乳がん☆乳ガン☆乳癌☆日記

●05年5月乳癌左乳房全摘腋郭清手術●13年6月再発 失くしたモノより今を見つめ前に歩くナリ♪  再発しちゃいましたぁ~

10/26(木)乳がん(外科・精神神経科(初))ドキドキ

2006年10月30日 00時06分11秒 | 乳がん2年生

10/26(木)
◎ 外科・ゾラディクス(乳癌用)16回目・臍上部、麻酔付き
◎ 精神神経科・ワイパックス(14回分)
今回の目的は『精神神経科』と『整形外科』用に紹介状を書いてもらうこと。両方とも同病院内にある。主治医のフクちゃんに言う時が・・一番緊張しました!「あの今日は先生にお願いがぁ~(うわずり声)」「なんですか?」「え~~・・」(言い出しにくい!どうしよう!)「どうしたの?」「実は精神科にかかりたいんですが・・・」「・・。」(一瞬フクちゃんの手が止まる)「うんわかりました今日診てくれるか(看護士さん)訊いてみて」「あと~この前話したガングリオンの件で、整形外科もいいですか?」「いいよ、手術後にできたんだよね(ガングリオン)」「はい 抗癌剤とホルモン治療に入ってからです」退出時に、フクちゃんに「ガンバって治療しましょうね」って声をかけてもらいました。嬉かったヨ~ン。思わず目頭が熱くなりました。こうした主治医の「何気ない一言」に患者は救われたりするんだな。そういえば、しこりが出来て不安を抱えて、触診をお願いしたときも、「大丈夫ですよ 任せてくださいね」私の目を真っ直ぐ視てそう言って励ましてくれた。先生が私達の病気や命、心を誠意をもって大切に扱ってくれていると知っています。私も、みんなも、頼りにしてますヨ!
精神神経科
日々のツライ副作用で私の「人格」は崩壊ぎみ。このままでも耐えることは出来るのかもしれないが糸が切れてしまったらどう結んでいいのか自分ではわからない悩んだ末に、行って来ました。当病院には「腫瘍神経科」なんて気のきいたものはありません。当然、重篤な患者さんも同じ待合室です。そこは別棟にあり、待合室さえも重い扉の中でした。狭い部屋の中に人がいっぱいで。胸が苦しくなるような閉塞感。何時になれば診てもらえるのかわからない不安感。落ち着けぇ~ 落ち着けぇ~ 呪文を唱えながら 待っていました (葛藤です)
【 診察していただいた本日の結果 】
現段階で言えることは、急を要する病気(精神の病)ではありませんから安心してください。でも、ゆっくりと悩みを話す時間を設けた方がいいので、通えることが出来るクリニックで長時間のカウンセリングをまずは受診した方がいいのではないか。(ここではご覧の通り時間がとれません・・・との事)私が、他のクリニックに行くこと、薬を飲むこととを、拒絶していると、先生は、 副作用の少ないお薬をお守りがわりに持ってはどうか?・・・・そう、提案してくれた。最初は薬を飲むことを拒んでいたのだがだんだんと「頼れるモノ」が欲しくなり、お薬をいただくことにした。
 
            『 本日いただいたお薬 』 ワイパックス(0.5mg)
しかし・・・・不安時に飲めと言われたが・・・・・どんなタイミングで飲んだ方がいいのかいまだに理解していない。どうしましょう。「フクちゃん先生にどう返事を書いたらいい?」 「?」 「本当は主治医の先生と話したいことなのでしょうけれど、先生もお時間がないからね」「ああ~!(ここで先生のおっしゃりたい事が理解できました !! )いいですよ 先生の診断のままで♪」「でしたら、長期の治療による強いストレスが起因と書いておきますね」「はい。」ほぉ~。返事の内容まで訊いてくれるのね。そっかぁ~ こういう細やかな心配りも必要なんだ。(感心)精神科・・・ずっと受診したくて。でも、なかなか言い出せなくて。相談も上手くできないから抱え込んでしまって。でも、電車を待っているとき線路に飛び込みたくなるなんて・・・・今までの自分じゃありえない。泣きながらホームに立たなければならないなんて・・・・ありえない。知らない人が隣に座ったりすると、いても立ってもいられない状態に・・・・。冷や汗が出て震えが来て、叫びたくなる・・・・。だから座っていられない。命の大切さを知っているのに、生きていたくないなんて思ってしまう自分が嫌で嫌でしかたがない。傲慢な言葉 態度 生き方 攻撃相手は自分なのか?それとも他の人なのか?(書きながら落ち込むんだ・・・)きっとここいらへんで『息をヌケ』・・・って事なのかもしれません。この日も、癌友達に逢いました。口径抗癌剤を再開(しかし5Fuから薬剤変更)した方は、再開後すぐに指先の色が第2関節まで色素沈着していて・・・・その様子に、どんなに薄めても抗癌剤の副作用は恐ろしいな・・・って思い、頑張っている彼女を愛おしく感じました。その彼女の笑顔に、私は励まされています。

