YAMAKOME

気まぐれ山・旅日記

宝福寺

2012-01-31 22:36:23 | Weblog
宝福寺(龍馬とお吉)
H24.1.30
幕末、明治維新の時代は、順序立てて理解していないオラだ。下田は幕末から明治にかけて日本の将来を決める大きな役割を担ったところのようだ。これまたオラは認識が浅かった。宝福寺は、勝海舟が土佐藩の領主山内容堂に対して、「坂本龍馬の脱藩の許しを・・・」と願い申したところだそうだ。
また、有名な悲哀実話の「唐人お吉」も下田の話である。晩年に身投げをしたお吉を哀れに思い、葬ってあげたのが宝福寺の住職なのそうだ。
幕府は、ハリスさんがぞっこんのお吉さんに内縁になっていただき、首尾よく条約を締結したとか・・・。後にお吉は下田で芸妓をしていた頃に、龍馬は勝海舟らとともに下田にいた時期がある。お吉と龍馬は行き会っているかも…。宝福寺のお吉記念館に坂本龍馬の下田での暮らし等が展示されていたのは何かの縁???薄学のオラには少し歴史の勉強になった。(写真:宝福寺の坂本龍馬の木像) 
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