金持ちは「ヴェノナ文書」に注目する。
1930年代から1940年第にかけてアメリカ(ワシントンにあるソ連大使館など)とソ連の間で交わされた極秘電報がある。米国安全保障局(NSA)はすべて傍受していたが暗号解読できずにいた。第二次世界大戦時のソ連の暗号を戦後も極秘に解読作業が進められていた。スーパーコンピューターを駆使し暗号を解読すると、恐るべき事実が出てきた。そんな超極秘史料が1995年に公開された。
ヴェノナ文書によると1930年~1940年代のアメリカ政府の中には、次官クラスの高官も含め300人以上のソ連=コミンテルンのスパイ・工作員がいたという。その名前まではっきりと言及されていたのである。ヴェノナの公開は、アメリカに深い衝撃をもたらした。なかでも衝撃的なのはF・ルーズベルト政権の時の財務次官であったハリー・D・ホワイトという人物も、実はソ連のスパイということである。ホワイトという男はあの有名な『ハル・ノート』の起草者なのだ。
ソ連からホワイトへ日本がのめない要求を出せ、との指示があったという。当時の米グルー駐日大使も戦後、『ハル・ノート』が日米開戦のボタンを押した、と証言している。東京裁判のパール判事は、どんな国でも、例え軍隊のないモナコのような国だって、『ハル・ノート』を突きつけられれば、アメリカと戦うだろう、と語っている。
中西輝政氏(京都大学大学院教授)によるとこのヴェノナ文書は学会・マスコミもこぞって目にふたをしているという。歴史の評価を大きく変えるかもしれないこのヴェノナ文書を隠すのはなぜだろうか。まさかスパイ天国と言われている日本のマスコミや権力者の中にもコミンテルンのスパイがいるのではないかと疑ってしまう。
(参考文献〉
中西輝政 「日本人としてこれだけは知っておきたいこと」2006年PHP研究所
渡部昇一 この国の「儀」を思う -歴史の教訓 2006年 致知出版社
1930年代から1940年第にかけてアメリカ(ワシントンにあるソ連大使館など)とソ連の間で交わされた極秘電報がある。米国安全保障局(NSA)はすべて傍受していたが暗号解読できずにいた。第二次世界大戦時のソ連の暗号を戦後も極秘に解読作業が進められていた。スーパーコンピューターを駆使し暗号を解読すると、恐るべき事実が出てきた。そんな超極秘史料が1995年に公開された。
ヴェノナ文書によると1930年~1940年代のアメリカ政府の中には、次官クラスの高官も含め300人以上のソ連=コミンテルンのスパイ・工作員がいたという。その名前まではっきりと言及されていたのである。ヴェノナの公開は、アメリカに深い衝撃をもたらした。なかでも衝撃的なのはF・ルーズベルト政権の時の財務次官であったハリー・D・ホワイトという人物も、実はソ連のスパイということである。ホワイトという男はあの有名な『ハル・ノート』の起草者なのだ。
ソ連からホワイトへ日本がのめない要求を出せ、との指示があったという。当時の米グルー駐日大使も戦後、『ハル・ノート』が日米開戦のボタンを押した、と証言している。東京裁判のパール判事は、どんな国でも、例え軍隊のないモナコのような国だって、『ハル・ノート』を突きつけられれば、アメリカと戦うだろう、と語っている。
中西輝政氏(京都大学大学院教授)によるとこのヴェノナ文書は学会・マスコミもこぞって目にふたをしているという。歴史の評価を大きく変えるかもしれないこのヴェノナ文書を隠すのはなぜだろうか。まさかスパイ天国と言われている日本のマスコミや権力者の中にもコミンテルンのスパイがいるのではないかと疑ってしまう。
(参考文献〉
中西輝政 「日本人としてこれだけは知っておきたいこと」2006年PHP研究所
渡部昇一 この国の「儀」を思う -歴史の教訓 2006年 致知出版社