ランチは他の癌友と。画像のラーメン(いちや)を食べて♪お茶して♪ 楽しかったデス。(気分転換できました)一緒に胸パットを物色して、なかなかナイスなモノをゲットできたのでよかったネ。彼女が「相談したり、弱音を言ってね。 そうしたらこっちも言いやすいから♪」・・・・優しくこう言ってくれた・・・・。またまた目頭が熱くなる・・・・・(うるうる・・・・) 今、思い出しても・・・・。大丈夫か?と、メールをくれたり。電話してねと電話番号を渡してくれたり。ありがとうございます♪そ~なんだよね。「人」という字は、互いに寄り添わなくては「人」にならないんだよね・・・・。だからこうしてここに書くことにしたのヨ。こうして、ここに書くことの大切さを、私は沢山の人に教えてもらったことを思い出したから。そうだ おいらは、一人で(横に)大きくなったのではありません。(?)みんな いろんな思いを抱えて頑張っているよね。その中で、私で役に立つことを・・・少しでも 孫の手がわりにでもなれば幸いと。気軽にカル~ク寄りかかってくださいね♪私も適とぉ~~に寄りかかりますんで♪今の心の状態を書くことが出来てよかったやっと一歩前に進めた感じがしてします。精神神経科の先生に 「何か他に言いたいことはありますか?」と訊ねられたので、ここは思ったことを言っておこうと「この病院にも、腫瘍精神科がほしいです」・・・と診察室で言われてもドウしようもないことを発言してきました。「そうだね。それはがんセンターとかにしかないよね」「ここもこんなにガン患者が多いのに・・・あってもいいですよね?」ごめんね先生・・・・こんな事を突然言われても困るよね。でも、必要なのだと先生も思ってほしいのである。

トマト

2006年10月24日 18時21分18秒 | ♪日常♪
とうとう・・・生トマト(固形四つ切り・八つ切り)が食べられるようになりました。この半の間、ほぼ毎日食べています。カラダが要求しているとはいえ・・・・生まれてこのかたウン十年!強固な意志のモト断固食べてこなかったのに・・・・ここで妥協して良いのだろうか?んっ?? 一生涯望んで食さない食べ物だと心に決めていたのにぃぃ~~~~っ!(どうしてなのか理由不明だが以前から断言していたのは確かである)しかも最近は少しだけ「おいしいぃぃ・・・」と 思う自分にうさんくさい感じさえ覚えるモンだ。(但し、美味しくないトマトも存在している)今じゃ塩で食べる事が出来んだよ? (スッゲェ~ッ スッゲェ~ッ)さらに・・・・さらにヨ!!あんなに『こんなモン食べられなぁぁ~い』っと言い切っていた食材である、ゴーヤまで食べ始めてしまったから・・・・!!・・・・なんだか自分が恐ろしい・・・・。(まりんさんの好物を「今」私も食べとるよぉ)これらの食材は何度も言うように『嫌い』なのに、まるで催眠術にかかってしまったかのようにムシャムシャっと食べちゃえる。ゴーヤも、薄~~くスライスして生でサラダとして食べてるよ・・!(ひぇぇ~っ)カラダが要求しているとはいえ・・ピーマンに続きトマトとゴーヤまで食べるとは!いまさら食べることが出来るようになるンなら・・・あぁ~ぁ・・・損した気分かもぉ・・。 昔に食べることができたのならば・・・・母と喧嘩し・・・家出をしなくてもすんだのにぃぃぃぃ(悲しみ)
ムクの高校生時代・・・・ピーマン事件編・・・・】
飛び出した娘 何故!食卓を追われたか・・今、解き明かされる!(んなぁ~んてネ)実は、私は高校生の時に友達の家に家出をしたことがある。(今思えばアホな話です) 夕食時に出されたおかずの『 ピーマン 』を食べなかったことがきっかけであった。 母は、私の偏食に激怒 私は・・・絶対にそんなモン食べたくないので断固拒絶!!!!!まぁ~たぶんあのとき・・・何らかの拍子に、食べきゃならないならこんな家いたくない・・・・ってなことを口にしたのでしょう(もう覚えとりません)。だったら出て行け ・・・・・といわれたんだと思う・・・・・・ 素直なわたくしは家を出ました。親の心配もなんのその・・・泣きながら家を出て友達の家まで歩いて行きました。ダイニングテーブルから直に出たので・・・お金なんて持って出るほど余裕はありません。そんなわけで、文無しなんですから歩くしかない・・・・親は親で、お金を持って出ていないと知っていますから、その辺にいるだろうとタカをくくっています。・・・・が ・・・・・しかし  意地っ張りの上、運動能力の高かった(体力の有り余っている)私は、何処までも走る事が出来ちゃうんですよね 今では信じられない距離を移動できました・・・。正真正銘の自力。 迷惑なのは、突然家にこられてしまった友人の方で・・・・涙でグチャグチャ、汗でビチョビチョのわけアリ友人を親に話して家にあげなくてはなりません・・・・・。断られては困るから私も必死でした。そうとうビックリしただろうしぃ~ ・・あやつも困っただろうな(あなたなら こんな友人いります)その後はお決まりのように友人母にお説教されて、「自分で自宅に電話しなさい 出来なければ帰りなさい」っと迫られ・・・・渋々電話をしました。あの時友人母がきっかけをくれたこと感謝しています。意地っ張りなんでその後数日ご厄介になっていましたが、まぁ・・・ちゃんと家に戻りました。足取り重く。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。 そ~とぉ~ 怒られることを覚悟して家に帰ると、そこには母がもちろん私は平謝りです。(どう考えても・・・モロモロ自分が悪いんですモン)でも・・・母は、私の想像とは違う反応 何故 そうです・・・叱られませんでした・・・・・。親もあきれる行動にでた娘・・・・。叱られるというよりも・・・・。「バカだね・・・女の子なのに夜、夜中に飛び出すなんて、何かあったらどうするの・・・・心配かけないで」・・・・と・・・・一言で終わりました。 後はいつも通りの会話・・・・。
    
