乳がん☆乳ガン☆乳癌☆日記

●05年5月乳癌左乳房全摘腋郭清手術●13年6月再発 失くしたモノより今を見つめ前に歩くナリ♪  再発しちゃいましたぁ~

2005 5/31(火)

2005年05月31日 23時38分38秒 | 2回目手術
◆ 手術日 ◆ 禁食
6:00 浣腸
7:00 常時服用の薬
8:00 胃薬、右手の甲に点滴の貼り薬、出が悪かったのでもう1度浣腸
8:45 母、来院
9:00 OP室へ(ER前で主治医と会った)
9:09 吸入による麻酔でおちる・・・粘ったんだけれど麻酔には勝てんかった
13:30頃病室に戻る。抗生物質、栄養剤の点滴が施される。すぐさま座薬を使用、効かない為、もう少し強めの座薬を追加で使用。
◎◎ 5/31(火)◎◎
いよいよ手術日だ!朝1番のスタートである。いつもどおりの手順を踏んだ後手術室に向かう。エレベータ前で主治医に遇う。ニコニコして頑張りましょうと言われた。この時の言葉が可笑しかった。「おっぱい全体にがんがあるから取っちゃいましょうね」この人柄がナイスです。お言葉、小生 一生忘れません(笑)この言葉で気楽になれるのだから不思議なものである。手術室にはいると紙製のキャップを被り、OP台に横たわる。台の下にはHOTマットが敷かれており暖かくフワフワして心地よかった~。 頭部の所には頭を動かさないようにするためのバンドがあった。手際よくリズミカルにさえ感じた作業を2人のオペ看の人がしている。頭頂部近辺には麻酔の医師がいて例の「コーッコー」っと音のするマスクを差し出し「はい、深く息を吸ってください」と言われた。きたーーっと思いながらまだ寝たくないなと息をちょっと吸って麻酔の甘さを堪能しただけに止め息を止めた。「吸ってください」とさらに言われたので仕方なく思いっきり深呼吸をした、覚えているのは此処まで。★☆★目が覚めたら激痛で痛い、痛いとしか言っていない。立て続けに2度座薬を入れてもらい何とか落ち着く。母の顔が見られた。創部の痛みと、ベットでの腰の痛みと闘いながらウトウトする。日中は寝ることに熱心だが夜が寝られずに困る。とにかく、動けないので我慢の一言で翌日を心待ちに頑張るしかないのであった。

2005 5/30(月)

2005年05月30日 23時32分17秒 | 2回目手術
    安息日~~~~~~~~~~~~~~
レントゲン・心電図
剃毛(上腕部から肩・背中にかけて)今度の範囲は広いね
麻酔科医師による説明
21:00 胃薬、安定剤、下剤   
体怠い・・・。今日は何の予定もない!(困)隣のベットの人が、本日手術で禁食。私の列の廊下側の人は、私と同じ日に入院してきた人。向かいの人は、腸の手術をしたかたで本日4日目の禁食中。右斜め前の人、は気管支がつらいみたいて夜中に頻繁に咳き込んでいた。列反対の窓側の人、はどのくらい入院しているのかわからない。年輩の方はお手洗いの関係もあってスペースが狭い感じ、簡易トイレにパイプ椅子おまけに点滴と移動機じゃ身動きとれないよね。みなさんとても頑張っていらっしゃる。飲食できないのに同室の人はお食事をしている・・・特に腸や臓器の人は何日も飲まず食わずの点滴のみだからいつから食べられるのかはっきりしていれば我慢も出来ようが、痛みと吐き気の中での闘病、やるせないお気持ち、心中察するにあまりあるものと。
以前入院時にいらした、個室の方は、今もいらっしゃりました。病室を見たのではなく、奥様をお見かけしてわかりました。あれから少しは良くなられたのかしら・・・。
同室のみなさんは、旦那様がよくお見舞いにこられてその都度ご自分のお気持ちを話されています。旦那様方は静かに奥様のお気持ちに耳を傾けるご様子に絆を感じざるおえません。(少し、うらやましく思えます。)

2005 5/24 (火)

