ゴールデンウィークただ中である。
一体、祝日というものは、「この国のかたち」を端的に表す象徴的なものの一つといえる。わが国の場合でも、その中には、日本の伝統・文化・風習等々が、自ずから感じられるものであるはずである。
私自身、これまでも、祝日に関していくつかの文章もまとめているし、まとめきれていないまでも、それなりの思いを持っているものも、やはりいくつもある。
一方、なぜ、この日が祝日でないのか。否、祝日にしないまでも、少なくとも、日本にとって格別な日と認識できるようにすべきではないかと考えている日がある。
4月28日。この日を、日本の独立記念日、もしくはそのことを理解させるような日にしてもよいのではないだろうか。
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昭和27(1952)年4月28日。この日は、日本にとって、世界48ヶ国と締結したサンフランシスコ講和条約が発効し、6年8ヶ月に及んだ被占領状態から脱し、独立した日なのである。
私は、従前から、8月15日を「終戦の日」と呼ぶことに対して、何となく違和感を持っていた。この日は、「終戦」ではなくて、「敗戦」の日ではないだろうかと。修辞的な問題としては理解できないことはないが、4月28日の意味合いを曖昧にしてしまうものとならないだろうか。
ご存知の通り、1945年8月15日は、ポツダム宣言受諾が玉音放送によって国民に知らされた日である。要するに、この日はあくまでも、日本にとって戦争停止が国民に知らされた日でしかない。国際法的にいっても、全く意味のない日であり。日本にとっては、「軍事的敗戦」が知らされた日にしか過ぎないのである。
ちなみに、ポツダム宣言受諾からほぼ二週間後の9月2日に、ミズーリ号上で降伏文書が調印された。この日は、日本の軍隊が交戦国軍隊全体に関する全面的休戦を意味する。つまり、国際法的には、日本が連合国の軍政下に置かれた日といえる。その休戦状態から解放されたのが、1952年4月28日なのである。
実際、サンフランシスコ講和条約第一条には、「日本国と各連合国間との戦争状態は、(中略)この条約が日本国と当該連合国との間に効力を生ずる日に終了する。」つまり、1952年4月28日までは、「日本国と各連合国間との戦争状態」なのであり、その状態は、この日をもって「終了する」と明記されている。
整理する。8月15日は敗戦が国民に知らされた日、9月2日は休戦状態で、被占領化された日、4月28日は連合国軍隊からの占領が解かれ、日本が独立した日。これが国際法的にいって正しい。
この4月28日から、現代日本の新しい歩みが始まるのである。
「4月28日」の意味というものを、もう少し真剣に、大切に考えてみても良いのではないだろうか。少なくとも、日本という国のあり方を考える上では、教育基本法に「愛国心」という言葉を入れることにこだわるよりも、はるかに重要で、優先順位の高い課題ではないだろうか。
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昨今、中国と韓国が、一方的に問題としている、靖国問題と竹島問題を考えるにおいても、この4月28日という日は、その考え方にヒントを与えてくれる日ともなっている。
靖国問題。
日本が独立した1952年4月28日直後から、極東国際軍事裁判などによって有罪とされた人たちへの、釈放を求める国民運動が展開され、その署名は何と4000万人以上にものぼった。
その国民の声を受け、1951年8月3日、衆議院は「戦争犯罪による受刑者の赦免に関する決議」が全会派一致で可決された。右も左もない。全国会議員である。さらに、この決議を受け、受刑者などを対象とする遺族援護法や恩給法の改正が、やはり社会党をも含めた全議員の賛成で成立した。これにより、遺族年金の対象になる人たちは靖国神社の合祀対象の基本名簿に入り、1978年10月17日の合祀となった。
小泉首相の靖国参拝に賛成・反対、どちらの意見を述べるにおいても、少なくとも、以上の国民的議論の経緯を理解していなければいけない。全ては、1952年4月28日から始まっている。
竹島問題。
