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毎日の読書 「教会の祈り」

私たちはキリストの体の一部 「聖務日課(読書)」より

聖ヨハネ・クリゾストモ どんな困難のうちにあっても、喜びに満ちあふれている

2013-07-28 00:00:00 | 聖ヨハネ・クリゾストモ
聖ヨハネ・クリゾストモ(349-407年) コンスタンチノープル司教、教会博士
『コリントの信徒への第二の手紙講話』
 怒りの気持ちを抑えて、パウロは再び愛についての話に戻ります。つまり、彼らは、パウロがコリントの人々を愛しているようにはパウロを愛しておらず、その愛から離れて他の有害な人々と交わっていることを叱り、忠告した後、声を和らげて、「私たちを受け入れてください※1」、すなわち、「私たちを愛してください」と言います。負担にならず、受ける者より与える者にも益をもたらす恵みを請い求めるのです。そして、「愛してください」とは言わず、人の情けに訴えかけるように、「受け入れてください」と言うのです。

 彼は言います。「だれがあなたがたの心から私を追い払ったのですか。どうして私はあなたがたの内に窮屈でなければならないのでしょうか。」先にパウロは、「あなたがたは自分で心を狭くしています※2」と言いましたが、ここではもっとはっきりと、「私たちを受け入れてください」と言っています。こうして、パウロは再び彼らを引き寄せています。愛されている者にとって、自分を愛している者が自分の愛を熱心に求めることを知る事以上に、愛をかき立てるものはないからです。

 パウロは言います。「前にも言ったように、あなたがたは私たちの心の中にいて、私たちは生死を共にしているのです※3。」これこそ大いなる愛です。軽んじられようと、彼らとともに死に、ともに生きようと願うのです。パウロは言います。「あなたがたはただ私の心の内にいるだけでなく、前に言ったようなあり方で私の心の内にいるのです。愛しているが苦難を避ける人もいるでしょう。しかし、私はそうではありません。」

 「私は慰めに満たされています※4。」どのような慰めでしょうか。あなたがたからくる慰めです。あなたがたは態度を改め、行いによって私を慰めてくれました。愛されていないと非難すると同時に、限度を超えて非難して悲しませたのではないかと心配することは、愛する者にはありがちなことです。そのため、パウロは言います。「私は慰めに満たされており、喜びに満ちあふれています※5。」

 つまり、「私は、あなたがたのゆえに大変悲しんでいました。しかし、あなたがたは十分に私にこたえてくれ、慰めてくれました。あなたがたは、私の悲しみの原因を取り去っただけでなく、満ちあふれるほどの喜びをもたらしてくれました。」と言っているのです。



年間第十七主日 読書
第一朗読 2コリント7:2-16
第二朗読 聖ヨハネ・クリゾストモ 『コリントの信徒への第二の手紙』

※1 2コリント7:2
わたしたちに心を開いてください。わたしたちはだれにも不義を行わず、だれをも破滅させず、だれからもだまし取ったりしませんでした。

※2 2コリント6:12
わたしたちはあなたがたを広い心で受け入れていますが、あなたがたは自分で心を狭くしています。※3 2コリント7:3

※3 2コリント73

※4,※5,※6 2コリント7:4
わたしはあなたがたに厚い信頼を寄せており、あなたがたについて大いに誇っています。わたしは慰めに満たされており、どんな苦難のうちにあっても喜びに満ちあふれています。

※5 2コリント7:4
わたしはあなたがたに厚い信頼を寄せており、あなたがたについて大いに誇っています。わたしは慰めに満たされており、どんな苦難のうちにあっても喜びに満ちあふれています。


ヨハネ・クリゾストモ
 正教会、東方諸教会、カトリック教会などで聖人として崇敬されている。
父は軍人でキリスト者の母によって、一流の教育を受けることができました。洗礼は18歳。聖書と神学を学び、その後、荒れ野で隠遁生活(隠修士に学ぶ修道生活)を送ります。その後、アンティオケアに戻ると、司教から助祭に、そして司祭に叙階され、説教の才能に恵まれた彼は、説教活動に全霊を捧げました。
その後コンスタンチノープルの司教に任命されますが、波乱に満ちた生涯を送ります。

