合写真
(右後列のお二人さんはお留守番 右の人はアルミ箱車のオーナーのBさん、左の人はY事務局長)
5時出発予定だったが5時30分頃の出発になりました。

京滋バイパス、名神、北陸道、新潟中央から盤越自動車道、を何度か休憩し運転を交代しての走行だ。
  
西会津手前で後続車(2tアルミ箱車)からパンクの知らせ! 
まだ走れるとのことでチエン装着場所(西会津まで2km)を見つけ待機。
しばらくしたらパンク車が到着。 左後部の内側のタイヤがバーストだ。        15:04

 
灼熱のアスファルトも厭わず車の下に寝転がりジャッキ掛けして手際の良いタイヤ交換だ。(ダンプ車の二人組)
しばらくすると対向車線にハイウエーパトロール車が止まり職員が降りてきたが手際の良さに安心して
「終わりましたら道路傍の非常電話でその旨連絡ください」と言って帰っていった。(監視カメラで見て来たと言っていた)  

 
 21:30 やっと気仙沼本吉民商の事務所に到着 久御山発5:30だったから16時間かかった計算だ。
大勢の会員さんが待ってくれてました。皆で3台の車から物資を降ろす。
 
            事務所で休憩   22:10             日付けも替わり 0:02の夕食だ。     

一ノ関市千厩に極近い宿泊所(空家の民家)に到着 一階には北海道からのボランティア達の先客が就寝中だった。
我々は2階の部屋に案内され管理人さんから「深夜なので特に静かに!」と強いお達しだ。

手話交じりに似た会話で夕食。誰かが小声で「お通夜でももう少し賑やかやで、、」と皆を笑わす(声を殺しての笑い )  
 
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7月17日(日)

 
      翌朝の宿泊所表  7:53                          8:05
アルミ箱車は任務を終え帰路へ出発! Ⅰさん Tさん ご苦労さまでした。お気をつけて!
我々はこれから昨夜荷を下ろした集会場で仕分けして被災された人々の仮設住宅へ配るんだ。
 
集会場所へ向かう途中 津波被災地を通過する。港に停泊船か?と見間違える
大きな船舶が街の跡地に建っていた。目前の光景はテレビで見る以上の驚きだ。
道路の後片付けと送電線の電柱はところどころ復興して来ているようだ。


猛暑の中 物資の仕分け、(民商の会員向け営業再建物資と一般家庭再建物資とに分ける。)
我々は一般家庭再建物資をダンプに積み込む。



 気仙沼民商宣伝カーの先導で家庭用救援物資を仮設住宅へ向けて届けに行く

                               
海岸からかなり離れた上流までも瓦礫だ。           仮設住宅到着


        
民商宣伝カーが「京都、城陽.久御山民商の人達が救援物資を持ってきてくれました~」とふれて廻る。

集まりが今ひとつと思いきや昨日他のボランティアが来たそうな。
「昨日は外出していてもらってなかったの、、」と必要な品々を集めてもらってくれる人達もあり
それでも皆さん沢山持ち帰って貰った。

近所のご婦人が我々に「ご苦労様です」と言って冷茶の差し入れに来てくださった。
炎天下の我々には大変有り難かった。
誰かがお礼に物資をお渡ししようとしたら「私は仮設住宅でないから、、」と遠慮されていた。

一区切りしたところで店仕舞いして次の仮設住宅地へと移動する。



 
ここは沢山の人たちが直ぐに集まって来てどんどんと持ち帰ってくださった。
子供用のパンツのサイズを見て集め我が子を呼び寄せて丈を見て持ち帰ってくれる母親、
「ご飯茶碗がないの~?」と探す人、「これもこれも欲しいが狭い仮設だから、、、」と惜しがる人達も。

殆どの物資をもらって頂いた。こんなにも皆さんが喜んで使って下さるんだったらもっともっと皆に声掛けして集めてきたら良かったのに~と悔しい思いがした。(でも、2トン車の追加までしてもらったんだから、、と一人で納得)


        
事務所への帰り道 被災地を通過       気仙沼リアスミュージアム前には漁船が、、、。
   

気仙沼本吉民商さんからお昼の御弁当が、、いただきま~す。13:20 これで物資の輸送、手渡しボランティアが
一通り終えたことに成り 宿舎への帰り道 被災地をお見舞うことに。


無傷に近い状態で打ち上げられた大きな船に吃驚 こんな大きな船を運んで来る津波 想像を絶する。      

              港には黒焦げの船舶が、、、。

宿舎に帰り風呂支度をして岩手県一ノ関千厩にある温泉を探して二日分の汗を流し帰りにスーパーで
夕食、缶ビール、朝食等 買い込み宿舎でミニ慰労会 皆さんお疲れで早い就寝(時刻覚えていない)

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7月18日(月)

ダンプ組 Fさん Tさんは朝食を済ませ帰路へ
ワゴン組 4人は南三陸町、石巻の被災地をお見舞いして帰ることに。




南三陸町の防災センター  防災無線放送で住民に避難を呼びかけた女性職員さんが犠牲になられた
庁舎です。波が3階の屋上まで押し寄せアンテナにしがみ付いて助かった人が数人おられたそうです。
庁舎表の献花台には沢山のお供え物が見えてます。
思わずご冥福を祈らずには居れませんでした。


満潮時には地盤沈下で道路のマンホールから海水が吹き出ている。

公立志津川病院の2階ベランダの上には船が今も乗ったままだ。 

 石巻までやってきました。  電柱の復興は場所によっては進んでいたが、引き込み線はどこにも見当たらなかった。

 
小高い日和山より市内を展望 鉄筋コンクリート建て以外の建物は全部波にさらわれて跡形も無い。


この公園には沢山の人達が逃げて来てどんな思いで自分の街の崩壊を眺め逃げ惑う人達の悲痛な叫びを見聞きさられたことだろうと柵にしがみ付き瓦礫の街を眺めてしばらくの間思いを馳せました。

震災以来4ヶ月過ぎた今なお 主要道路の瓦礫除去等を除き他は復興の兆しは何処にも見れませんでした。
国民が挙って支援の手をたづさえ、一丸となって国に拍車を掛けて一日も早い復興を願いたいものです。

がんばろう!日本

福島のこれからは、、、見ているだけではダメですね。
世界人類が挙って「脱原爆、原発」を叫ばなきゃ!


がんばろう!地球