サンフランシスコ講和条約は、日本の領土を規定するものでもあった。その領土を既定していく過程において、1951年3月、連合国の代表であるアメリカは、その最終草案を韓国へも提示。7月、韓国は、竹島(韓国名:独島)も、韓国領内に含めるよう要求。8月、アメリカは、『独島、又は竹島ないしリアンクール岩として知られる島に関しては、この通常無人島である岩島は、我々の情報によれば朝鮮の一部として取り扱われたことが決してなく、1905年頃から日本の島根県隠岐支庁の管轄下にあります。この島は、かつて朝鮮によって領土主張がなされたとは思われません。』として、韓国の要求を拒否。竹島は、日本の領土として国際的に確定した。
韓国側としては、このまま、この国際条約が発効してしまってはおもしろくない。日本の占領状態の間に、新たな既成事実をつくり上げるべく、韓国は1952年1月18日、つまり、サンフランシスコ講和条約発効の3ヶ月前のこの日、突然に李承晩ラインなる水域を宣言し、韓国領内に竹島を含め、不法に軍事占拠することになった。
よって、韓国に国際司法裁判所への提訴を訴えても、絶対に応じることはしない。既に、サンフランシスコ条約の領土既定の際に、韓国の主張は退けられ、国際的に、日本領土と決められたことを韓国自身が知っているからである。それだけに、韓国とすれば、この問題で世界の耳目を集めるようなことはしたくはない。竹島問題をすぐに、植民地問題、さらには靖国問題にまですりかえる所以である。望むらくは、日本がさして物言わぬ間に、静かに既成事実を積み上げていくだけが肝要なのである。
この竹島問題は、政府与党はもちろん、野党第一党の民主党のみならず共産党も含めて、全政党が韓国の不法占拠と訴えている。前述した、いわゆるA級戦犯を含めた戦争犯罪による受刑者の赦免を、全会派一致で求めたことと同じように。
この問題も、4月28日が一つ区切りとされたのである。
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尚、4月28日を「国家主権回復の日」という意見も散見することもある。基本的には、これまで述べてきたことと同じ理由によると思われる。また、占領下といっても、6年8ヶ月という期間を考えれば独立というよりは、この言い方の方が、実態に合っているのかもしれない。ただ、私は、何となく釈然としない気持ちがある。それは、北朝鮮による拉致事件があるからだ。
北朝鮮による拉致は、個人の何十人の方たちがかわいそうだという問題ではない。それでは、いつまでたっても、解決することはないのではないか。拉致問題は、国家主権にかかわる問題と認識しなければいけない。この問題の解決なくして、日本という国の主権が確立されたとはいえないのではないだろうか。
そういう意味では、横田めぐみさんの母親の横田早紀江さんが、この4月28日という日に米国議会で拉致問題について意見を述べ、さらにブッシュ大統領にその訴えをしたということは、偶然とはいえ、極めて象徴的なことであった。
※本当は、4月28日早朝にこのメルマガを出したかったのだが、まとめきれなかった。昨年も、全く同じパターンで時機を逃してしまった。一年経っても全く変わらないので、来年も同じことになるだろうと思い、少々遅れはしたが出してしまう。
※明日5月3日は憲法記念日という祝日である。現日本国憲法施行日。実は、ほとんど知られてはいないが、この日は東京裁判の開廷日なのである。日本国憲法を作成したGHQは、この裁判を正当化するために、この日を新しい憲法の施行日にしたのであろうか。そんなこととは知らずに、私たち日本人は祝日としてお祝いる。もちろん、そのことと憲法改正の議論とを混同してはいけないが、事実として認識して置くことも必要である。
※上記の文章は全て、5月2日に書き上げたもの。これから書くことは、5月5日現在のものである。
5月4日午後、少し時間ができたので、しばらくたまっていた新聞を整理して読み返した。その際、ある記事が目に止まった。報道によると、いわゆる小泉チルドレンの何人かの議員さんが、この4月28日を、国家主権回復の日として靖国神社に参拝したという。なぜ、国家主権回復が、即、靖国神社参拝に繋がるのか。私にはそのセンスは理解できない。少なくとも、私のこの文章は、その流れの中にあるものではない。