女子パウロ会 聖人カレンダー へ
http://www.pauline.or.jp/calendariosanti/gen_saint50.php?id=091301

ベネディクト十六世の「使徒の経験から見た、キリストと教会の関係の神秘」の連続講話で、ヨハネ・クリゾストモが紹介されています。
http://www.cbcj.catholic.jp/jpn/feature/benedict_xvi/bene_message246.htm

聖ヨハネ・クリゾストモ 私たちは心を広いものにした

2013-07-27 00:00:00 | 聖ヨハネ・クリゾストモ
聖ヨハネ・クリゾストモ(349-407年) コンスタンチノープル司教、教会博士
『コリントの信徒への第二の手紙講話』
 「私たちは心を広いものにしました。※1」実に熱がものを膨張させるように、愛は心を広いものにします。愛は燃えている熱い徳だからです。パウロの口を開かせ、その心を広くしたのも愛です。パウロは、「ただ口で愛を語るだけでなく、心もともに高鳴る。したがって、腹蔵無く、言葉を尽くし、心を尽くして語る」と言うのです。まさに、パウロの心より広い心はありません。あたかも恋人を愛するかのように、全ての信者を熱心に愛していました。その厚情は分割されることも弱まることもなく、一人一人に対して完全無比のものでした。パウロの心は全世界の未信者をも包含していたのですから、信者にこのような愛を注いでいたことに、どうして驚くことがありましょう。

 ですから、「私はあなた方を愛する」とは言わず、誇張した表現で言います。「私たちは口を開き、心を広いものにしました。」その心のうちにあなたたち皆が入っています。ただそうであるだけでなく、私たちの心の内に、あなたたちのためにきわめて広い場所があります。実に、愛されているものは、自由自在に愛するものの心の内に歩き回るのです。パウロは言います。「あなたがたは私の内で窮屈ではありません。むしろ、あなた方は自分で心を狭くしています※2。」熱烈に愛している者がするように、この非難はごくつつましやかになされていることに注目してください。パウロは「あなたたちは、私を愛していません」とは言わず、「私と同じほど私を愛していません」と言うのです。厳しく責めたくないからです。

 パウロの手紙のそれぞれから証言を集めさえすれば、彼がどれほど信者に対する愛に燃えていたか、いたるところに見いだすでしょう。たとえば、ローマの人々にこう述べています。「あなたがたにぜひ会いたいのです※3。」「何回もそちらに行こうと企てました※4。」「何とかしていつかはあなた方のところに行ける機会があるように※5。」ガラテヤの人々にこう述べています。「わたしの子供達、私は、もう一度あなたがたを産もうと苦しんでいます※
6。」さらにエフェソの人々には、「こういう訳で、私たちはあなた方のために跪いて祈ります※7」と言っています。フィリピの人々には、「あなた方以外のだれが、私の希望、喜び、そして誇るべき冠でしょうか※8」と述べています。捕らわれの身にあるときにも、彼らを心に留めているとも言っているのです※9。


年間第十六土曜日 読書
第一朗読 2コリント6:1-7:1
第二朗読 ヨハネ・クリゾストモ 『コリントの信徒への第二の手紙講話』

※1 2コリント6:11 
コリントの人たち、わたしたちはあなたがたに率直に語り、心を広く開きました。

※2 2コリント6:12
わたしたちはあなたがたを広い心で受け入れていますが、あなたがたは自分で心を狭くしています。

※3 ローマ1:11

※4 ローマ1:13

※5 ローマ1:10

※6 ガラテヤ4:19

※7 エフェソ3:14

※8 1テサロニケ2:19

※9 フィリピ1:7参照



ヨハネ・クリゾストモ
 正教会、東方諸教会、カトリック教会などで聖人として崇敬されている。
父は軍人でキリスト者の母によって、一流の教育を受けることができました。洗礼は18歳。聖書と神学を学び、その後、荒れ野で隠遁生活(隠修士に学ぶ修道生活)を送ります。その後、アンティオケアに戻ると、司教から助祭に、そして司祭に叙階され、説教の才能に恵まれた彼は、説教活動に全霊を捧げました。
その後コンスタンチノープルの司教に任命されますが、波乱に満ちた生涯を送ります。