2005年05月24日 23時29分31秒 | 2回目手術
アイソトープ(ラジオアイソトープ・RI)放射能マークがついていた
1回目  9:00 注射 (静脈注射)針が太ぉ~~~い ゲェッって感じ
2回目 14:00 撮影  顔部5分、胴部5分、脚部5分
癌の転移の有無や他に癌がないかを調べる検査です。1回目最初の注射に入っている放射能成分の反応を機械がマークして調査する検査です。この放射能成分は尿とともに排出されるので人体に残らないとのこと。
18:00 インシュリンをヒューマカート3/7(きめ打ち)から即効性のインシュリン(値打ち)に変更指示。ラインは、食前150 食後200
◎運動療法のため外出許可を再度リクエスト
5/24(火)
やっぱり初日は緊張するな。自分の鼾で何度起きたことか!周りの患者さんに迷惑かけるんじゃないかと、心配で心配で堪りません。本日は1人退院、2人入院、満室。
アイソトープ(RI)の検査を受けるが、これが何の検査だか理解していないんだな。調査!調査!
午前中に注射をして5時間後に撮影 それぞれの臓器各所と骨にお薬が行き届くまでの時間がかかるのでRIは時間がかかるのだ。外来でこれを受けるときは時間に要注意!だわ。
アイソトープ・RI検査で閉所・圧迫恐怖症の症状が出てしまいました。
「自由に動けない!狭い場所!」と思った瞬間、心臓が突然バクンと波打ち冷や汗がドット出てきた。そしてすぐさま、「しまった!別のことを考えなきゃ!」と何か他の物事を思い描こうとしたが時すでに遅し。試みは失敗に終わりあわてて先生を呼んだ(少し叫びぎみ)。感謝したのはこの後の対応です。「すみません、急に怖くなってしまって・・・・」先生と看護士の方が「いいんですよ。よくあることですから気にしないで横を向いていてくださいね。5分間我慢して下さい。」先生が少しだけ撮像板を上の位置にして、上部の拘束帯も緩めてくれた。ギリギリの範囲で考慮してもらい私も「信じて乗り切ろう」と思いました。何を大げさなとお思いになるかも知れませんが、患者にとってこの事はとても大切なのです。病院との信頼関係に繋がる事柄だからです。MRIと似たような形体の装置であるがMRIのように円筒ではなく二の字で横方向には何も無く上部から1メートル四方の撮像板をスライドさせる装置です。顔を横にしていても大丈夫と言っていただいたので遠慮なく顔を横にしたまま検査を受けました。目をつぶり必死で関係のないことを頭に浮かべて現実逃避をしている間にウトウトして機械が胸部を過ぎたあたりで目を開けました。しかしすっかりこの手の検査は苦手となりました。
見事にこの検査は『 出来ればしたくないリスト 』入りです。
しかし終了後、膝は、ガクガクで体はヨロヨロでしたが、心は、感謝の気持ちでいっぱいでした。病棟のシャワー室に入りリフレッシュ!(変な汗をたくさんかいたからね~~)
司馬遼太郎の「龍馬がゆく」を今回持参したが、これは「当たり」でした!1巻を読んでいる最中だが、面白い!こんな本に出会うと、もっと早く読んでおけばよかった!と思ってしまうが、よく考えるとこの時だからこそこの本を自分が受け入れられたのだと思った。しかし、つくづく購入して良かったと喜んでいる。(私のチョイスに間違いなし!と 自画自賛!)
5/26(木)
隣のベットの人が、退院。空き。私の列の廊下側の人は、私と同じ日に入院してきた人。
向かいの人、。右斜め前の人、歩行用酸素ボンベ使用。列反対の窓側の人、退院。そこに緊急で入院してきた人、腸が悪く腸閉塞の疑いあり。この部屋は入れ替わりが激しい!
少しマンウォッチングしてみることに。速効で退院した人にはビックリさせられた。その辺の定食屋でこれいくらと聞くような気軽さで人の病気を聞く人なんだよね 何とも言えない浅はかな物言いをする人だと思いました。気をつけよう!
しかし・・・・入院しても更に襲ってくる思い無き言葉の嵐 !!!まっ・・世の中苦いことが沢山あるわ(へこたれるもんか~~(叫))何糞、根性で乗り切ってやる!
5/28(土)
日曜日をどう過ごすか考え中。なんか、のんびりしようとは思っていないのが私らしいかも。入院生活の中で気づくことって沢山あると思うけれど、これもその一つだといえます。一つの部屋の中に6人の病人がいることって当たり前に考えていたけれど、なかなかこれは考えさせられることが多いようです。ことに、私の病室はナースセンターに一番近い大部屋であるため、中でも重い人がいるように見受けられます。重い病気の人を見て自分はまだ幸せだなんて安易に思う人になりたくありませんが、人生の様々なかたちが私を戒め、より深く考えるチャンスを与えくれていると思いました。
5/29(日)
午後1時、駅でS氏と待ち合わせ20分ほど電車に乗る。目的は、喫茶店だ。ここは、ジャズレコード(CD)を迫力あるスピーカーで聴かせていることで有名な店である。S氏が以前きたことがあり、後学のためにサウンドの立体感を私に味あわせたく連れてきてくれたのである。感謝、感謝。270万のシステムときいたが、なかなかいい景色を持ったスピーカーといって良い。音を楽しむことと、想像する楽しさを同時に叶えてくれる上、見た目に美しい。これは、楽器の美しさと似たところがあり、やはり見栄えが大切である。十分に堪能し、別所でWEの復刻版を聴き、焼鳥屋に向かう。S氏は焼き鳥6本とビールを頼み食している。さすがに辛くなり30分後には店を出る。せかせてしまったがま~ご容赦願おう。