一体、祝日というものは、「この国のかたち」を端的に表す象徴的なものの一つといえる。わが国の場合でも、その中には、日本の伝統・文化・風習等々が、自ずから感じられるものであるはずである。
私自身、これまでも、祝日に関していくつかの文章もまとめているし、まとめきれていないまでも、それなりの思いを持っているものも、やはりいくつもある。
一方、なぜ、この日が祝日でないのか。否、祝日にしないまでも、少なくとも、日本にとって格別な日と認識できるようにすべきではないかと考えている日がある。
4月28日。この日を、日本の独立記念日、もしくはそのことを理解させるような日にしてもよいのではないだろうか。
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昭和27(1952)年4月28日。この日は、日本にとって、世界48ヶ国と締結したサンフランシスコ講和条約が発効し、6年8ヶ月に及んだ被占領状態から脱し、独立した日なのである。
私は、従前から、8月15日を「終戦の日」と呼ぶことに対して、何となく違和感を持っていた。この日は、「終戦」ではなくて、「敗戦」の日ではないだろうかと。修辞的な問題としては理解できないことはないが、4月28日の意味合いを曖昧にしてしまうものとならないだろうか。
ご存知の通り、1945年8月15日は、ポツダム宣言受諾が玉音放送によって国民に知らされた日である。要するに、この日はあくまでも、日本にとって戦争停止が国民に知らされた日でしかない。国際法的にいっても、全く意味のない日であり。日本にとっては、「軍事的敗戦」が知らされた日にしか過ぎないのである。
ちなみに、ポツダム宣言受諾からほぼ二週間後の9月2日に、ミズーリ号上で降伏文書が調印された。この日は、日本の軍隊が交戦国軍隊全体に関する全面的休戦を意味する。つまり、国際法的には、日本が連合国の軍政下に置かれた日といえる。その休戦状態から解放されたのが、1952年4月28日なのである。
実際、サンフランシスコ講和条約第一条には、「日本国と各連合国間との戦争状態は、(中略)この条約が日本国と当該連合国との間に効力を生ずる日に終了する。」つまり、1952年4月28日までは、「日本国と各連合国間との戦争状態」なのであり、その状態は、この日をもって「終了する」と明記されている。
整理する。8月15日は敗戦が国民に知らされた日、9月2日は休戦状態で、被占領化された日、4月28日は連合国軍隊からの占領が解かれ、日本が独立した日。これが国際法的にいって正しい。
この4月28日から、現代日本の新しい歩みが始まるのである。
「4月28日」の意味というものを、もう少し真剣に、大切に考えてみても良いのではないだろうか。少なくとも、日本という国のあり方を考える上では、教育基本法に「愛国心」という言葉を入れることにこだわるよりも、はるかに重要で、優先順位の高い課題ではないだろうか。
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昨今、中国と韓国が、一方的に問題としている、靖国問題と竹島問題を考えるにおいても、この4月28日という日は、その考え方にヒントを与えてくれる日ともなっている。
靖国問題。
日本が独立した1952年4月28日直後から、極東国際軍事裁判などによって有罪とされた人たちへの、釈放を求める国民運動が展開され、その署名は何と4000万人以上にものぼった。
その国民の声を受け、1951年8月3日、衆議院は「戦争犯罪による受刑者の赦免に関する決議」が全会派一致で可決された。右も左もない。全国会議員である。さらに、この決議を受け、受刑者などを対象とする遺族援護法や恩給法の改正が、やはり社会党をも含めた全議員の賛成で成立した。これにより、遺族年金の対象になる人たちは靖国神社の合祀対象の基本名簿に入り、1978年10月17日の合祀となった。
小泉首相の靖国参拝に賛成・反対、どちらの意見を述べるにおいても、少なくとも、以上の国民的議論の経緯を理解していなければいけない。全ては、1952年4月28日から始まっている。
竹島問題。
