
【 明石海峡大橋 】
【 2025年3月31日~4月1日 】

【 第1日目 】 淡路島から鳴門・ドイツ館、徳島市
朝、自宅6時出発-7:50明石海峡大橋SA - 9:45生石公園 ー 11:25板東・道の駅(旧友と再会)
- 13:00昼食(讃岐うどん)- ドイツ館見学 - 15:00眉山観光 ー 16:00阿波十郎兵衛の家
- 18:00鳴門の宿到着
【 第2日目 】 9:30 開館と同時に大原国際美術館へ - 15:40 同館を出て一路京都へ - 18:00 京都着
今回の旅行は、娘のプレゼントということで、甘んじてそれを受けて娘親子との同行の旅となる。宿は娘が鳴門に取ってくれていた。
せっかく四国に行くのならと、今年の正月に久しぶりに連絡のついた大学時代の旧友と事前に連絡を取って、会う約束を交わす。宿が鳴門なら『大原国際美術館』に行かない手は無いと思い、自分なりの計画を立てる。
いつも通り、欲張りな日程で、早めの朝6時前に、車での出発。旧友とどこで会うかを考えたが、以前行ってたまたま休館だった板東の『鳴門市ドイツ館』を思い出し、そこで落ち合う約束をする。午前中に会いたいと伝えていたので、急がなければならなかった。
8時前、明石海峡大橋を渡る。大橋の見渡せるサービスエリアで朝食休憩をとる。
【 淡路サービスエリアにて 】
淡路島を素通りするのも《もったいない》と思い、せめて海岸線を進みながら『黒岩水仙郷』にでも寄ろうと思い、下の道を行く。

暫く市街地を走り、ようやく海岸線に出ると、紀淡海峡の向かいにいつか行った友ヶ島らしき影が見える。それにつられて小高い丘にあるそうな『生石公園』の案内板に沿って車を進める。

【 生石公園の桜 】
ここの桜もまだ満開には至ってないようだ。太い幹から直接芽が出て、花をつけているのがなんとも可憐だ。
展望台から見渡すと、紀淡海峡を挟んだ和歌山方面が近くに見える。見上げれば、おそらく関空に着陸するであろう飛行機が次から次へと飛んできて大空を横切っていく。
島沿いを南に向かう。いつの間にか、目当てにしていた「黒岩水仙郷」を通り越してしまった。無くなってしまったのだろうか。先を急ぐ。
板野のインターチェンジを降りて「ドイツ館」のある方に向かう。道の駅から電話を入れると、相手はすでに着いていて、ひとつ隣の車の中から応答していた。

【 旧友とは50年ぶりの再会だろうか? 】
大学を卒業し、向こうは地元徳島に戻り、私は京都に居残り、お互い結婚してそれ以来だから、もうゆうに50年は経っただろうか。会ってみれば、昔の雰囲気そのままで、年月の隔たりを感じさせない。話を聞くと、百歳近くになるという親の介護で苦労しているようだ。それでも当人同士が健康であることと、一昔前だったらこんな歳まで元気で居られることなんて想像できなかったと喜び合い、30分ほどの再会だったが貴重な時間が持てた。
外で散歩に行っているはずの娘らと合流して、すぐにでも「ドイツ館」に入ろうと思ったが、1時を待っている。「せっかく讃岐あたりまで来たんだから、うどんを食べたい」という意見をいれ、近所の店に入る。

【 昼食のうどん 】
娘らは、翌日の昼にもうどんを食べて、そちらの方が《コシがあって美味しかった》というが、ここのもまずまずだった。何よりも京都など違ってボリュームがあるのに値段は3分の2位か?食べ応えがある。
改めて「ドイツ館」に戻り、入館する。前回、鳴門を訪れた時は1日目に「大塚美術館」に入り、見切れなかったので2日目も入ろうと思ったが、あいにく月曜休館で入れず、四国八十八カ霊場の第一番札所の霊山寺に行き、その近くにあったここ「ドイツ館」も訪れたが、やはり休館で入れなかったから、レベンジである。
ここで《ベートーベン第九の演奏が日本で初めて行われた》ということは、その前から新聞か何かで知っていたので興味があったが、建物だけを見て、周囲の「俘虜収容所」の跡地だけを見て帰ってきたのだった。

