河内国喜志村覚え書き帖

大坂の東南、南河内は富田林市喜志村の歴史と文化の紹介です。
加えて、日々の思いをブログに移入しています。

その九前編 平安 ―― 川面の北向き地蔵

2022年02月07日 | 歴史

大峰山谷のぞき

 毎年五月の連休が明けた頃に、「山上参り」があった。

 町内会で参加者をつのって、吉野大峰山(山上ケ岳・吉野郡天川村)へ「行(ぎょう)」に出るのだ。大峰山は女人禁制で、山上参りに参加出来るのは男性だけだった。私は4年生の時に参加した。いやいやだった。高さ数十メートルの崖から体を突き出される「谷のぞき」という恐ろしい行があると聞いていたからだ。それでも、男と生まれた限りは、一度は参加しなければならないという暗黙の掟のようなものが町内にあった。

 腹のたつほどに晴れわたった日の朝、私はオトンと河南橋のたもとに止められた観光バスに乗りこんだ。補助席を出さなければならないほどだったから60人くらいはいただろう。私と同じ「新客」と呼ばれる初参加の子供は10人ほどいて、バスの前の席に座らされた。大人たちは後ろの席で、わちゃわちゃと観光気分で話している。しかし、私たち新客は「谷のぞき」の緊張からか、言葉少なげだった。

 竹内峠を越え、吉野の下市で休憩して洞川(どろかわ)へ、バスはつづら折りの山道を重いエンジン音を響かせて登っていった。昼前に「あたらし屋」という旅館に着いて昼食をとった。しばらくすると、「山先達(やませんだつ)」と呼ばれる山伏姿の人が現われ、出発を告げる。皆が旅館の玄関に集まり、山先達の案内で行場へ向かう。

 カネカケという鎖を使って岩場を登る行場を過ぎると、「西ののぞき」と呼ばれる、新客にとっては恐怖の崖に着く。6年生から順に白いたすきをかけさせられ順番を待った。

 6年生の新客は3人いて、はんべそをかきながら「おまえが先や」「いや、おまえや」と譲り合っている。それに業をにやして「ええい、背の高い順でいけ」とせきたてたのは春やんだった。

 6年生はたがいに顔を見合わせ、納得した一人が前に出る。たすきに綱のついたカギヅメのようなものが掛けられる。そのカギヅメの綱を山先達が持ち、春やんが足を持った。そして、そろりそろりと崖から半身を突き出され、崖下に祀られている観音様を見る。

 「こら、前で手を合わしてんと、たすきがはずれるぞ」

 春やんのどなり声に6年生は拝むようなかっこうで手を合わせた。

 「親孝行するか!」

 山先達が大きな声で叫ぶ。

 この時、なにも言わないと、さらに一段、崖に身を突き出されると聞かされていたから、6年生は蚊の鳴くような声で「します……」と答えた。

 春やんが「大きい声で言わんかい」とどなりかえす。

 「し、します!」

 それでようやく体を上げられた。

 6年生、5年生とすぎ、私の番が回ってきた。

 崖に身を突き出される。

 観音様を見ていろと言われていたが、目を開けられなかった。おそらくみんなそうだったのだろう。

 「親孝行するか!」

 「します……」

 「もういっぺん!」

 「します!」

 ほんの一分ほどの間だったが、五分くらいに感じられた。崖から上げられると、体は汗びっしょりだった。

 その後は、恐怖から開放されたからか、我々新客はアスレチックでもしているように蟻の戸渡し、ビョウドウ石、背負い岩、ガタガタ石などの行場を回った。

 澄みわたった五月晴れの空に、新緑がまぶしいほどだった。

 

 夕方近くに旅館に着き、風呂に入り夕食をとった。夕食には魚がついていた。「精進アゲ」という修業を終えたしるしだった。その後は思い思いに過ごした。私たち新客は同じ恐怖を味わったという連帯感からか、みなで連れだって土産物屋へ出かけた。

 旅館に帰ると二十畳ほどの大部屋の真ん中で、年寄り連中が酒を飲んでいた。若い人たちは「精進落とし」に行ったという。私たちはいつもと違う大きな部屋でプロレスや鬼ごっこをして遊んだ。8時ころになると年寄りたちは我々を集め、キツネに化かされた話や火の玉を見た話など、誰の話が一番恐いかを競うように交替で昔話をしてくれた。最後は春やんだった。

 「さあ、山上参りはなんで女が来たらあかんか知ってるか?」

 みんな黙っている。春やんが湯呑みの酒をぐいと飲んで話し出した。   後編につづく


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