何となく、もっとしつこく怒られるモノだと覚悟していましたから・・・・逆に自己反省をしてしまいました。こんなに親を心配させてはいけないんだと・・・・。(お母さん ごめんね。)どんな理由があるにせよ・・・ちゃんと筋を通し喧嘩してもいいから話す努力をしようとおもいました。自分なりの『ケジメ』を意識したのもこの頃のことでしょうか。後日、何であの時怒らなかったの?っと、母に訊いたところ、『もう心配で仕方なかったから もぉ呆れた子だよ・・・・・頑固だしね・・・』 そう話してくれました。 悪かった!・・・反省してます。でも・・今もあの頃とかわんないカモよ~ん この話は、ピーマンを食べることが出来なくてトラブルになったほんの一例です。まだまだありますピーマンにまつわる事件は、それはまたいつか・・・・?。ちなみに今でもセロリは無理!! 可能性はゼロっす!!!

ピンクリボン

2006年10月17日 21時58分46秒 | 乳がん2年生
Σ(・д・)。。。
病院帰り(本日は内科)に乗車した電車の車両は、マルゴト・・・ピンクリボンきゃんぺ~んでした。10両まるごとだから・・・・すごいインパクト!お菓子や飲料水関係等の時と違い、『乳癌』の為の活動だからウキウキ感はゼロ。しかし、いろんな人が乗車してくる度にビックリして乳がんの話題になっていました。・・・(これは正に狙い的中?) 高校生の女の子がドラマの看護士さんが乳がんになったと話していたな。 私としてはヤハリ車内を見渡しながら・・・検査を受けてね・・・・っっとモチロン願ったワン。
こんなにスゴイ企画ならば、できたら一緒に他のガンにも触れてほしいと思った。 (こう思った人結構いるよね?) もちろん・・・ピンクリボン(乳がん)のきゃんぺ~んだから無理かな・・・って思うけど、これだけ人目に触れるのだから、主催者の方に是非とも考えてみてもらいたい。一人でも多くに方が助かるように。
それと
乳がんは女性だけの問題ではないと! 男性にも乳がんはあるんだと書いて欲しいな。あれだけ多くのサラリーマンが視ているんだからぁ。 『 一言 』書いてあるだけで全然違うと思うよ! マンモでの検査を推奨したい主旨は理解できるけど・・・・ね・・・・。きゃんぺ~んを喜ばしい事だワン♪と・・・受け止めているもう一方で・・・・ 思わず・・・・!自分の姿勢が悪くなる自分がいました・・・・。(ニャンコの背ェェ)。胸が無い事を知られないように・・・・隠そうとしていましたよ! 理屈抜きに・・・・そんな自分の行動に・・・なんだか悲しくなちゃいました・・・・よ・・・・。
隠そうとした自分も 
隠さなければならない胸も 
どっちも悪くないのにぃ(そーだ そーだ)
一生懸命生きている私の証なんだから。
わかっちゃいるんだが、  ・・・わかっちゃいるのよ!それでも世間と向き合うときはビビリますなぁ~。(くそぉ~!!!! (お下品?))