2005 5/23(月)

2005年05月23日 23時23分56秒 | 2回目手術
    ◆本日より入院 10:00~
担当の看護士さんより今回の入院目的(現状の把握を私自身がしているのか)を確認。
手術準備の説明を受ける。
11:00~腹部エコーの検査を受ける(胆石発見!小さいのが5個あるって(驚))
11:30 血糖値測定
12:00 食事
13:00 体温計測
17:30 血糖値測定
18:00 夕食
20:45 血糖値測定
21:00 就寝
5/23(月)
とうとう入院日を迎えました。入ってしまうと気が楽になり落ち着きました。外にいると張らなくても良い「意地」をどうも「パンパンに」張っていたようだ。なんだか入院して「ホット」している。これで治療に集中できる環境になった!と実感。やっぱり外にいる間は、気ぜわしかったみたいです。担当看護士の方は未決定なのだそうだ。どんな人になるのかな?この部屋(6人)では本日は私を含め2人入院、空きベット1つ、1人退院
ちなみに私は窓側の左。ここが、これから私の居場所・・・・・・・となる。

2005 5/6(金)

2005年05月06日 23時05分52秒 | 告知後準備
◆20:00~主治医による説明を受ける。(1時間)
                  参加者 母 弟
■*質問したこと ( 回 答 )
*組織型(病名: 浸潤性乳管癌 )
*ステージ(stsge: Ⅱb )
*クラス(class: 5 )
*グレード(grade: 1)悪性度・顔つきのおとなしい癌細胞
*腫瘍の大きさ(Tumor: 4.9 )
*レベル(revel: Ⅱ )
*リンパを郭清するによる浮腫・神経障害等の後遺症の見込みは?腋窩リンパ節を郭清する事による後遺症、特に浮腫が怖いです。
(医師の見解  2~3年後の長期期間経過後10人に一人の割合で浮腫がおこるが、ハルステッド手術の場合と比較して浮腫の重度も低くなる。現段階ではそんなに過度の心配をするほどではないですが、手術による浮腫は起こりますので気をつけていきましょう。とのことでした。浮腫がおきた場合これを軽減する薬がある。)
*どの手術を行うか?(非定型的乳房切除術)腋窩リンパ節を郭清revel:Ⅱ
*手術後は痛むか。そのときはどのように痛みを止めるのでしょうか。
(医師の見解  術後すぐは座薬です。翌日からは錠剤の飲み薬で抗生物質と一緒に飲んでもらいますが、痛みに応じて其の都度対処しましょう。)
*傷はどこにどのようにできますか。
(医師の見解  リンパ節を郭清するということはメスで「えぐる」行為ですので腋の下がへこみます。乳房を切除し皮膚を縫合するため皮膚がつる(ツッパリ)ことによる痛みや違和感が起きます。術後はドレンを2本通します。私の場合は、糖尿病も併発していますので、血管の脆さ、傷口治癒状況が注意の対象となります。術後の血糖コントロールはもちろんのこと、血圧にも気をつけましょう。)
*術後特別な体操をしなければいけませんか。
(医師の見解  術後の運動注意や、マッサージ等はありますが、特別器具を使用したものはありません。日常に動かすことを心がけて無理なくするのが大切です。)
*日常生活に戻れるのはいつ頃ですか。
(医師の見解  退院されて2ヶ月後と考えて下さい。)     END