サンフランシスコ講和条約は、日本の領土を規定するものでもあった。その領土を既定していく過程において、1951年3月、連合国の代表であるアメリカは、その最終草案を韓国へも提示。7月、韓国は、竹島(韓国名:独島)も、韓国領内に含めるよう要求。8月、アメリカは、『独島、又は竹島ないしリアンクール岩として知られる島に関しては、この通常無人島である岩島は、我々の情報によれば朝鮮の一部として取り扱われたことが決してなく、1905年頃から日本の島根県隠岐支庁の管轄下にあります。この島は、かつて朝鮮によって領土主張がなされたとは思われません。』として、韓国の要求を拒否。竹島は、日本の領土として国際的に確定した。
韓国側としては、このまま、この国際条約が発効してしまってはおもしろくない。日本の占領状態の間に、新たな既成事実をつくり上げるべく、韓国は1952年1月18日、つまり、サンフランシスコ講和条約発効の3ヶ月前のこの日、突然に李承晩ラインなる水域を宣言し、韓国領内に竹島を含め、不法に軍事占拠することになった。
よって、韓国に国際司法裁判所への提訴を訴えても、絶対に応じることはしない。既に、サンフランシスコ条約の領土既定の際に、韓国の主張は退けられ、国際的に、日本領土と決められたことを韓国自身が知っているからである。それだけに、韓国とすれば、この問題で世界の耳目を集めるようなことはしたくはない。竹島問題をすぐに、植民地問題、さらには靖国問題にまですりかえる所以である。望むらくは、日本がさして物言わぬ間に、静かに既成事実を積み上げていくだけが肝要なのである。
この竹島問題は、政府与党はもちろん、野党第一党の民主党のみならず共産党も含めて、全政党が韓国の不法占拠と訴えている。前述した、いわゆるA級戦犯を含めた戦争犯罪による受刑者の赦免を、全会派一致で求めたことと同じように。
この問題も、4月28日が一つ区切りとされたのである。
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尚、4月28日を「国家主権回復の日」という意見も散見することもある。基本的には、これまで述べてきたことと同じ理由によると思われる。また、占領下といっても、6年8ヶ月という期間を考えれば独立というよりは、この言い方の方が、実態に合っているのかもしれない。ただ、私は、何となく釈然としない気持ちがある。それは、北朝鮮による拉致事件があるからだ。
北朝鮮による拉致は、個人の何十人の方たちがかわいそうだという問題ではない。それでは、いつまでたっても、解決することはないのではないか。拉致問題は、国家主権にかかわる問題と認識しなければいけない。この問題の解決なくして、日本という国の主権が確立されたとはいえないのではないだろうか。
そういう意味では、横田めぐみさんの母親の横田早紀江さんが、この4月28日という日に米国議会で拉致問題について意見を述べ、さらにブッシュ大統領にその訴えをしたということは、偶然とはいえ、極めて象徴的なことであった。
※本当は、4月28日早朝にこのメルマガを出したかったのだが、まとめきれなかった。昨年も、全く同じパターンで時機を逃してしまった。一年経っても全く変わらないので、来年も同じことになるだろうと思い、少々遅れはしたが出してしまう。
※明日5月3日は憲法記念日という祝日である。現日本国憲法施行日。実は、ほとんど知られてはいないが、この日は東京裁判の開廷日なのである。日本国憲法を作成したGHQは、この裁判を正当化するために、この日を新しい憲法の施行日にしたのであろうか。そんなこととは知らずに、私たち日本人は祝日としてお祝いる。もちろん、そのことと憲法改正の議論とを混同してはいけないが、事実として認識して置くことも必要である。
※上記の文章は全て、5月2日に書き上げたもの。これから書くことは、5月5日現在のものである。
5月4日午後、少し時間ができたので、しばらくたまっていた新聞を整理して読み返した。その際、ある記事が目に止まった。報道によると、いわゆる小泉チルドレンの何人かの議員さんが、この4月28日を、国家主権回復の日として靖国神社に参拝したという。なぜ、国家主権回復が、即、靖国神社参拝に繋がるのか。私にはそのセンスは理解できない。少なくとも、私のこの文章は、その流れの中にあるものではない。