女子パウロ会 聖人カレンダー へ
http://www.pauline.or.jp/calendariosanti/gen_saint50.php?id=091301

ベネディクト十六世の「使徒の経験から見た、キリストと教会の関係の神秘」の連続講話で、ヨハネ・クリゾストモが紹介されています。
http://www.cbcj.catholic.jp/jpn/feature/benedict_xvi/bene_message246.htm

聖ヨハネ・クリゾストモ キリストの受難をともにする者

2013-07-25 00:00:00 | 聖ヨハネ・クリゾストモ
聖ヨハネ・クリゾストモ(349-407年) コンスタンチノープル司教、教会博士
『マタイ福音書講話』
 「私どもの一人をあなたの右に、もう一人を左に座らせてください※1」といって、ゼベダイの子らはイエスに強く求めます。さて、イエスはどうなさったでしょう。イエスは、彼らが請い求めているのは霊的なことではなく、また、請い求めていることがどのようなことであるかを彼らが分かっていたら、大胆にもそのようなことをしなかったであろうということを示そうとして言われます。「あなたがたは、自分が何を願っているかわかっていない※2」 それがいかに偉大なこと、いかに素晴らしいことであり、天上の霊達をも凌駕するものであることがわかっていないのです。主は続けて言われます。「この私が飲む杯を飲み、この私が受ける洗礼を受けることができるか※3」 イエスはこう言われるのです。「あなた方は栄誉と栄冠について私に語っているが、私は苦闘と汗について語っている。今は誉れを受ける時ではなく、私の栄光が現される時でもない。現在は、虐殺、戦い、危険の時である。」

 イエスが質問の方法で、この二人の弟子をどのようにして激励し、奮い立たせておられるかよく見て下さい。「あなたがたは虐殺に耐えることができるか。あなたがたは自分の血を流すことができるか」とは言われません。では、どのように言われているのでしょう。「杯を飲むことができるか」と言われ、さらに彼らの心を引きつけて、「この私が飲む杯を」と言い添えられます。ご自分と苦難をともにするという考えによって、彼らの熱意を奮い立たせるためです。また、その苦難を洗礼と呼んでおられます。こうして主は、その苦難が全世界の大いなる清めとなることを示されるのです。二人の弟子は、「できます」と答えます。彼らは自分で言っていることが分からず、ただ請い求めていることが与えられるのを期待して、熱意から直ちにこのように約束したのです。

 イエスは何と言われたでしょうか。「たしかにあなた方は私が飲む杯を飲み、私が受ける洗礼を受けることになる※4」と言われます。イエスは、この言葉によって、大いなる賜物を受けることを二人の弟子に預言されました。すなわち、「あなた方は殉教の恵みを受けることになっている。私が堪え忍ぶ苦難をあなたがたも耐え忍ぶことになる。殺されて生を終えるであろう。この点であなたがたは私と一緒になるので。『しかし、私の右や左にだれが座るかは、私の決めることではない。それは私の父によって定められた人々に許されるのだ※5。』」イエスは、二人の弟子の魂を向上させ、考えをいっそう崇高なものとし、悲しみに負けないものにした後、彼らの嘆願を正されます。

 「すると、他の十人の者は、この二人の兄弟のことで腹を立てた※6」弟子達が皆、どれほど不完全な者であったか、よくわかったでしょう。他の十人の者に先んじようとした二人の弟子もそうであったし、彼らをねたんだ他の十人もそうでした。しかし、すでに述べたように、この後の彼らを見て下さい。そうすれば、彼らがこのような欲望からことごとく解放されるようになったことが分かるでしょう。


