聖ヨハネ・クリゾストモ(349-407年) コンスタンチノープル司教、教会博士
『コリントの信徒への第二の手紙講話』
怒りの気持ちを抑えて、パウロは再び愛についての話に戻ります。つまり、彼らは、パウロがコリントの人々を愛しているようにはパウロを愛しておらず、その愛から離れて他の有害な人々と交わっていることを叱り、忠告した後、声を和らげて、「私たちを受け入れてください※1」、すなわち、「私たちを愛してください」と言います。負担にならず、受ける者より与える者にも益をもたらす恵みを請い求めるのです。そして、「愛してください」とは言わず、人の情けに訴えかけるように、「受け入れてください」と言うのです。
彼は言います。「だれがあなたがたの心から私を追い払ったのですか。どうして私はあなたがたの内に窮屈でなければならないのでしょうか。」先にパウロは、「あなたがたは自分で心を狭くしています※2」と言いましたが、ここではもっとはっきりと、「私たちを受け入れてください」と言っています。こうして、パウロは再び彼らを引き寄せています。愛されている者にとって、自分を愛している者が自分の愛を熱心に求めることを知る事以上に、愛をかき立てるものはないからです。
パウロは言います。「前にも言ったように、あなたがたは私たちの心の中にいて、私たちは生死を共にしているのです※3。」これこそ大いなる愛です。軽んじられようと、彼らとともに死に、ともに生きようと願うのです。パウロは言います。「あなたがたはただ私の心の内にいるだけでなく、前に言ったようなあり方で私の心の内にいるのです。愛しているが苦難を避ける人もいるでしょう。しかし、私はそうではありません。」
「私は慰めに満たされています※4。」どのような慰めでしょうか。あなたがたからくる慰めです。あなたがたは態度を改め、行いによって私を慰めてくれました。愛されていないと非難すると同時に、限度を超えて非難して悲しませたのではないかと心配することは、愛する者にはありがちなことです。そのため、パウロは言います。「私は慰めに満たされており、喜びに満ちあふれています※5。」
つまり、「私は、あなたがたのゆえに大変悲しんでいました。しかし、あなたがたは十分に私にこたえてくれ、慰めてくれました。あなたがたは、私の悲しみの原因を取り去っただけでなく、満ちあふれるほどの喜びをもたらしてくれました。」と言っているのです。
年間第十七主日 読書
第一朗読 2コリント7:2-16
第二朗読 聖ヨハネ・クリゾストモ 『コリントの信徒への第二の手紙』
※1 2コリント7:2
わたしたちに心を開いてください。わたしたちはだれにも不義を行わず、だれをも破滅させず、だれからもだまし取ったりしませんでした。
※2 2コリント6:12
わたしたちはあなたがたを広い心で受け入れていますが、あなたがたは自分で心を狭くしています。※3 2コリント7:3
※3 2コリント73
※4,※5,※6 2コリント7:4
わたしはあなたがたに厚い信頼を寄せており、あなたがたについて大いに誇っています。わたしは慰めに満たされており、どんな苦難のうちにあっても喜びに満ちあふれています。
※5 2コリント7:4
わたしはあなたがたに厚い信頼を寄せており、あなたがたについて大いに誇っています。わたしは慰めに満たされており、どんな苦難のうちにあっても喜びに満ちあふれています。
ヨハネ・クリゾストモ
正教会、東方諸教会、カトリック教会などで聖人として崇敬されている。
父は軍人でキリスト者の母によって、一流の教育を受けることができました。洗礼は18歳。聖書と神学を学び、その後、荒れ野で隠遁生活(隠修士に学ぶ修道生活)を送ります。その後、アンティオケアに戻ると、司教から助祭に、そして司祭に叙階され、説教の才能に恵まれた彼は、説教活動に全霊を捧げました。
その後コンスタンチノープルの司教に任命されますが、波乱に満ちた生涯を送ります。
女子パウロ会 聖人カレンダー へ
http://www.pauline.or.jp/calendariosanti/gen_saint50.php?id=091301
