本日5月3日は憲法記念日、つまり、日本国憲法が施行された日である。それはそれでおめでたいことであろう。
さて、先進国の中で、一番、休日も多く、仕事をしている時間が短いといわれているのは、なんといってもイタリアであろう。
ところが、最近の日本の祝日の大安売り、さらには、振り替え休日、ハッピィマンディ等々によって、なんと、日本の休日の方が、イタリアよりも多くなっているという。カレンダー上では、日本は、世界でもっとも休んでいる国民になったといえるのかもしれない。
これだけ祝日が多くなった現在、一体、祝日とは何ぞや、ということをもう一度真剣に考えてもいい時期ではないだろうか。
具体的には、本当に、この日は日本国及び日本国民にとって、国民の祝日として、お祝いをするに値する日なのかどうか。逆に、本当なら、他に祝日にすべきであろう日というものはないのかどうか。祝日の意義を再確認するためにも、大切なことではないだろうか。
前者においては、私は、真っ先に、この「憲法記念日」をあげたい。この日が、憲法記念日なる国民の祝日として本当に相応しいかどうか、今一度、じっくりと考えてみてはいかがだろうか。
そもそも、憲法とは、その国にとっての背骨となるものである。
ご存知の通り、この日本国憲法は、日本がGHQに占領されていた時代に制定されたものである。ただ、「押し付け憲法」云々の議論はここではしない。たとえ、「押し付け」であろうとも、少なくとも、昭和21年11月3日に公布され、翌22年5月3日に施行されてからの60数年間、この憲法の下で、私たちの生活は営まれてきている。
この事実は、「押し付け憲法」であるということをもってして、改憲を唱える方たちにとっても、真摯に受け止めなければならないことである。
私が、この憲法が施行された日をもって「憲法記念日」なる祝日と崇(あが)めることに、今一度、慎重になったほうがいいと考えるのは、そういう理由からではない。
憲法の基本的な枠組みを作成したGHQが、なぜ、この5月3日という日を、その憲法の施行日としたのか。そのことに思いを馳せてみたい。
以下、心にもなく、「偶然かもしれないが」、という表現を何回か使う。
偶然かもしれないが、この5月3日は極東国際軍事裁判、いわゆる東京裁判の開廷日なのである。果たして、偶然同じ日になっただけであろうか。
では、もう二つ述べる。
偶然かもしれないが、その東京裁判において、いわゆる「A級戦犯」とされた当時の指導者達28名が、東京裁判にかけられるべく起訴されたのは、昭和天皇誕生日である4月29日である。果たして、偶然同じ日になっただけであろうか。
偶然かもしれないが、その裁判で絞首刑を言い渡された7名は、当時の皇太子である明仁親王、つまり現天皇陛下の誕生である12月23日に刑が執行された。果たして、偶然同じ日になっただけであろうか。年も迫ったこの時期に・・・。
これだけ、「偶然かもしれないが」が続くのは、数学的ににいえばどうなるのか。365の3乗分の1か・・・(365の3倍分の1、じゃないよな?「確率」は苦手だったんで・・)。
偶然のはずがない。
明らかに、これからの日本という国の背骨になる憲法の施行日を、東京裁判の開廷日にすることによって、東京裁判を正当化したいという意図の表れと考えるのが自然であろう。
東京裁判が実質的に始まったともいえる起訴がなされた日が、天皇誕生日であるということも、GHQ側の期待した東京裁判の役割の大きな象徴ともいえる絞首刑が執行された日が、明仁親王(皇太子)の誕生日であったということも、間違いなく、GHQの明確な意図といえる。
その東京裁判の開廷日に、これからの日本の背骨たる新憲法を施行させる。間違いなく、明確な意図がある。
否、もしかしたら、もっと安直な理由かもしれない。GHQの日本に対する「嫌がらせ」、「あてつけ」といったら、やや、斜に構えすぎになろうか。
少なくとも、5月3日の「憲法記念日」とはそういう性格を帯びた日であるということ自体は、覚えておいたほうがいい。
日本国憲法の内容についての様々な議論は、これまでも、かまびすしくされているし、これからも、色々場面でされていくであろう。しかしながら、私が今回提案したような議論がなされてきたということは、私自身は寡聞にしてほとんど知らない。
この議論も覚えておいてもいいかもしれない。
忘れていた。もう一つ、「偶然かもしれないが」があった。
偶然かもしれないが、日本国憲法が公布された11月3日は、昭和天皇が立太子された日、つまり、皇太子となり正式に次の天皇として名実共に立った日である。さらにいえば、明治天皇の誕生日でもある。果たして、偶然同じ日になっただけであろうか。
