何の気なしにいろんな単語をGoogleに打ち込み検索していた。
きっかけは学区域。
学区域が変ったようで、今ここ(我が家の所在地)だと私が卒業した中学ではないという話を聞いたので、本当かどうか調べたのがきっかけ。
出てきた中学校名はほんとに違っていた。
なんだか排除された感じもして淋しかった。姪が近くに住んでいるが、違うんだ~と。
それから卒業した中学や高校・・・まるで自分の歴史を検索するかのように思いついた単語を次から次へと打ち込んでは眺めていた。
すると!
高校の時の日本史の講師の先生が、いまや短期大学の教授になっていることがわかった。
・・・というのは、その先生が本をいくつか出しており、著者ということでインターネットでぶつかった。
その先生は、(少なくとも私の人生の中ではその方以外に出会ったことのない)珍し~い苗字だったので簡単に検索できたんだと思う。
カレーライスが好きな先生だった。 お酒も好きみたいだった。
高校生の私たちと10個位しか年齢も違わなかったので、なんだか"お兄さん"的なところもあって親しみやすかったのかもしれない。
それにしてもびっくり。
時がたったんだな~とも。
私はその先生の授業がとても楽しくて心待ちにしていました
授業にどんどん引き込まれていく感じだった。
もちろんその教科がもともと興味のあるものだったということもあるが、説明方法も雑談も「それでそれで~ へぇ~ そうなんだ~」と引き込まれ、50分の授業があっという間に感じられた。
変な言い方だが、自分でも "くいつくように前のめりで授業を受けていた" という自信?さえ。
その後、私は教育実習なるものを経験した(日本史ではない)が、教壇というのはすごいもので、そこから生徒の顔を見るに興味がある子、やる気のある子は一目瞭然。
つまり先生にはバレバレ。
自分が教壇に立ってはじめてそれを感じたし、その発見が一番大きかったといっても過言でないかもしれない。
顔つきというか目というか、こちらに迫ってくるものがある。
「よ~し どんな授業やるんだ~?聞いてやるぞ」「聞き漏らすものか」といった気迫、パワーを感じる。
だからこちらも懸命になる。あまり気力の感じられない子には、どうしたら、どう表現したら分かって貰えるかな~と教える側は自分の教え方にい悩み、どんどん質問をしてくる生徒には、ちゃんとその生徒の疑問に応えられてあげているかなと不安になり・・・ある意味勝負だなと思った。
高校生のその先生の授業を受ける私の顔は、間違いなく瞳の輝いているギラギラ系だったと思う。
今でも日本史は好き。
二十歳の頃は、お勤めしてお金をためてもう一回日本史の講義を聴きに大学にいけたらいいな~なんて夢もあったけど実際職についてしまうと、「私の好き」程度だと日々に流されてしまうようで、いつしか「それは夢だった」「不可能」・・・というか「いまさらそのパワーはない」という結論に20代後半かな?落ち着いちゃいましたねでもテレビで日本史のことをやっていると見てます。
他の先生のことも思い返しますが、好きな授業だっただけに、その先生のことは卒業後も「まだ高校にいるのかな」とか、「講師だったから もう今は違うところかな」とか・・・思うことが多々ありましたね。
それが今日、(卒業して何年目でしょう・・・秘密怖くて言えない?)何の気なしの検索でぶつかり、おまけに「著者紹介」みたいな感じで写真も載っていたので画面を見て「あ、どうも お久しぶりです」って感じです。
すっかりい~年の中年になってましたが、そりゃそうです。私だって い~年ですから
担任じゃなかったから再会する機会もないでしょうが、間違っての再会?でもあったら、また歴史の話など聞きたいものです。社会人向けの講座でもあればね・・・
もうお酒も飲みあえますしね
いや~っ びっくりしました。
きっかけは学区域。
学区域が変ったようで、今ここ(我が家の所在地)だと私が卒業した中学ではないという話を聞いたので、本当かどうか調べたのがきっかけ。
出てきた中学校名はほんとに違っていた。
なんだか排除された感じもして淋しかった。姪が近くに住んでいるが、違うんだ~と。
それから卒業した中学や高校・・・まるで自分の歴史を検索するかのように思いついた単語を次から次へと打ち込んでは眺めていた。
すると!
高校の時の日本史の講師の先生が、いまや短期大学の教授になっていることがわかった。
・・・というのは、その先生が本をいくつか出しており、著者ということでインターネットでぶつかった。
その先生は、(少なくとも私の人生の中ではその方以外に出会ったことのない)珍し~い苗字だったので簡単に検索できたんだと思う。
カレーライスが好きな先生だった。 お酒も好きみたいだった。
高校生の私たちと10個位しか年齢も違わなかったので、なんだか"お兄さん"的なところもあって親しみやすかったのかもしれない。
それにしてもびっくり。
時がたったんだな~とも。
私はその先生の授業がとても楽しくて心待ちにしていました
授業にどんどん引き込まれていく感じだった。
もちろんその教科がもともと興味のあるものだったということもあるが、説明方法も雑談も「それでそれで~ へぇ~ そうなんだ~」と引き込まれ、50分の授業があっという間に感じられた。
変な言い方だが、自分でも "くいつくように前のめりで授業を受けていた" という自信?さえ。
その後、私は教育実習なるものを経験した(日本史ではない)が、教壇というのはすごいもので、そこから生徒の顔を見るに興味がある子、やる気のある子は一目瞭然。
つまり先生にはバレバレ。
自分が教壇に立ってはじめてそれを感じたし、その発見が一番大きかったといっても過言でないかもしれない。
顔つきというか目というか、こちらに迫ってくるものがある。
「よ~し どんな授業やるんだ~?聞いてやるぞ」「聞き漏らすものか」といった気迫、パワーを感じる。
だからこちらも懸命になる。あまり気力の感じられない子には、どうしたら、どう表現したら分かって貰えるかな~と教える側は自分の教え方にい悩み、どんどん質問をしてくる生徒には、ちゃんとその生徒の疑問に応えられてあげているかなと不安になり・・・ある意味勝負だなと思った。
高校生のその先生の授業を受ける私の顔は、間違いなく瞳の輝いているギラギラ系だったと思う。
今でも日本史は好き。
二十歳の頃は、お勤めしてお金をためてもう一回日本史の講義を聴きに大学にいけたらいいな~なんて夢もあったけど実際職についてしまうと、「私の好き」程度だと日々に流されてしまうようで、いつしか「それは夢だった」「不可能」・・・というか「いまさらそのパワーはない」という結論に20代後半かな?落ち着いちゃいましたねでもテレビで日本史のことをやっていると見てます。
他の先生のことも思い返しますが、好きな授業だっただけに、その先生のことは卒業後も「まだ高校にいるのかな」とか、「講師だったから もう今は違うところかな」とか・・・思うことが多々ありましたね。
それが今日、(卒業して何年目でしょう・・・秘密怖くて言えない?)何の気なしの検索でぶつかり、おまけに「著者紹介」みたいな感じで写真も載っていたので画面を見て「あ、どうも お久しぶりです」って感じです。
すっかりい~年の中年になってましたが、そりゃそうです。私だって い~年ですから
担任じゃなかったから再会する機会もないでしょうが、間違っての再会?でもあったら、また歴史の話など聞きたいものです。社会人向けの講座でもあればね・・・
もうお酒も飲みあえますしね
いや~っ びっくりしました。