YAMAKOME

気まぐれ山・旅日記

伊豆大島

2012-01-31 22:44:16 | Weblog
伊豆大島
H24.1.30
 爪木崎灯台からは伊豆諸島が眺められる。神津島、御蔵島、新島、利島、大島等、遠くには三宅島が見えるそうだ。どれが何島かオラには良くわからないが、大島は一番大きく良くわかる。以前、椿の花を見に行ったような記憶が・・・。陸の先端、爪木崎灯台は伊豆諸島に一番近いところにある感じだ。(写真:爪木崎灯台から伊豆大島が遠くに見える)
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爪木崎

2012-01-31 22:42:22 | Weblog
爪木崎(つめきざき)
H24.1.30
すいせんの群生地と知られる爪木崎だ。ところが「1月20,21日に台風が来た・・・」と地元の人が言う。海からの風、いわゆる塩害で、すいせんは壊滅状態になったそうだ。「この緑がすべて白いすいせんの光景は、さぞかし・・・」と思いを胸に描き散策した。いつにない今年のすいせんの姿、寂しそうに見つめる爪木崎灯台であった。(写真:緑はすべてすいせんの群生のはずだが・・・)
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宝福寺

2012-01-31 22:36:23 | Weblog
宝福寺(龍馬とお吉)
H24.1.30
幕末、明治維新の時代は、順序立てて理解していないオラだ。下田は幕末から明治にかけて日本の将来を決める大きな役割を担ったところのようだ。これまたオラは認識が浅かった。宝福寺は、勝海舟が土佐藩の領主山内容堂に対して、「坂本龍馬の脱藩の許しを・・・」と願い申したところだそうだ。
また、有名な悲哀実話の「唐人お吉」も下田の話である。晩年に身投げをしたお吉を哀れに思い、葬ってあげたのが宝福寺の住職なのそうだ。
幕府は、ハリスさんがぞっこんのお吉さんに内縁になっていただき、首尾よく条約を締結したとか・・・。後にお吉は下田で芸妓をしていた頃に、龍馬は勝海舟らとともに下田にいた時期がある。お吉と龍馬は行き会っているかも…。宝福寺のお吉記念館に坂本龍馬の下田での暮らし等が展示されていたのは何かの縁???薄学のオラには少し歴史の勉強になった。(写真:宝福寺の坂本龍馬の木像) 
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玉泉寺

2012-01-31 22:33:02 | Weblog
玉泉寺(領事館)
H24.1.30
下田の冬は暖かい!のイメージで、早くから予定した旅だ。寒い!寒いっ!
下田の歴史は黒船来航で有名である。オラは近くにいながら初めて訪れたかもしれない。何しろ認知症で記憶が絶え絶えなのだ。下田は、黒船ペリーのゆかりの地で、玉泉寺は日本で初めての領事館とされ、タンゼント・ハリスが米国総領事として着任したところだそうだ。また牛乳発祥の地だそうだが、ハリスさんは牛乳が飲みたくて、1升15万円(現在の価格に換算)もする牛乳を飲んでいたそうだヨ。
(写真:領事館となった玉泉寺のハリスさんの記念碑(日本は蚊に刺されて大変なところ・・・))
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伊豆下田

2012-01-31 22:28:38 | Weblog
伊豆下田
H24.1.29  曇り時々晴れ
 目的は、「温泉に入って、美味しい魚を食べる旅」のはずだった。が、欲張りだ。折角なので観光を、と早朝からホテルを出発した。下田セントラルホテルから下田駅まで送ってもらった。下田の始発のロープウエイで寝姿山に登った。下田の港が一望だ。黒船の見張り所があった。昔はレーダーも無線機もなく、いきなり大きな黒い船が現れるのだから、ビックリしたろうなあ。「日本の夜明けは伊豆下田にあり・・・」といったところか。ホテルから下田駅、ロープウエイ上り、下りともにすべて貸切だった。
(写真;寝姿山からの下田港)
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