当時は「なぜここにドイツ兵の捕虜収容所が?」と思っていたが、歴史を振り返って、理解できた。

展示されている資料を見ると、当時の国際情勢の中での日本の位置というのがよくわかる。帝国主義国の仲間入りをして国力を増強しようとしていたが、なにせ文化的にはまだまだ後進国である。捕虜の中には、ドイツの徴兵事情もあったのだろうか、日本の水準を超える文化人が多数含まれていた。
歴史のいたずらでドイツの租借地だった青島が日本の手に落ち、その捕虜が日本に連れ去られてきたというわけである。彼らは捕虜としての生活に甘んじることなく、文化的活動を要求し、所長はそれを受け入れる。何とも、今の世の中の《どうにもならない、余裕のない世の中》と違って、温かみを感じた。

当時の収容所の所長だけが寛容だったのか、時代がまだのんびりしていたのか、それとも今の世界全体がはるかに後退してしまったのか。プーチンやネタニヤフ、トランプのやっていることを目の前で見ているとやり切れない感覚にとらわれる。
1時間ほど「ドイツ館」に滞在した後、徳島市内に向かう。眉山は「阿波おとり会館」からロープウェイで上れると聞いて、カーナビを頼りに到着する。眉山ははるか昔、親戚が徳島にいた関係で、小学生だった頃に(父親に連れられてだったか?その後のことだったか?)1度だけ来た記憶がある。

【 眉山から眺め(鳴門方向) 】
ロープウェイで上れる眉山の頂は、300mにも満たない丘みたいなものだから、歩いていけないこともないと思ったが、そこは旅先でもあるし時間がない。(先日行った「天王山」は確か270mだったから、どっこいどっこいである。)5分もかからずに頂上駅に着く。低くてもやはり見晴らしはいい。

【 ロープウェイ 】
ロープウェイを降りて宿に向かう。時計を見ると4時だったので、どうしようかと思っていたが、宿まで行く道のちょうど途上にある『阿波十郎兵衛屋敷』に寄ることにする。
入りくんだ狭い路地を進んだところに、こじんまりとした敷地にある屋敷の前を、気付かずに一度は通り過ぎてしまった。Uターンして裏手の駐車場に車を停めて表に回る。県立の施設とは思えない民家風の建物の入り口を入ると、その中は想像もできない空間が広がっていた。

【 『阿波十郎兵衛屋敷』の入り口 と 舞台(右) 】
来客は私らだけだった。早速、受付嬢とは別の、館長さんらしき人が付き添って、最初は20分ほどのビデオを上映した後、館内を案内してくれる。
【 懇切に解説してくれる職員さん 】

浄瑠璃と文楽とは何が違うのかと、今まで何となく思っていたが『人形浄瑠璃を玄人が上演しているのが文楽だ』ときいて、なるほどと納得する。『だからここのは、素人人形浄瑠璃だ』と。しかし、素人だとはいえ侮れない。
【 代々受け継がれた床本・・・米朝の落語の一節が思い浮かぶ 】

【 絡繰りを試してみる娘 】
今までの経験から言うと、資料館というのは敬遠しがちで、見学もさっと流してしまう事が多かったが、今回のビデオも説明も意に会することが沢山あって充実した1時間だった。可能ならまた来て、あの舞台で上演される人形浄瑠璃を見てみたいと思った。
心地よい余韻を残して館を後にする。

【 外観はこじんまり 】 【 民家のようなこの控えめな建物の中に、あの舞台と豊富な展示物が? 】
あとは宿に戻るだけ。予約してくれたホテルは、以前自分らが来た時の、鳴門大橋のタ的にある同じホテルだった。さらに話を聞けば、同行の孫が修学旅行で泊ったホテルという。同じように、すぐ近くにある『大塚国際美術館』に行ったので、今回はもういいという。


ホテルの窓から見える夕焼けが、やけに綺麗だった。

【 夕食 】
風呂に入り、豪華な夕食をごちそうになり、盛りだくさんで、有意義で、満足な1日が終わる。
【 2日目につづく 】
【 四国旅行・鳴門から徳島へ(その2)-大塚国際美術館を訪れる 】のマイブログにジャンプ
【 2025年3月31日~4月1日 】