ベネディクト十六世の「使徒の経験から見た、キリストと教会の関係の神秘」の連続講話で、ヨハネ・クリゾストモが紹介されています。
http://www.cbcj.catholic.jp/jpn/feature/benedict_xvi/bene_message246.htm
『コリントの信徒への第二の手紙講話』

彼は言います。「だれがあなたがたの心から私を追い払ったのですか。どうして私はあなたがたの内に窮屈でなければならないのでしょうか。」先にパウロは、「あなたがたは自分で心を狭くしています※2」と言いましたが、ここではもっとはっきりと、「私たちを受け入れてください」と言っています。こうして、パウロは再び彼らを引き寄せています。愛されている者にとって、自分を愛している者が自分の愛を熱心に求めることを知る事以上に、愛をかき立てるものはないからです。
パウロは言います。「前にも言ったように、あなたがたは私たちの心の中にいて、私たちは生死を共にしているのです※3。」これこそ大いなる愛です。軽んじられようと、彼らとともに死に、ともに生きようと願うのです。パウロは言います。「あなたがたはただ私の心の内にいるだけでなく、前に言ったようなあり方で私の心の内にいるのです。愛しているが苦難を避ける人もいるでしょう。しかし、私はそうではありません。」
「私は慰めに満たされています※4。」どのような慰めでしょうか。あなたがたからくる慰めです。あなたがたは態度を改め、行いによって私を慰めてくれました。愛されていないと非難すると同時に、限度を超えて非難して悲しませたのではないかと心配することは、愛する者にはありがちなことです。そのため、パウロは言います。「私は慰めに満たされており、喜びに満ちあふれています※5。」
つまり、「私は、あなたがたのゆえに大変悲しんでいました。しかし、あなたがたは十分に私にこたえてくれ、慰めてくれました。あなたがたは、私の悲しみの原因を取り去っただけでなく、満ちあふれるほどの喜びをもたらしてくれました。」と言っているのです。
年間第十七主日 読書
第一朗読 2コリント7:2-16
第二朗読 聖ヨハネ・クリゾストモ 『コリントの信徒への第二の手紙』
※1 2コリント7:2
わたしたちに心を開いてください。わたしたちはだれにも不義を行わず、だれをも破滅させず、だれからもだまし取ったりしませんでした。
※2 2コリント6:12
わたしたちはあなたがたを広い心で受け入れていますが、あなたがたは自分で心を狭くしています。※3 2コリント7:3
※3 2コリント73
※4,※5,※6 2コリント7:4
わたしはあなたがたに厚い信頼を寄せており、あなたがたについて大いに誇っています。わたしは慰めに満たされており、どんな苦難のうちにあっても喜びに満ちあふれています。
※5 2コリント7:4
わたしはあなたがたに厚い信頼を寄せており、あなたがたについて大いに誇っています。わたしは慰めに満たされており、どんな苦難のうちにあっても喜びに満ちあふれています。
ヨハネ・クリゾストモ
正教会、東方諸教会、カトリック教会などで聖人として崇敬されている。
父は軍人でキリスト者の母によって、一流の教育を受けることができました。洗礼は18歳。聖書と神学を学び、その後、荒れ野で隠遁生活(隠修士に学ぶ修道生活)を送ります。その後、アンティオケアに戻ると、司教から助祭に、そして司祭に叙階され、説教の才能に恵まれた彼は、説教活動に全霊を捧げました。
その後コンスタンチノープルの司教に任命されますが、波乱に満ちた生涯を送ります。
女子パウロ会 聖人カレンダー へ
http://www.pauline.or.jp/calendariosanti/gen_saint50.php?id=091301
ベネディクト十六世の「使徒の経験から見た、キリストと教会の関係の神秘」の連続講話で、ヨハネ・クリゾストモが紹介されています。
http://www.cbcj.catholic.jp/jpn/feature/benedict_xvi/bene_message246.htm