乳がん☆乳ガン☆乳癌☆日記

●05年5月乳癌左乳房全摘腋郭清手術●13年6月再発 失くしたモノより今を見つめ前に歩くナリ♪  再発しちゃいましたぁ~

悪化。。。眼底出血

2012年04月06日 07時04分42秒 | 乳がん6年生
二月二十九日(水曜)午後7時前後辺りに突然おきた眼底出血から一ヶ月経過
その間 数回の出血があり 視界は黒い斑模様になり 特に焦点部分が酷く 見えない状態 (私の感覚での判断だが それでも、この程度ならば少量出血)
四月三日(火曜)夜間遅く 大量出血 真っ赤な◆せろはん◆で目の前を覆われた
これは。。。 やばい 。。。(焦っている!)

三月二十六日の夜空

2012年03月27日 11時34分50秒 | 乳がん6年生
金星→月→土星
縦一列に観る事が出来た一夜でした(社長から教わる)
見える方の右目で しかと! 確認(笑)

この日は 精神科受診日
とても行きたくなくて。。。てんしょん。。。下げ下げ
まぁ・・・・予約時間を過ぎてしまいましたが、ちゃんと行けた♪
前回夜七時を回る時間まで検査した結果も併せての受診だからなのか??? はたまた「うつ」のなせる災か? こりゃー 鬱病も。。。健全だ(苦笑)

受診後 今度は帰宅したくなくて 夜空を見上げて ぼぉ~っと して 珈琲を飲みながら ぼぉ~っとして 十時半に家に (渋父宅に美和子さん宛ての葉書を書いていた。。。心が温かくなったよ。。。)

   腰が 痛いっす(泣)!

これから ゆっくりと・・

2012年03月02日 16時42分23秒 | 乳がん6年生
二月二十九日(水曜)に明方未明からの雪がまだ残るなか、婦人科の検診に出かけました。

昨年末前から突然不整出血がありました。
初めての異変は・・・・金曜日の夜遅くに。そのあまりの出血量に泣き出してしまいました。

近くの病院で診てもらおうとしたら、『すぐに乳癌で行っている病院の婦人科に行きなさい』と言ってもらい・・・・私の中の踏ん切りが付きました
そして
細胞診断結果『レベル4』(流石に目の前が真っ白になり、がくがくと怯えたわ)
すぐに組織検査・採血・腫瘍マーカーを
ところが・・・・何も見当たらなく、とりあえず様子見。
出たよ出た! 私の癌の特徴である 得意の『ぐれぇ~ぞぉ~ん』
   後は
一月末迄に 数回の出血(因みに、毎回の出血量は生理二日目~三日目あたりの多い量)

本日は『組織検査』&『腫瘍マーカー(採血)』
マーカー値に問題はなし♪
組織の検査結果は二週間以降に

帰り 気持ち悪くナリ 美和子さんの旦那様に助けを御かり致しました。微熱、腹痛あり。

医師の話しでは 乳癌の治療から体癌になる可能性があるので、定期的な検査を心掛ける事が大切だと。
特に
体癌は 『出血』というサインがありますが
子宮経癌は 顕著なる症状が出にくいので なおのこと定期的検査をするよう注意が必要

ガンバょ ガンバ!!

人 生

2012年03月01日 14時04分02秒 | 乳がん6年生
朝 母から 『たかしが死んだ』と言われた
私の別れた相手だ
今 漢字変換しようとしたら・・・どの漢字だか確信が持てない程・・・・忘れてしまう相手だ
そう・・・『孝司』だ
弟の職業と同業種なので、昨夜弟に連絡が入り 今朝方職場で母に伝えたそうだ
・・・・・・・・・・何故・・・私は ここに 記すのであろう・・・ただ ドコカに残して置きたいのだと思う

アヤツには
  生きて 自分自身の人生を歩み 幸せでいろよ!!
そういう想いで願っていた

まさか 私より先に逝くとは思いもよらぬ事であり・・・ 知らされた時は真っ白になった・・・ そしてすぐに私の父親と重なった

死の原因は
リンパ腺癌による肺水腫
発見時手遅れで余命宣告を受け入院したそうだ・・・享年46歳

あいつは 幸せだったのだろうか
涙がでる
どうしても 涙が出てしまう


葬儀関係には一切関わらない
葬儀に出る気持ちがあるくらいならば別れない 離婚なんてしたりしない 絶対に相手の手を離したりはしない どんな事もまるごとすべて、ありのままに共に生きる

私の別れとは・・・こういう事なのだ


 祈り 願う
もう苦しみからは解き放たれている事を


そして 問う
人生 幸せだったかい?

幸せだったなら 私は嬉しい
本当に 本当に 心から
昔も 今も そう想っている