365の4乗分の1か・・・(365の4倍分の1、じゃないよな?) 。
さて、先進国の中で、一番、休日も多く、仕事をしている時間が短いといわれているのは、なんといってもイタリアであろう。
ところが、最近の日本の祝日の大安売り、さらには、振り替え休日、ハッピィマンディ等々によって、なんと、日本の休日の方が、イタリアよりも多くなっているという。カレンダー上では、日本は、世界でもっとも休んでいる国民になったといえるのかもしれない。
これだけ祝日が多くなった現在、一体、祝日とは何ぞや、ということをもう一度真剣に考えてもいい時期ではないだろうか。
具体的には、本当に、この日は日本国及び日本国民にとって、国民の祝日として、お祝いをするに値する日なのかどうか。逆に、本当なら、他に祝日にすべきであろう日というものはないのかどうか。祝日の意義を再確認するためにも、大切なことではないだろうか。
前者においては、私は、真っ先に、この「憲法記念日」をあげたい。この日が、憲法記念日なる国民の祝日として本当に相応しいかどうか、今一度、じっくりと考えてみてはいかがだろうか。
そもそも、憲法とは、その国にとっての背骨となるものである。
ご存知の通り、この日本国憲法は、日本がGHQに占領されていた時代に制定されたものである。ただ、「押し付け憲法」云々の議論はここではしない。たとえ、「押し付け」であろうとも、少なくとも、昭和21年11月3日に公布され、翌22年5月3日に施行されてからの60数年間、この憲法の下で、私たちの生活は営まれてきている。
この事実は、「押し付け憲法」であるということをもってして、改憲を唱える方たちにとっても、真摯に受け止めなければならないことである。
私が、この憲法が施行された日をもって「憲法記念日」なる祝日と崇(あが)めることに、今一度、慎重になったほうがいいと考えるのは、そういう理由からではない。
憲法の基本的な枠組みを作成したGHQが、なぜ、この5月3日という日を、その憲法の施行日としたのか。そのことに思いを馳せてみたい。
以下、心にもなく、「偶然かもしれないが」、という表現を何回か使う。
偶然かもしれないが、この5月3日は極東国際軍事裁判、いわゆる東京裁判の開廷日なのである。果たして、偶然同じ日になっただけであろうか。
では、もう二つ述べる。
偶然かもしれないが、その東京裁判において、いわゆる「A級戦犯」とされた当時の指導者達28名が、東京裁判にかけられるべく起訴されたのは、昭和天皇誕生日である4月29日である。果たして、偶然同じ日になっただけであろうか。
偶然かもしれないが、その裁判で絞首刑を言い渡された7名は、当時の皇太子である明仁親王、つまり現天皇陛下の誕生である12月23日に刑が執行された。果たして、偶然同じ日になっただけであろうか。年も迫ったこの時期に・・・。
これだけ、「偶然かもしれないが」が続くのは、数学的ににいえばどうなるのか。365の3乗分の1か・・・(365の3倍分の1、じゃないよな?「確率」は苦手だったんで・・)。
偶然のはずがない。
明らかに、これからの日本という国の背骨になる憲法の施行日を、東京裁判の開廷日にすることによって、東京裁判を正当化したいという意図の表れと考えるのが自然であろう。
東京裁判が実質的に始まったともいえる起訴がなされた日が、天皇誕生日であるということも、GHQ側の期待した東京裁判の役割の大きな象徴ともいえる絞首刑が執行された日が、明仁親王(皇太子)の誕生日であったということも、間違いなく、GHQの明確な意図といえる。
その東京裁判の開廷日に、これからの日本の背骨たる新憲法を施行させる。間違いなく、明確な意図がある。
否、もしかしたら、もっと安直な理由かもしれない。GHQの日本に対する「嫌がらせ」、「あてつけ」といったら、やや、斜に構えすぎになろうか。
少なくとも、5月3日の「憲法記念日」とはそういう性格を帯びた日であるということ自体は、覚えておいたほうがいい。
日本国憲法の内容についての様々な議論は、これまでも、かまびすしくされているし、これからも、色々場面でされていくであろう。しかしながら、私が今回提案したような議論がなされてきたということは、私自身は寡聞にしてほとんど知らない。
この議論も覚えておいてもいいかもしれない。
忘れていた。もう一つ、「偶然かもしれないが」があった。
偶然かもしれないが、日本国憲法が公布された11月3日は、昭和天皇が立太子された日、つまり、皇太子となり正式に次の天皇として名実共に立った日である。さらにいえば、明治天皇の誕生日でもある。果たして、偶然同じ日になっただけであろうか。
365の4乗分の1か・・・(365の4倍分の1、じゃないよな?) 。