7月25日 聖ヤコブ使徒 祝日
 ベトサイダに生まれたヤコブは、ゼベダイの子で使徒ヨハネの兄弟である。彼はキリストが大切な奇跡を行う場に居合わせた。42年頃、ヘロデ王によって殺害された。スペインのコンポステラには聖ヤコブ(サンチャゴ)にささげられた立派な教会堂があり、有名な巡礼地となっている。


聖ヨハネ・クリゾストモ司教
 正教会、東方諸教会、カトリック教会などで聖人として崇敬されている。
父は軍人でキリスト者の母によって、一流の教育を受けることができました。洗礼は18歳。聖書と神学を学び、その後、荒れ野で隠遁生活(隠修士に学ぶ修道生活)を送ります。その後、アンティオケアに戻ると、司教から助祭に、そして司祭に叙階され、説教の才能に恵まれた彼は、説教活動に全霊を捧げました。
その後コンスタンチノープルの司教に任命されますが、波乱に満ちた生涯を送ります。

女子パウロ会 聖人カレンダー へ
http://www.pauline.or.jp/calendariosanti/gen_saint50.php?id=091301

ベネディクト十六世の「使徒の経験から見た、キリストと教会の関係の神秘」の連続講話で、ヨハネ・クリゾストモが紹介されています。
http://www.cbcj.catholic.jp/jpn/feature/benedict_xvi/bene_message246.htm

聖ヨハネ・クリゾストモ 主よ、どなたをお選びになったかをお示しください

2013-05-14 00:00:00 | 聖ヨハネ・クリゾストモ
聖ヨハネ・クリゾストモ(349-407) コンスタンチノープルの司教
『使徒言行禄講話』
 「そのころ、ペトロは兄弟たちの中に立って言った※1」 ペトロは熱心であったから、また、キリストによって羊の群れが彼にゆだねられたから、さらに、使徒団の第一人者であったから、常に彼が最初に発言するのです。「兄弟たち、私たちの中から一人を選ばなければなりません」と言います。ペトロは、選挙を信者全体にゆだねます。そうすれば、選ばれた人が皆に尊敬されるようになりますし、また、ペトロ自身も[使徒団に加えられる人]以外の人々に対して敵意をもっているという疑いを免れます。事実、このような疑いは常に大きな障害をもたらしがちです。

 一体どういうことでしょう。ペトロは、自分でその人を任命することができなかったのでしょうか。もちろんできました。しかし、偏愛にとらわれていないことを示すために、ペトロはそうしなかったのです。もう一つの理由は、まだ聖霊を受けていなかったということです。聖書は言います。「そこで人々は、バルサバと呼ばれ、ユストともいうヨセフと、マチアの二人を立てた。※2」ペトロ自身が彼ら二人を立てたのではなく、皆が彼らの二人を立てたのです。しかし、意見を提示したのはペトロです。彼はそうしながら、この意見は自分自身のものではなく、久しい以前からの預言に基づくものであることを明らかにしました。ですから、ペトロは師としてではなく、解釈者としてふるまったのです。

 そこで「一緒にいた者の中から・・・」とペトロは言っています※3。その人々が目撃者であった人でなければならないということがペトロの意志であるということに注目しなさい。聖霊が後に来られることになっていたにもかかわらず、ペトロはこの点を重視していたのです。

 「主イエスが私たちと共に生活されていた間、いつも一緒にいた者の中から・・・」とペトロは言います。ペトロは、自分たちが単にイエスの弟子であったのではなく、イエスと生活を共にしたことを示そうとしているのです。確かに、初めから多くの人がイエスにつき従っていました。「ヨハネの言葉を聞いて、イエスに従った二人の内の一人※4」という聖書の言葉からそれは明らかです。



5月14日 聖マチア使徒 祝日
 イエスの弟子であった12使徒の一人。イエスを裏切ったイスカリオテのユダのかわりに選ばれた。マチアは宣教の地、エチオピアで殉教し、その遺骨は、4世紀にローマに運ばれ、後にドイツのトリーア司教座聖堂に移され、現在もその遺骨が保存されています。

