山野ゆきよしメルマガ

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教育委員会のあり方(6月議会を終えて)

2003年06月25日 | Weblog
 今回の議会(15年6月議会)において、私は、自分の一般質問の後、再質問を求め、教育委員会から生涯教育の分野とスポーツ振興の分野とを切り離して、市長部局に移すように提案した。
 翌日の新聞にも少し載っていたが、誤解を招かないためにも、もう少し詳しく触れたい。

 質問原稿にもあるように、市町村教育委員会は既にすっかり形骸化してしまっている。これは、私個人の意見だけではなく、国の中央教育審議会からも指摘されていることでもある。誤解を恐れずに、分り易く言えば、今の制度のままであったなら、市町村教育委員会はなくなってしまってもほとんど全く問題はないとまで、指摘されている。

 教育委員会制度は、元々は戦後、戦前の反省を踏まえて、教育の政治からの中立性ということを謳って、独立した組織として作られた。その当時は、それはそれで意味があったのであろう。
 しかし、情報公開全盛時代の今となっては、1.教育委員会自らが積極的に情報提供するようになっている 2.今回私が取り上げたように、議会からのチェックが入る 3.マスコミも精力的に取材をする 4.何と言っても、民度全体があがってきている、等々の為、教育の著しい政治的偏向は、ほとんどあり得ない状況と言える(本当は、私はここで一つ言いたいことがあるが、長くなるので、ここでは触れない。慮っていただきたい)。 

 何よりも、先に金沢で行われた、「全国都市教育長協議会定期総会」において、「義務教育費の国庫補助負担金堅持」(分り易く言えば、三位一体改革に反対、とまでは言わないまでも、後ろ向きな提案といえる)の決議をするなど、教育委員会自体が、既に極めて政治的な行動を取ってきている。つまり、教育委員会の当初の設立意義は、相当部分、希薄になりつつあるといえる。

 子供たちの成育に影響の大きい、学校教育という分野は、「政治からの中立」という錦の御旗を掲げておくことは、絶対大切なことであるし、文部科学省や都道府県教委も、その権限は死んでも離さないであろう。とりあえずは、この分野は今後の課題として、教育委員会が持つ、その他の分野は全て市長部局に移して対応するほうが、迅速に、そして少しでも無駄を少なくすることができるものといえる。現に、本市において数年前、教育委員会の中にあった、文化行政は、全て市長部局の都市政策部の中に移され対応している。何の不都合があったとも聞いていない。また、その方が、自然なことであろう。

 同じように、公民館事業をはじめとした生涯教育やスポーツ事業が教育委員会の中にある必要は全くないといえる。それぞれが、学校行事との連携が必要な場合は、その都度、教育委員会と協議して、対応すればよいだけだ。行政改革の点からいっても、効果的といえる。
 そもそも、町会行事が市長部局の市民生活部担当で、公民館が教育委員会担当というのは、おかしい。特に、金沢市の場合、金沢方式といわれる、全国でも珍しい、地域主導、すなわち、町会等地域の組織が中心となった公民館運営方式であることを考えればなおさらである。

 そもそも論で言えば、教育委員会の政治からの中立といいながら、私の質問原稿の中にもあるように、教育委員会には予算編成権は全く無く、何かをやろうと思っても、全て市長部局の了解がないと出来ないというシステムになっている。最初から、市長部局の力を借りなければならないという、矛盾を背負った制度なのである。

 ということを、挙手を持って再質問を求め、確認した。教育長や教育委員長へ答弁を求めても可哀想なので、あえて、市長に尋ねた。
 市長も事情はご存知で、その通りではあるが、現在、様々なところで、議論がなされているところでもあるので、推移を見守っていきたいと答えられた。現在、全国市長会でも議論がなされているので、こう答えられた。

 真に教育のことを考えるということもしない、既得権堅持しか念頭にない方たちは猛反対するであろうし、議論の意味するところが理解できない一部関係者は、また、面倒くさいことを言い出した、としか取らないかもしれない。

 ただ、そうはいいながらも、長年、とってきた政策でもある。感情的な問題もあろう。関係部署と話し合っていきながら、少しずつでも望ましい方向に進んでいってほしい。
以上

 その後の進捗状況。
 平成16年度から、スポーツ事業が教育委員会から市長部局に移されることに成った。先ずは、この状態を見守っていきたい。