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毎日の読書 「教会の祈り」

私たちはキリストの体の一部 「聖務日課(読書)」より

聖クレメンス一世 愛の和合

2010-07-09 19:20:24 | 聖クレメンス一世
聖クレメンス一世(30年~101年) ローマ司教
『コリントの信徒への手紙』

愛する皆さん、愛がどれほど偉大で驚くべきものであるかご覧ください。その完全さは、説明し尽くせるものではありません。愛を心に抱いている人とみなされる者はだれでしょうか。神がそれにふさわしい者としてくださった者だけではないでしょうか。それゆえ人間的な党派心をなくして汚れのない者となり、愛を心に抱いている者とみなされるよい、神の憐れみに祈り求めましょう。・・・

愛する皆さん、愛によって諸々の罪のゆるしを得るために、愛の和合のうちに神の命令を実践するなら、何と幸いなことでしょう。・・・

私たちが、反対者〔である悪魔〕の罠にはまって行ったこと、また、犯してしまったすべてのことがらをゆるしていただけるよう、嘆願いたしましょう。そしてあの人たち、すなわち、騒動と分裂の首謀者となった人たちは、〔キリスト者たちの〕共通の希望を優先的に考えなければなりません。それは、畏れと愛を生活の原則としている人は、他の人を苦しみに陥れるよりも、自らが苦しむ方を望むものだからです。そしてこのような人々は、すばらしく、また、誠実に私たちに伝えられた一致和合が損なわれるよりも、自分自身が弾劾される方を優先させるのです。人間にとって、自分の心をかたくなにするよりも、過ちを告白する方が良いからです。

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使徒の弟子であるローマ教会の指導者であったクレメンスのコリントの信徒への手紙です。愛の和合の大切さを教えます。騒動と分裂の罠について、教えてくれます。愛の和合のうちに神の命令を実践する人は、キリスト者の一致和合が損なわれることよりも、自分自身が弾劾される方を優先させます。キリストの体に結ばれた肢体がバラバラになっては、神のみむねを行おうとしても、力を発揮できないのです。

聖クレメンス一世 全ての人に共通する利益を求めよ

2010-07-05 20:42:17 | 聖クレメンス一世
聖クレメンス一世(30年~101年) ローマ司教 殉教者
『コリントの信徒への手紙』

兄弟の皆さん、こう記されています。「聖なる人たちと堅く結びつきなさい。彼らと堅く結びつく人は聖なる者とされるだろう。」また、他の箇所ではこう言っています。「罪のない人とともにいれば、あなたは罪の無い者となり、選ばれた人とともにいれば、選ばれた者となり、また心の曲がった人とともにいれば、心の曲がった者となる」(詩篇18:26-27 七十人訳)ですから、罪のない人々、正しい人々と堅く結びつきましょう。その人たちこそ神によって選ばれた人たちだからです。なぜあなたたちの間に、争い、怒り、不和、分裂、闘争があるのでしょうか。私たちは唯一のキリスト、そしてわたしたちの上に注がれた唯一の恵みの霊、キリストにおける唯一の招命を持っているのではありませんか。なぜキリストの体の肢体を引き裂き、切り裂くのですか。なぜ自分自身の体に対して反乱を起こし、このような狂気に走るのですか。私たちが互いに体の肢体であることを忘れたのですか。

私たちの主イエス・キリストの次の言葉を思い起こしなさい。主はこう仰せになりました。「このような人は災いだ。私が選んだ者の一人を躓かせるよりは、生まれてこなかった方が良かった。私が選んだ者の一人を正しい道からそらせるよりも、石臼を体にかけられて海に投げ込まれる方がよかった」あなたたちの分裂は、多くの人を正しい道から引き離し、多くの人を落胆に、多くの人を疑惑に、私たち皆を悲しみに追いやりました。しかもあなたたちの騒ぎはまだ続いているのです。

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紀元30年頃生まれた一世紀の教父、クレメンスの手紙は、今の私たちにもそのまま当てはまる内容です。
引用聖書は、七十人訳の聖書が使われています。パウロ書簡とキリストの教えの伝承が語られています。これは、マタイやマルコという形で福音書になります。冒頭の引用はどの書簡なのか不明とのこと。現代には伝わっていない、聖書にならなかった何らかの書があったのでしょう。新約聖書成立前の一世紀の教父の手紙は、心引かれるものがあります。

聖クレメンス一世 コリントの信徒への手紙

2010-06-30 21:06:15 | 聖クレメンス一世
聖クレメンス一世(30年~101年頃) ローマ司教(88年~97年) 殉教者
『コリントの信徒への手紙』

さて、昔の人々の手本を離れて、私たちにごく近しい勇士たちのことに移り、私たちの時代の立派な手本を取り出してみましょう。最も偉大で正しい柱であった人達は、ねたみと恨みのゆえに迫害を受け、死に至るまで戦いました。
立派な使徒たちを目の前に思い浮かべてみましょう。まずペトロです。ペトロは不正なねたみのゆえに、一つや二つではなく多くの労苦を耐え忍び、こうして証を立てた上で、彼に値する栄光の場所へと去っていきました。パウロはねたみと争いのゆえに、忍耐の報いにいたる道を示しました。七度も鎖につながれ、追放され、石を投げつけられ、東方においても西方においても宣教者となって、自分の信仰の立派な栄誉を受けました。・・・

このように尊く生活した二人に、選ばれた人達の大群が加わりました。この人たちは、ねたみの故に受けた多くの責め苦と拷問を忍び、私たちの間で、最も美しい手本となったのです。婦人たちはねたみの故に迫害されました。彼女たちは、ダナイデスやディルカイ[の装いをさせられて]、恐るべき汚らわしい責め苦を受けた後、信仰の確固たる歩みを全うして、か弱い肉体を餅ながら、高貴な報いを受けました。ねたみは妻たちを夫から遠ざけ、私たちの父祖アダムが言った「これこそ私の骨の骨、私の肉の肉」という言葉を換えてしまいました。ねたみと争いは大きな町を崩壊させ、偉大な民族を根こそぎにしてしまいました。
・・・

キリストの流された血にじっと目を注いで、それが御父にとってどれほど値の高いものであったかを、よくわきまえましょう。実に、その血は私たちの救いのために流されて、全世界に悔い改めの恵みをもたらしたのです。

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今日、6月30日は、ローマ教会最初の殉教者たち の記念です。ローマ皇帝 ネロの迫害の時代(紀元64年ローマ焼失の後)の緊迫感が漂うクレメンスの手紙です。一世紀の教父、クレメンスはペトロ、パウロが宣教していた時代の人で、彼にとってペトロやパウロは昔の人々ではなく、ごく近しい人たちでした。迫害によってペトロ、パウロが殉教し、多くの信徒がそれに続いていました。「ねたみは妻たちを夫から遠ざけ・・・大きな町を崩壊させ、偉大な民族を根こそぎにしてしまいました」という言葉が何を意味するのか気になります。