気にしている自分も小脇に抱えて「胸を張って」歩ける自分を目指そうぉ!
てなわけで、乗車して「おぉぉ~(活動)がんばっちょるなぁ~!(嬉)」っと思った次の瞬間。「あちゃぁ~ のっちゃっちゃったよ・・・・(汗)」っと思ったのヨ~~ン。 今年のコピーもポスターも・・・個人的に好きになれない・・・・です。 胸の形と人数の増加をリンクさせたポスターに思いっきり引いてしまいました・・・。 なんだかリアルすぎ。 (あのちっちゃい出っ張りが) ・・・わたしにゃぁ・・・・キツイ。(すまんねぇ)

約束の地 沖縄へ!

2006年10月12日 14時00分36秒 | 乳がん2年生
10月初旬・・・・沖縄に行ってきました。
昨年(2005.3月)、手術前に来て・・・・来年も必ず来よう・・・・と誓った沖縄。
自分の・・・自分との約束をはたすために・・・・。宣言通り来たわよぉぉ~!遊びと仕事と趣味とを合わせた旅行ですがマジ楽しかったッス。昨年と決定的に違うのは『副作用』をともなっていること?胸が無いこと?うんにゃ違う!生きるすばらしさを得たこと それと一緒に、病気になったのだと・・・油断できないカラダになったのだと・・・思いました。(めんどくさい躰にチョットだけイライラ・・・)
ホットフラッシュに悩まされたのはいつものことなんだけれど、気候の変化に対応できないのはキツイです。目眩も通常の倍くらいやってきました。ついでに頭痛も。行きの飛行機では、いい気になって2階席を選択したために閉所恐怖症でパニックに・・・なんとか治まってくれたけれど・・・もう2階席はとっちゃダメってことを学習しました。フライト中は気圧の関係か術部側の筋というのか?毛細血管というのか?が浮き出てきて視たこともない模様が手の甲に!!(なんじゃぁこりゃぁ~~?)着陸後1日経過したら元に戻ったけれどね・・・・。(こわかったよぉ)飛行機に乗るときの注意書きも必要カモ!(特にリンパ郭清した方・放射線治療された方)暑かった・・・・東京出るときは16度なのに・・・・向こうは32度なんだもん・・・。日差しも違うし、日本ってすごぉ~~~い!って思ったわ。来月は札幌と那覇だから。(カラダがもつかな?)そんなわけで沖縄画像です。
↓・・・・那覇空港です。遠くに海が見えますか?まだ泳げるんですよ(普通に!)

↓・・・・シーサーさぁ~♪

平和記念資料館 みなさん沖縄に行ったら必ず行くベシ!沖縄県を知る事ってとっても大切なんだと思います。
↓・・・・・絶対に戦争をしてはならない。   

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ご心配をおかけいたしました。温かく見守ってくれてありがとうございました。やさしいお気持ちがとても・・・とても・・・嬉しかったです・・・。ブログを書くことも出来ないままに1ヶ月・・・。どう言葉にしていいのか・・・正直なところ全くわからず・・・漠然と・・・・そう・・・ただ漠然と・・・・書ける日が来るよ・・・って思っていました。それはきっっと『約束』が守られる事を確信していたからだと思います。私にとっても、日常の生活で関わりのある方達、ここでコメントを通して関わりのある方達 とても大切です。それは・・・みなさんと同じですワン!お友達が約束どおりに退院してきてくれました。厳しい現状の中であることにかわりはないのだけれど。。。。信じて歩く傍らを一緒に信じて歩きたいと思います。
尊重していただいたこの時間を大切に
      そして
感謝の気持ちを込めてお礼を申し上げます。

ここに来ている方
ご自分が・・・
ご自分の愛する人が・・・・
       「がん」という病に身をおかれている方
       「がん」にならないようにと手術をされた方
      全ての方に 今日も幸多きことを願っています

あなたが生きていてくれることこそが・・・・・宝なんだと
           どんな時も
あなたが幸せでいてくれることを心から望んでいます
                        ムクより