【 第1日目 】 淡路島から鳴門・ドイツ館、徳島市
朝、自宅6時出発-7:50明石海峡大橋SA - 9:45生石公園 ー 11:25板東・道の駅(旧友と再会)
- 13:00昼食(讃岐うどん)- ドイツ館見学 - 15:00眉山観光 ー 16:00阿波十郎兵衛の家
- 18:00鳴門の宿到着
【 第2日目 】 9:30 開館と同時に大原国際美術館へ - 15:40 同館を出て一路京都へ - 18:00 京都着
今回の旅行は、娘のプレゼントということで、甘んじてそれを受けて娘親子との同行の旅となる。宿は娘が鳴門に取ってくれていた。
せっかく四国に行くのならと、今年の正月に久しぶりに連絡のついた大学時代の旧友と事前に連絡を取って、会う約束を交わす。宿が鳴門なら『大原国際美術館』に行かない手は無いと思い、自分なりの計画を立てる。
いつも通り、欲張りな日程で、早めの朝6時前に、車での出発。旧友とどこで会うかを考えたが、以前行ってたまたま休館だった板東の『鳴門市ドイツ館』を思い出し、そこで落ち合う約束をする。午前中に会いたいと伝えていたので、急がなければならなかった。
8時前、明石海峡大橋を渡る。大橋の見渡せるサービスエリアで朝食休憩をとる。

【 淡路サービスエリアにて 】
淡路島を素通りするのも《もったいない》と思い、せめて海岸線を進みながら『黒岩水仙郷』にでも寄ろうと思い、下の道を行く。

暫く市街地を走り、ようやく海岸線に出ると、紀淡海峡の向かいにいつか行った友ヶ島らしき影が見える。それにつられて小高い丘にあるそうな『生石公園』の案内板に沿って車を進める。


【 生石公園の桜 】
ここの桜もまだ満開には至ってないようだ。太い幹から直接芽が出て、花をつけているのがなんとも可憐だ。
展望台から見渡すと、紀淡海峡を挟んだ和歌山方面が近くに見える。見上げれば、おそらく関空に着陸するであろう飛行機が次から次へと飛んできて大空を横切っていく。
島沿いを南に向かう。いつの間にか、目当てにしていた「黒岩水仙郷」を通り越してしまった。無くなってしまったのだろうか。先を急ぐ。
板野のインターチェンジを降りて「ドイツ館」のある方に向かう。道の駅から電話を入れると、相手はすでに着いていて、ひとつ隣の車の中から応答していた。

【 旧友とは50年ぶりの再会だろうか? 】
大学を卒業し、向こうは地元徳島に戻り、私は京都に居残り、お互い結婚してそれ以来だから、もうゆうに50年は経っただろうか。会ってみれば、昔の雰囲気そのままで、年月の隔たりを感じさせない。話を聞くと、百歳近くになるという親の介護で苦労しているようだ。それでも当人同士が健康であることと、一昔前だったらこんな歳まで元気で居られることなんて想像できなかったと喜び合い、30分ほどの再会だったが貴重な時間が持てた。
外で散歩に行っているはずの娘らと合流して、すぐにでも「ドイツ館」に入ろうと思ったが、1時を待っている。「せっかく讃岐あたりまで来たんだから、うどんを食べたい」という意見をいれ、近所の店に入る。

【 昼食のうどん 】
娘らは、翌日の昼にもうどんを食べて、そちらの方が《コシがあって美味しかった》というが、ここのもまずまずだった。何よりも京都など違ってボリュームがあるのに値段は3分の2位か?食べ応えがある。
改めて「ドイツ館」に戻り、入館する。前回、鳴門を訪れた時は1日目に「大塚美術館」に入り、見切れなかったので2日目も入ろうと思ったが、あいにく月曜休館で入れず、四国八十八カ霊場の第一番札所の霊山寺に行き、その近くにあったここ「ドイツ館」も訪れたが、やはり休館で入れなかったから、レベンジである。
ここで《ベートーベン第九の演奏が日本で初めて行われた》ということは、その前から新聞か何かで知っていたので興味があったが、建物だけを見て、周囲の「俘虜収容所」の跡地だけを見て帰ってきたのだった。