女子パウロ会 聖人カレンダー 聖マチア使徒 へ
http://www.pauline.or.jp/calendariosanti/gen_saint50.php?id=051401

※1 使徒言行禄1:15
そのころ、ペトロは兄弟たちの中に立って言った。百二十人ほどの人々が一つになっていた。

※2 使徒言行禄1:23
そこで人々は、バルサバと呼ばれ、ユストともいうヨセフと、マティアの二人を立てて、次のように祈った。「すべての人の心をご存じである主よ、この二人のうちのどちらをお選びになったかを、お示しください。

※3 使徒言行録1:21-22
そこで、主イエスがわたしたちと共に生活されていた間、つまり、ヨハネの洗礼のときから始まって、わたしたちを離れて天に上げられた日まで、いつも一緒にいた者の中からだれか一人が、わたしたちに加わって、主の復活の証人になるべきです。

※4 ヨハネ1:40
ヨハネの言葉を聞いて、イエスに従った二人のうちの一人は、シモン・ペトロの兄弟アンデレであった。



聖ヨハネ・クリゾストモ
349年頃、アンチオケに生まれる。父は軍人で、キリスト者の母によって、一流の教育を受けることができた。洗礼は18歳。聖書と神学を学び、その後、荒れ野で隠遁生活(隠修士に学ぶ修道生活)を送る。その後、アンティオケアに戻ると、司教から助祭に、そして司祭に叙階され、説教の才能に恵まれた彼は、説教活動に全霊を捧げた。397年にコンスタンチノープルの司教に選ばれ、聖職者と信者の生活を改める優れた牧者として活躍した。また、皇帝一族やその他の反対者の憎しみをかい、2度に渡って追放された。追放中の虐待の結果、407年9月14日にトルコのポントス州のコマネ近郊で帰天。キリスト教を解説し、キリスト者としての正しい生活を教えるために多くの説教を行い、著作を著した。このことから、「クリゾストモ」すなわち「金の口」と呼ばれている。
正教会、東方諸教会、カトリック教会などで聖人として崇敬されている。

女子パウロ会 聖人カレンダー へ
http://www.pauline.or.jp/calendariosanti/gen_saint50.php?id=091301

ベネディクト十六世の「使徒の経験から見た、キリストと教会の関係の神秘」の連続講話で、ヨハネ・クリゾストモが紹介されています。
http://www.cbcj.catholic.jp/jpn/feature/benedict_xvi/bene_message246.htm

聖ヨハネ・クリゾストモ キリストの血の力

2013-03-29 00:05:56 | 聖ヨハネ・クリゾストモ
聖ヨハネ・クリゾストモ司教(349-407) コンスタンチノープルの司教
『教話』
キリストの血の力を知りたいのですか。では、その前表(ぜんぴょう)であった[エジプトでの]いにしえの出来事に戻り、旧約聖書に書かれたことを語りましょう。

モーセは、「一歳の子羊を屠り、その血を戸口に塗りつけなさい※1」と言っています。モーセよ、あなたは何を言おうとしているのですか。子羊の血が、理性的な人間を救うことができると言うのですか。彼は言うでしょう。「しかり。しかし、血そのもののゆえにではなく、主の血の前表であることのゆえに救いうるのです。」今や、戸口に前表の血が塗られているのではなく、キリストが住まわれる神殿の戸口である信者の口に真理である方の血がついているのを見て、当然、悪魔は退くのではないでしょうか。

キリストは血が持っている他の一つの効力をも知りたいのですか。では、どこを源として流れ出たのか、どの源泉から来たのか見てご覧なさい。初めて十字架から流れました。主の脇腹がその源でした。すでにキリストは息を引き取られましたが、その体がまだ十字架上にかかっていたとき、一人の兵士が近づき、槍で脇腹を突き刺すと、血と水が流れ出たと聖書は語っています※2。水は洗礼の象徴であり、血は[聖体の]秘跡の象徴です。この兵士は脇腹を刺し開き、聖なる神殿の壁に穴を開けました。そこで私は無比の財宝を見いだし、輝かしい富を得ました。同じ事が子羊に生じたのです。ユダヤ人は羊を屠(ほふ)りましたが、私は犠牲の実りを知るようになります。