もう片方(右乳房)に癌が発生する確率は5%。グレード1だからこそこんなに癌が大きくなっていても大丈夫だったんだって。微妙・・。胸部のレントゲン写真や癌確定日(4/7(病理医が確定した段階で癌が確定されるそうです))を丁寧に説明してもらいました。
医師の対応に誠実さを感じました。この医師と共に癌と一緒にやっていこうと思います。回を重ねるごとに感じました。あとはなんとかこの局面を乗り切ろう!
「これからの調査における留意点」
「しかし、こうして多くのHPを拝見させていただいていくと、乳がんの指標は様々で更に最新指標の更新がなされていないものがほとんどでした。どこかで統一したものが出来ないモノなのだろうか・・・『 乳がん 』自体がまだまだ日常に浸透していない日本では、形として固まっていないと念頭に置く必要があるのが現状である。この事を踏まえた上で情報の収集に努めなければならない。担当医師の見解を先に知ることが出来れば更に的を射た調べが出来ると思う。」
以下参考資料(自己調査したものです)2005年5月
(アメリカ)
■レベル1のリンパ節・小胸筋の外側に位置します。この群のリンパ節は乳房から最も豊富なリンパ流が流れ込んでいます。
■レベル2のリンパ節・小胸筋の裏側に位置し、レベル1からのリンパ流と一部乳房からの直接のリンパ流が流入します。
■レベル3のリンパ節・小胸筋より内側で、鎖骨下窩に位置します。この群のリンパ節はレベル2からのリンパ流と、乳房上部の一部からのリンパ流が流入します。
■局所療法:限られた範囲においてガン細胞を切除、破壊、制御する方法で、外科療法(手術)と放射線療法があります。
■全身療法:全身にわたってガン細胞を破壊、制御する方法で、化学療法とホルモン療法があります。
■外科療法。乳房全体を切除する乳房切除術。ガンの部分だけを切除し乳房は残す乳房温存術。方法や利点、欠点、術後の外観
■腫瘍切除術(ランペクトミー):乳房の腫瘤を周囲の健常な乳腺組織の一部を付けて切除する方法です。
■乳房部分切除術(または乳腺区域切除術):乳房の腫瘍を含む区域の乳線組織を楔状または一回り大きく切除します。腫瘍直下の胸筋上の組織も切除します。
【【 乳房切除術 】】
■単純乳房切除術(または全乳腺切除術):乳房のみを切除します。アンダーバストを切開して乳腺だけをくり抜き切除し、乳頭を残す方法を皮下全乳腺切除術といいます。
■非定型的乳房切除術:乳房、乳頭、乳輪、わきの下のリンパ節の一部、皮膚と脂肪を切(胸筋温存乳房切除術)除します胸筋(大胸筋・小胸筋)は残します。オッケンクロスAuchincloss 術前の画像診断などでがんが乳房の中で広く広がってい(ペイティPatey(小筋は取る))ることが予想される場合選択されます。
■定型的乳房切除術(またはハルステッドの手術):乳房、乳頭、乳輪、胸筋、わきの下のリンパ節の全て、さらに脂肪と皮膚を切除します。“定型的”とは“最も一般的な”という意味で、この手術が長年にわたって一般的に行われていたことを示し、現在ではほとんど行われない。
■胸筋温存乳房切除術:全乳房とわきの下のリンパ節を切除しますが、胸筋(大胸筋・小胸筋)は残します。術前の画像診断などでがんが乳房の中で広く広がっていることが予想される方に選択されます。
◎乳頭腺管癌 浸潤性乳管癌の中の1型。
 癌は乳管から外に広がっている。乳癌の約20%を占め、10年生存率は86.0%である。
◎充実腺管癌 浸潤性乳管癌の中の1型。
 癌は乳管から外に広がっている。乳癌の約20%を占め、10年生存率は68.8%である。
◎硬癌。
 癌細胞がばらばらになって外に広がっている。乳癌の約40%を占め、10年生存率は67.2%と悪い。
◆病期Ⅰ・腫瘤が2cm以下で腋窩(わきの下)リンパ節に転移がないもの。早期乳癌に分類される。
◆病期II・腫瘤の大きさが5cmまでで、腋窩リンパ節のみ転移をみとめるものか、腫瘤の大きさは5cmを越えても腋窩リンパ節に転移のないもの。
◆病期III・腫瘤の大きさに関係なく、鎖骨下や胸骨傍リンパ節(わきの下のリンパ節より遠いリンパ節)に転移を認めるか、リンパ節転移に関係なく腫瘤が胸壁と一塊になっていたり、腫瘤が皮膚に顔を出しているもの。
◆病期IV ・腫瘤の大きさやリンパ節転移に関係なく、肺、肝、骨などに遠隔転移を認めるもの。
浸潤癌invasiv cancerに入るものは
浸潤性乳管癌として以下三種に分類。
・乳頭腺管癌papillotubular carcinoma (私はこのタイプ)
・充実腺管癌solid-tubular carcinoma
・硬癌scirrhous carcinoma
浸潤癌の内、特殊型は次のように分類。
・粘液癌 ・髄様癌・浸潤性小葉癌・腺様膿胞癌 ・扁平上皮癌 ・紡錘細胞癌
・アポクリン癌apocrine carcinoma・骨、軟骨化生を伴う癌・管状癌
・分泌癌secretory carcinoma ・皮脂分泌癌・カルチノイド腫瘍
まだまだ沢山あるけれど・・・・・・・わかった事は、本当に多種多様であることだ!