当時は「なぜここにドイツ兵の捕虜収容所が?」と思っていたが、歴史を振り返って、理解できた。

展示されている資料を見ると、当時の国際情勢の中での日本の位置というのがよくわかる。帝国主義国の仲間入りをして国力を増強しようとしていたが、なにせ文化的にはまだまだ後進国である。捕虜の中には、ドイツの徴兵事情もあったのだろうか、日本の水準を超える文化人が多数含まれていた。


歴史のいたずらでドイツの租借地だった青島が日本の手に落ち、その捕虜が日本に連れ去られてきたというわけである。彼らは捕虜としての生活に甘んじることなく、文化的活動を要求し、所長はそれを受け入れる。何とも、今の世の中の《どうにもならない、余裕のない世の中》と違って、温かみを感じた。


当時の収容所の所長だけが寛容だったのか、時代がまだのんびりしていたのか、それとも今の世界全体がはるかに後退してしまったのか。プーチンやネタニヤフ、トランプのやっていることを目の前で見ているとやり切れない感覚にとらわれる。
1時間ほど「ドイツ館」に滞在した後、徳島市内に向かう。眉山は「阿波おとり会館」からロープウェイで上れると聞いて、カーナビを頼りに到着する。眉山ははるか昔、親戚が徳島にいた関係で、小学生だった頃に(父親に連れられてだったか?その後のことだったか?)1度だけ来た記憶がある。


【 眉山から眺め(鳴門方向) 】
ロープウェイで上れる眉山の頂は、300mにも満たない丘みたいなものだから、歩いていけないこともないと思ったが、そこは旅先でもあるし時間がない。(先日行った「天王山」は確か270mだったから、どっこいどっこいである。)5分もかからずに頂上駅に着く。低くてもやはり見晴らしはいい。

【 ロープウェイ 】
ロープウェイを降りて宿に向かう。時計を見ると4時だったので、どうしようかと思っていたが、宿まで行く道のちょうど途上にある『阿波十郎兵衛屋敷』に寄ることにする。

入りくんだ狭い路地を進んだところに、こじんまりとした敷地にある屋敷の前を、気付かずに一度は通り過ぎてしまった。Uターンして裏手の駐車場に車を停めて表に回る。県立の施設とは思えない民家風の建物の入り口を入ると、その中は想像もできない空間が広がっていた。


【 『阿波十郎兵衛屋敷』の入り口 と 舞台(右) 】
来客は私らだけだった。早速、受付嬢とは別の、館長さんらしき人が付き添って、最初は20分ほどのビデオを上映した後、館内を案内してくれる。



浄瑠璃と文楽とは何が違うのかと、今まで何となく思っていたが『人形浄瑠璃を玄人が上演しているのが文楽だ』ときいて、なるほどと納得する。『だからここのは、素人人形浄瑠璃だ』と。しかし、素人だとはいえ侮れない。


【 絡繰りを試してみる娘 】
今までの経験から言うと、資料館というのは敬遠しがちで、見学もさっと流してしまう事が多かったが、今回のビデオも説明も意に会することが沢山あって充実した1時間だった。可能ならまた来て、あの舞台で上演される人形浄瑠璃を見てみたいと思った。
心地よい余韻を残して館を後にする。


【 外観はこじんまり 】 【 民家のようなこの控えめな建物の中に、あの舞台と豊富な展示物が? 】
あとは宿に戻るだけ。予約してくれたホテルは、以前自分らが来た時の、鳴門大橋のタ的にある同じホテルだった。さらに話を聞けば、同行の孫が修学旅行で泊ったホテルという。同じように、すぐ近くにある『大塚国際美術館』に行ったので、今回はもういいという。


ホテルの窓から見える夕焼けが、やけに綺麗だった。


【 夕食 】
風呂に入り、豪華な夕食をごちそうになり、盛りだくさんで、有意義で、満足な1日が終わる。
【 2日目につづく 】
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