脇腹から水と血が流れ出たのです。皆さん、十分に考慮もせずに、この偉大な秘義に秘められた意味を見過ごしてはなりません。その秘義に秘められたことを今から説明したいのです。すでに言ったとおり、この水と血は洗礼と[聖体の]秘跡の象徴です。この二つから教会は生まれたのです。再生の水洗いと聖霊による刷新とによって、すなわち、主の脇腹からくる洗礼によって、そして[聖体の]秘跡によって教会は生まれたのです。ですから、アダムの脇腹から取られたものでエバを形造られたように、キリストは脇腹から流れ出たもので教会を形造られたのです。

このためパウロは「私たちは、キリストの肉から、その骨からできたものである※3」と言って、私たちが主の脇腹からのものであることを暗示しているのです。実に、神がアダムの脇腹から取ってもので女を造られたように、キリストは私たちのために、その脇腹から血と水を与えて下さり、教会を形成されたのです。かつてアダムが眠っている間に、忘我の状態にあるうちに、神がその脇腹のあばら骨を取られたように※4、今キリストの死後、水と血を与えてくださいました。



聖金曜日 読書
第一朗読 ヘブライ 9:11-28
第二朗読 聖ヨハネ・クリゾストモ司教の教話

※1 出エジプト12:5-7
その小羊は、傷のない一歳の雄でなければならない。用意するのは羊でも山羊でもよい。
それは、この月の十四日まで取り分けておき、イスラエルの共同体の会衆が皆で夕暮れにそれを屠り、その血を取って、小羊を食べる家の入り口の二本の柱と鴨居に塗る。

※2 ヨハネ19:32-34参照
そこで、兵士たちが来て、イエスと一緒に十字架につけられた最初の男と、もう一人の男との足を折った。
イエスのところに来てみると、既に死んでおられたので、その足は折らなかった。
しかし、兵士の一人が槍でイエスのわき腹を刺した。すると、すぐ血と水とが流れ出た。

※3 エフェソ5:30(シナイ写本)

※4 創世記2:23
人は言った。「ついに、これこそ わたしの骨の骨 わたしの肉の肉。これをこそ、女(イシャー)と呼ぼう まさに、男(イシュ)から取られたものだから。」



聖ヨハネ・クリゾストモ
349年頃、アンチオケに生まれる。父は軍人で、キリスト者の母によって、一流の教育を受けることができた。洗礼は18歳。聖書と神学を学び、その後、荒れ野で隠遁生活(隠修士に学ぶ修道生活)を送る。その後、アンティオケアに戻ると、司教から助祭に、そして司祭に叙階され、説教の才能に恵まれた彼は、説教活動に全霊を捧げた。397年にコンスタンチノープルの司教に選ばれ、聖職者と信者の生活を改める優れた牧者として活躍した。また、皇帝一族やその他の反対者の憎しみをかい、2度に渡って追放された。追放中の虐待の結果、407年9月14日にトルコのポントス州のコマネ近郊で帰天。キリスト教を解説し、キリスト者としての正しい生活を教えるために多くの説教を行い、著作を著した。このことから、「クリゾストモ」すなわち「金の口」と呼ばれている。
正教会、東方諸教会、カトリック教会などで聖人として崇敬されている。

女子パウロ会 聖人カレンダー へ
http://www.pauline.or.jp/calendariosanti/gen_saint50.php?id=091301

ベネディクト十六世の「使徒の経験から見た、キリストと教会の関係の神秘」の連続講話で、ヨハネ・クリゾストモが紹介されています。
http://www.cbcj.catholic.jp/jpn/feature/benedict_xvi/bene_message246.htm